第六章 現代パート「霧の中心、火の記憶」
志布志市の沿岸部は今日も霧に包まれていた。朝日が雲の切れ間から覗くと、白い霞がまるで海から這い上がるようにして、港の倉庫群を飲み込んでいく。
【霧が深いですね、紫苑様】
イオナの声がスマートグラスに響く。視界の右上には、現在地と遺跡ポイントを示す簡易マップが表示されていた。
【志布志湾沿岸は、気温と湿度の差が大きいために霧が発生しやすいのです。ここから南へ向かうと、大隅半島を横断するような形で、いくつかの重要な遺跡が点在しています】
「……本当に、このあたりに狗奴国があったのか?」
【はい。可能性は十分にあります。】
紫苑は、小さく息を吐いた。昨日は曽於市の梅北遺跡を歩き、古代環濠集落の全容を確かめたばかりだった。今朝は志布志市に入り、高山崩遺跡や夏井古墳群を巡る予定だ。
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高山崩遺跡は、弥生時代後期の土器や建物跡が見つかっている。特に、霧島山系の噴火により地層が歪んでいる点が特徴で、「山が火を吐く」表現に繋がる自然災害との関係性が指摘されていた。
一方、夏井古墳群は志布志市の内陸に点在する円墳群で、古墳時代初期に築造されたとされる。副葬品の中には、海を越えて渡来した可能性のある銅鏡の破片も見つかっており、東方交易の痕跡として注目されていた。
さらに南下すると、鹿屋市の安楽古墳群へと繋がる。安楽古墳群は、比較的後代の古墳ではあるが、大隅半島の地勢を支配する豪族の存在を示す証拠として評価されている。
宮崎市内の西都原遺跡は、弥生から古墳時代にかけての一大墳墓群であり、300基以上の古墳が平野部に点在する姿はまさに古代祭祀の拠点とも呼べる。女王国側の文化的中枢としての対比が意識される。
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【紫苑様、霧島盆地とこの地域との関係性ですが、古代においては一つの都ではなく、点在する集落が霊的なネットワークを構成していた可能性があります。】
「つまり、中心があるわけではない?」
【はい。祭祀遺構や環濠集落、古墳が織りなす一つの“霊の道”です】
紫苑は、地図を拡大した。昨日までに歩いた曽於、志布志の点をつなぎ、さらに鹿屋、桜島方面に視線を移す。
志布志市の市街地を抜けると、道はやがて山間に分け入り、左手に広がる内之浦湾が、霞んだ空の下で鈍く光っていた。潮の匂いに混じって、かすかに土の香りがする。車の窓を開けると、湿り気を含んだ風が頬をなでた。
【この先、鹿屋市に入る手前に安楽古墳群があります。標高100メートル前後の台地上に、50基以上の古墳が分布しています】
「志布志から続く弧……南西に曲がる丘陵のラインか」
紫苑は、ナビの地図をピンチアウトしながら、曽於から志布志、鹿屋、そして桜島までの座標を指先でなぞった。
「直線じゃない。だけど、意図された形のようにも見える。もしこの全域が狗奴国の影響圏だったとしたら……」
【地理的にも、霧島を背後にした軍事防衛線としての意味合いが考えられます。ただし、それは軍事力というより“霊的結界”に近いものかもしれません】
「霧島の火山帯を“背後”ではなく“軸”とする。つまり、山が中心ではなく、山によって結界が定まる……?」
【はい。曽於の梅北環濠集落、志布志の夏井古墳群、鹿屋の安楽古墳群、いずれも“境界の拠点”として位置付けることが可能です】
「狗奴国=征服王朝」ではなく、「狗奴国=霊的秩序の護持者」……それなら、卑弥呼との対立も、単なる勢力争いではなかった可能性がある」
紫苑は、小さく唸るように呟いた。
「……ただの敵対関係じゃない。“異なる信仰体系の衝突”だとしたら」
【その仮説に従えば、魏志倭人伝の記述にある「不属女王」も、単に政治的従属を拒んだのではなく、霊的中枢が異なっていたという可能性が浮上します】
紫苑は鞄から地図帳を取り出した。地理院地図に赤ペンで引いた自筆のラインは、曽於から志布志、鹿屋を通って、霧島連山の裾野へと続いていた。
「この形……古代人の視点から見れば、東に“水”、西に“火”、南に“霧”、北に“風”が囲む、四象の結界のようにも見える」
【“霧島デルタ”が狗奴国の中核だと仮定すると、女王国=邪馬台国との対立は、単なる領土問題ではなく、“霊の中心”を巡る衝突だったことになります】
「火山の霊威 vs. 鬼道の巫女。…権力を争ったのではなく、“何に従うべきか”を問うていた」
【……紫苑様。もしそれが真実なら、霧島こそが、倭国の記憶の臍(ほぞ)なのかもしれません】
その言葉に、紫苑はそっと目を閉じた。窓の外では、霧が薄れ、遠く桜島の輪郭が、淡い空の下に浮かび始めていた。
「……行こう。最後の地点、桜島へ」
【はい、紫苑様。霧の奥に眠る真実へ、あと一歩です】
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山道を抜けて海沿いの国道に出ると、真正面に桜島が姿を現した。頂からは白い噴煙がゆるやかに立ちのぼり、陽光を受けてわずかに光っている。
その輪郭は、まるで島そのものが古代の神殿のように屹立しているようだった。
【……紫苑様、到着しました。ここが“火の柱”の終点です】
「……想像以上だな。言葉を失うほどの存在感だ」
紫苑は車を停め、ゆっくりとドアを開けた。熱を帯びた風が頬をなで、遠くでカモメの声が響いていた。彼の視線の先には、黒々とした溶岩の大地と、その奥にそびえる主峰が静かにたたずんでいた。
【この地に残る神話的伝承には、“火の神が鎮座する山”としての記述があります。これは単なる自然崇拝ではなく、火山を通じて天と地が接続される“霊的ゲート”として捉えられていた可能性があります】
「つまり、桜島は狗奴国の“聖域”だったかもしれない……」
【はい。“狗奴国の火”という象徴です。地上の秩序ではなく、“下から湧き上がる”霊的力。対する邪馬台国が天からの“鬼道”であるとすれば、両者の対立は“天と地”を巡る象徴論でもあります】
「霧島盆地の南に位置し、海を隔てたここが“結界の終点”だとすれば……狗奴国は“火と水と霧”に守られた孤立的秩序だったわけか」
紫苑は、地図に視線を落とした。梅北環濠、夏井古墳、安楽古墳、そして桜島。すべての線が、今ここで一点に収束していた。
「イオナ。“魏志倭人伝”に記された狗奴国は、“不属女王”だった……つまり、従わなかった。けれどそれは、単なる反抗じゃない。自らの神性と世界観に立脚した、もう一つの『正統』だったんだな」
【ええ。紫苑様のおっしゃる通りです。“不属”とは、“背いた”のではなく、“交わらなかった”――その精神的独立性の宣言とも言えます】
紫苑は、スマートグラス越しに海を見やった。視界の片隅で、古代の記憶が揺れる。かつて、ここに立ち、火の山を見上げた誰かのまなざしが、重なるような気がした。
「狗奴国は、消えたんじゃない。書かれなかっただけだ。……きっと、記憶の“霧”の奥に、まだ残ってる」
【私たちがその霧を抜けた先に、きっと“何か”が待っているはずです】
イオナの声が、穏やかに響いた。
紫苑はもう一度、桜島の稜線を見つめた。
空は高く澄み、風が静かに、火の山を撫でていた。
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