第一章 コーメー、異世界へ

第1話 [1A1]コーメー、歪みに囚われる

 高校の授業中、幸明ゆきあきが机の隅に置いていたスマートフォンが音もなく明るくなった。発注してあった取引が約定したようだ。

 幸明は慣れた手つきで今回の利益を確定して得た売買差益を確認すると、追加で成行買いして手に入れた株式に決済条件を付与して発注し、すぐに意識を授業へ戻した。

 最初は売買のすべてをノートに記録していたが、今は取引の流れもスマートフォンに記録されるようになったため、授業中に書き出す必要もなくなった。



 葛城かつらぎ幸明には家族がいないため、なにかをして稼がなければ都立高校にすら通えない。

 いくら授業料の無償化政策が実施されているとはいえ、授業料以外の資金まで補助されるわけではないからだ。しかも、無償化の対象以外の出費が常態化している。

 教育の無償化は、実際にタダになるわけではなく、教育機関の収入を安定させるための方便のようでもあった。


 幸明は児童養護施設には入らず、小学校から学校に許されてアルバイトで貯金して学費と生活費に充ててきた。

 だから、交通費をかけないように、幸明は徒歩圏内の都立高校へ進学したのだ。

 しかし、住んでいる都営アパートの家賃や食費、高校の制服や教材費など学業を続けるためにはどうしても稼ぐ手段が不可欠だった。


 中学生まで勤めていた新聞配達のアルバイトでは割に合わなくなっていた。新聞を購読する家庭が減ってきたからである。

 高校生になったらコンビニエンスストアでのアルバイトを始めようかと、幸明は職員室で中学の担任教師と話し合いをしていたところ、家庭科の教師から金融授業の成績を買われて株式取引で生計を立てるよう提案される。

 投資の力量を客観的に示すためにも、ファイナンシャル・プランナーの資格もなけなしの貯金を崩して手に入れた。


 中学の担任教師と高校の生徒指導員とともに副知事へ相談に行き、事情を鑑みて例外として授業中の株式トレードを許可された。


 授業中の株式トレードの免状をわざわざ交付してもらい、有名なトレーダーのもとでデイトレードの技術を磨くよう諭された。

 数日から一週間ほど保有するスイングトレードをやろうと思っていただけに、幸明は当初尻込みしてしまう。

 しかし、師匠の哲学でもある「時間を金に換える」教えにより、デイトレード術を伝授された。

 中学の家庭科の金融授業で証券口座を開設してあったので、種銭として二百万円の貯金から半額の百万円を預け入れた。授業以外でも師匠から実戦を叩き込まれていて、デイトレードでは必須の信用口座も開設してある。


 デイトレードでの初心者のポイントはアルゴリズム・トレード、中でもトレーリングストップだと叩き込まれた。これなら入るときの判断だけ。あとは時間をかけて株価が伸びたらコンピュータが自動的に利幅をとりにいき、下落したら機械的に損切りする。たったそれだけのことで利益がどんどん膨らんでいった。


 授業のある日はそのまま稼げる日になった。

 しかし予想に反して株価が下落を続ける日もある。それでも機械的に損切りしているので大きな傷にはならない。


 デイトレードなので取得した株式をその日のうちに手仕舞いする。

 たとえ翌日体調がすぐれなくてもトレードができずに損失を拡大することもない。

 高校では授業中に株式トレードをする許可を得たが、実戦で磨いた投資術を家庭科の金融授業で披露する条件が付されることになった。



 二限目の現代文の時間を終えると、続く三限目の家庭科の金融授業で使う資料を大急ぎで作成した。

 どの銘柄がどういうトレンドか見極めて、上昇トレンドにあった銘柄を買って利益を伸ばして売った。

 一週間に一度の授業だが、情報を提供することで幸明も利益が得られるので、仮に損切りしたとしてもそれなりの報酬は手に入る。



「葛城くん、今週の株式投資の手順とポイントを解説してください」

 金融授業の外部教師がいつものように声をかけてきたので、スマートフォンに外部ディスプレイ端子を装着し、ノートにまとめた資料をもとにしてプレゼンテーションを始めた。


「今週はアメリカ大統領の関税政策により全体相場が冷え込んでいました。ニューヨークダウもS&P500もナスダックも週単位で見れば下げています。日経平均株価も下げてはいますが、すべての銘柄が下げていたわけでもありませんでした」

 スマートフォンでスクリーンショットした写真を次々と表示させながら解説していく。


「とくにアメリカへの輸出が主軸の産業は株価が急落しています。大統領の日和見的な関税政策が相場を荒らしているのです。半面、日本国内の需要に支えられている銘柄はいったん連れ安するもののすぐに株価が戻っています。僕が狙ったのは、まさに連れ安して値を下げた内需株です。この金融銘柄は派手な動きはないものの、きちんと株価が戻っており、こういう銘柄を見極めてトレードすれば失敗も少なくなります」


 幸明は手際よくモニターに画像を表示させて定規を当てた。

「このように、チャートで上値が押さえられているときは下に向かいやすいですね。それだけ売りが強いということです。逆に下値が押さえられているときは買い意欲が強いので上に向かいやすい。後者のパターンが見えたら買いを入れる準備をします」


 金融投資の外部教師が幸明の言葉を引き継いだ。

「どんなにチャンスに見えても株価は反対に動くことがよくあります。つねに逆に動くことを想定することが傷を広げない最善手ですね」

「ですので、買い注文を入れて約定したら、すぐに損切りの注文と獲りたい利益の売り注文を同時に入れられる逆指値付通常注文を活用することをオススメします。可能であればトレーリングストップを使ってください」

 幸明はモニターで実際に売買の画面を映し出した。



 すると、幸明の眼の前になにか得体の知れないものが現れた。

 ここが家庭科の教室であることに変わりはないのだが、向こうにいるはずの金融授業の外部教師の姿が歪んで見える。

 歪みはさらに大きくなり、全身を覆うように広がってとらえると、幸明は真っ黒な視界に飲み込まれた。




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