第29話 白雪ノノは、裏切者。

「……ってことで、今から引っ越しまーす」

 インフさんが、まるで天気の話でもするような軽い調子で言い放った。


「やっぱりそうなるか」と俺は言う。


「さっきの風男かぜおとこの件で、ここはもうバレてるの。ここに長く留まるのはリスクが高すぎる。すぐに出発の準備して」


 そう言うなり、彼女はどこからともなく段ボールを取り出し、手際よく荷物を詰め始めた。部屋の隅に転がるブラが派手に飛び出したのが視界に入り、俺はあわてて視線をそらす。


「急すぎる……」

 白雪しらゆきノノがぽつりとつぶやいた。その声はどこか頼りなく、掠れていた。


「いや、当然でしょ。あの戦闘の音と爆発、近所に丸聞こえだったわよ」

 吾妻あずまヒカルはすでにキャリーケースを抱え、玄関へ向かう体勢だった。その顔には諦念のような疲れが浮かんでいた。


「大変だなこの生活は……」

 如月きさらぎアカネがややうんざりした口調でつぶやいた。炎を操る彼女でも、引っ越し早々にまた移動となると気だるそうだった。

「でもまあ、仕方ねえよな」

 如月はニヤと笑って、「インフさん準備手伝うよ」と言った。


 そのとき。


「ねえ、待って。まだここに残っててもいいんじゃないかな……」


 ノノが切実な声で口を開いた。その表情はどこか陰があり、いつもの明るさがなかった。


「は?お前何言ってんの?」如月が鋭く睨む。


「だって……ここ、せっかくいいところに住んだのに……また、すぐ逃げなきゃいけないなんて……」


 ノノの声は震えていた。

 まるで、何かを必死に押し殺しているように。


「はいはい、つべこべ言わずに支度して」

 インフさんが淡々と指示を出す。

 その態度はいつも通りだったが、どこか張りつめたものを感じた。


 如月と吾妻ヒカルはしぶしぶ部屋の奥へ引っ込んでいった。だが、ノノだけはその場に立ち尽くし、うつむいたまま動かない。


「おい、ノノ、何してるんだ。早く準備を……」

 俺が声をかけても、彼女は反応しない。


「そ、そうなんだけど……」

 彼女はか細い声で答える。


「ノノ、どうしたんだ?」

 近づいて見ると、ノノは俺を見ようとしなかった。

 視線はどこか遠くを見ていて、手は小刻みに震えていた。


「あのね……」

 彼女が何かを言いかけたそのとき。


「ノノ?」

 インフさんの声が部屋の奥から飛んだ。

「何してるの?早く着替えなさい」


 ノノははっとして顔を上げた。目は一瞬だけ、悲しげに揺れた。そして、無言でこくりと頷くと、そのまま部屋へと消えていった。


 吾妻ヒカリが、ノノの後ろ姿をじっと見ていた。




―――数時間後、俺たちは山間部のログハウスへと到着した。


インフさんの隠れ家だというその一軒家は、外観こそ素朴だったが、中に入ると驚くほどハイセンスなインテリアでまとめられていた。暖色のライト、木のぬくもり、最新の家電設備――まるで秘密基地。


「お、おお……すげぇな。これ、マジで隠れ家かよ」

「実はアウトドア派なのよね。こういう自然にいるのが好きなの。仕事が休みのときは、誰にも言わず、ここで静かに過ごすの」

 インフさんがドヤ顔でソファにどっかりと座った。


「……設備はしっかりしてるの?」

 吾妻ヒカリが聞いた。さすがだ。


「もちろん。爆発が起きても壊されない程度には万全。だけど寝室には防音してないから、喘ぎ声は禁止だよ?」

「インフさん……ジョークが大人すぎます」


 それでも、俺の胸中は妙にざわついていた――ノノのあの表情。

何かを、隠している。

 ――それだけは確かだった。


 インフさんが提案する。


「ねえみんなで線香花火しない?」

「私はいいや。今日は疲れたから寝ます♡」

 疲れたと言ってノノは寝室へ。


「ノリわりいな……」如月が舌打ち。


吾妻ヒカルは眉を寄せながら

「花火……火使うのはシャクだけど、まあ、いいよ」とつぶやいた。


「……おい、ヒカリ、喧嘩売ってんのか」


「ん?売ってないけど?」


「いいぜ、今から一発やっても?」


「二発でも三発でも付き合うけど?」と吾妻ヒカリ応戦。


「もお、あんたたち!いい加減にしなさい!!!」

 インフさんに促されて、俺たちは外へ。


 夜風はひんやりとして、星空が夜を染める。


「うぉ!流れ星だ!」

 如月が突然声を張り、空を指差す。

 ヒカルは「すごい……」と呟くと、小さな笑みを浮かべた。


「きれいだな」

 控えめに俺も言った。

 インフさんはその様子を穏やかに見守っていた。


「あ、花火しようって言ってたのに、花火持ってくるの忘れたよ」


「俺花火、取りに行くよ」


「ありがと。ノノの寝室の隣の倉庫にあるはずだから」


「わかった」


「ノノは寝てると思うから、静かにね」

 その言葉を背にして、俺はログハウスの奥へと歩を進めた。


 廊下は静まり返り、外から聞こえる虫の声が微かに響く。


 ――その時だった。


 ノノの部屋から、囁くような声が漏れ聞こえた。


「……解析完了。如月アカネの炎、起動時刻や出力強度、すべてデータ収集済。吾妻ヒカリのデータもこちらの予測した基準を大きく下回っています。ただし、両者ともに精神状態次第で大きく能力が飛躍する傾向があるので注意は必要です。そして、問題のからうつわですが……」


 空の器……俺のことだ。


「奴は、現在、炎、氷、雷、この3つの能力を会得しています。ただし、私が提供した“氷”の能力はフェイクギフト――偽装された能力です。内包するエラーコードは未発動ですが、引き金は整っており、タイミングを見て≪バグギフト≫を注入する予定です……インフにはバレていないです。はい、わかりました。引き続き、任務を続行します。次に空の器と肉体的な接触を行うのは明日を予定しています。……はい、今回は接吻以上の交わりを行い、空の器を完全にデリートします。……はい。失礼します」


 息が止まった。言葉を忘れた。

 それは間違いなく、ノノの声だった――冷静に、そして淡々と。


 心の奥底で何かが崩れ落ちた。

 俺は、倉庫の薄い扉の影にそっと隠れた。手が震え、喉がゴクリと鳴る。


「ノノ……どうして……」

 言葉にできない悲痛が、内側から裂けるように広がった。



 外では、如月が「カブトムシ見つけたぁ!!!」と叫び声。

 そんないつもどおりの如月の明るい声が、妙に痛く感じた。


 俺の心に、冷たい絶望がしみこんだ。

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