第2話 記憶の中のキミ

 あのあと、銀髪少女のことが気になり過ぎて、まったくマンガを読む気になれなかった。


 まあ適当に持ってきたマンガの表紙が、イケメンの男性二人がなぜか絡み合っているような立ち絵だったため、読む勇気がなかったってのもあるが。


 地元からの移動からここまでほぼノンストップだったこともあり、僕は目を閉じるだけですぐ眠りにつき、夢を見る。




      ◆





 それは僕がまだ小学校低学年のころ。

 僕は学校から帰ってくると、近所の公園でよく遊んでいた。

 そこにはたくさんの遊具があり、地元では割と有名の公園だった。

 今では安全面を考慮され、ほとんどの遊具が撤去されてしまっている。


 僕がその公園に行くと、決まって必ずブランコで遊んでいる女の子がいた。

 その子は髪が長く、声もかわいくてまるでお人形さんみたいだった。

 僕とその女の子は自然と仲良くなり、一緒に遊ぶようになった。


 互いの名前を知らずとも仲良くなっていたが、いま考えてみると、子供って不思議なものだと感じてしまう。


 そんなある日。学校から帰るのが遅くなって、いつもの時間より少し遅れて公園に行ってみると、ブランコの前で女の子が知らない男の子たち三人に囲まれていた。


「お前、こんなとこで何してんだよ?」


「……………………」


 一人の男の子が声をかけるも、女の子は口を開こうとせず、俯いたまま。


「何とか言えよ、このがよッ!」


「イタッ……!?」


 男の子に突き飛ばされ、女の子は地面に倒れてしまった。

 それを見た僕はすぐに女の子の前に立ち、男の子たちを睨みつけた。


「やめろよ! 女の子だよ? なんでそんなひどいことするの!?」


「何だよ、お前? こいつの友達か?」


「そうだよ! だから何?」


 そう僕が答えると、三人の男の子たちは顔を見合わせ、急に笑い出した。


「アハハハハッ! なんだよ、ガイコクジン。お前にも友達がいたのかよ! てか年下でしかも男って! なあ? アハハハハッ!」


 一番体格のいい男の子がそう言ってまた笑うと、後の二人もつられてまた笑った。


 今更だが、目の前の三人の男の子たちは自分よりも年上なことに気が付く。

 でもそんなことは関係なく、この時の僕は友達の女の子が突き飛ばされたことに腹を立てていた。


 僕は怒り任せに男の子たちに殴りかかった。


 だが、この時の僕はまだ弱く、逆に返り討ちにされた。

 何度も殴られ、蹴られた。


 その後、気が済んだのか、男の子たちは公園から出て行った。


「……ううっ……っ……いってぇ……っ……」


 服は土埃まみれで、体のあちこちが痛くて僕が泣いていると、涙ぐむ女の子が近寄ってくる。


「だ、大丈夫……?」


 僕はその言葉を目の前の女の子にかけてあげたかった。

 それなのに、逆に言われてしまったことが心底悔しかった。


 どうして僕はこんなにも弱いんだろう。

 そう思うと余計に涙が出たが、僕は必死に笑顔を作り、女の子に言う。


「う、うん……大丈夫だよ。キミは?」


 そう聞くと、女の子は目尻に溜まっていた涙を拭き、笑顔で答えた。


「うん! キミのおかげで私は大丈夫だよっ」


 その笑顔を見た瞬間から、僕はこの子の笑顔を守りたいと思った。

 だから僕は祖父に頼み込んで道場に通うことにしたんだ。


 翌日、道場に行く前に公園に行ってみたが、次の日もその次も女の子の姿はなかった。


 もうあの子の顔もうろ覚えではっきりしないが、これだけは覚えている。

 ボコボコにされたあの日、あの子が最後に僕をこう呼んだことを――



      ◆




「私のヒーロー君。起きて」


「――ッ!?」


 懐かしくもありつつ、むず痒い名前が耳元で聞こえた気がして僕は飛び起きた。

 しかし、リクライニングチェアで横になっていた僕以外誰もいない。


「夢……だったのかな……?」


 でもどうしてだろう?

 耳にわずかながら温もりが残っている。


 ……ってまずい! もうこんな時間だ!


 腕時計を見ると、内見の時間が差し迫っていることに気が付き、僕は急いでネットカフェを後にした。




      ◇





 よし、なんとかギリギリ間に合いそうだ。


 ネットカフェを出て、最寄り駅を通り過ぎ、そこから五分くらいのところに目的地のタワーマンションがあった。

 ネットカフェを出たときにも見えていたが、間近まで来てみると、想像を絶する高さに驚かされる。

 高さ三百メートルで六十階建て。その最上階に今日は行く。


 こんな経験もうできないだろうから今日はしっかりと内見させてもらおう。


「というか、どっから入ればいいんだろう?」


 マンションの下まで来たものの、入り口らしき場所が見当たらない。


 すると、怪訝な表情を浮かべた初老の守衛さんが声をかけてきた。


「あの、何か御用ですかな?」


「ええっと、その……きょ、今日こちらの最上階を内見させてもらう者でして……」


 僕が答えると、初老の守衛さんはコロッと明るい表情に変わった。


「ああ、君が」


 そう言いながら、初老の守衛さんは僕を上から下へと見る。


 すみません……。どう見てもこんな高級マンションに住めるような人間ではなさそうですよね。でも安心して下さい。僕が一番そう思ってますから……。


 初老の守衛さんは特に表情を変えることなく、ニコニコしながら言う。


「うん。お連れ様方なら先に上へあがられてますよ」


「え? ああ、そうですか」


「はい。初めてならどこから入るのかわからないですよね。では、こちらへどうぞ」


「あ、ありがとうございます」


 初老の守衛さんに連れられると、マンションの入り口らしき場所があった。

 そこから自動ドアを二枚くぐり、初老の守衛さんによって開けられたオートロックの自動ドアを通り抜ける。


「そちらのエレベーターに乗って六十階まで上がってください。部屋番号は六〇〇四ですから」


「わかりました。ありがとうございます」


 初老の守衛さんにお礼を言って、僕はエレベーターに乗り込み、六十と表示されているボタンを押した。


 思っていたよりも速いスピードで上昇し、どんどん地面から離れていく。

 次第に町全体が一望でき、先ほどまでいたネットカフェもすぐに小さく見える。

 その光景に少しばかり僕は興奮していた。


 六十階に到着したことを知らせるように、ポーンという聞き心地のいい音が鳴って扉が開く。


 エレベーターを出ると、いかにも高そうなカーペットが敷かれていて、まるでホテルのような廊下が続いている。

 そのカーペットの上を恐る恐る歩くと、一つ角を曲がった先に六〇〇四号室があった。


 てっきり部屋の前とかに、昨日の女性の担当者さんが待っているものとばかり思っていたが、考えてみれば、ここまで来たら部屋の中に入るのは当然か。


 んー。いきなりドアを開けて入るのは失礼かな?

 とりあえず、インターホン押すか。


 高級そうな黒塗りのドアの横に備え付けられているインターホンを押した。


 ピンポーン。


 来客を知らせる聞きなじみのある音が響く。


 少しの間のあと。ドアのロックを開閉する音がして、ドアノブが回る。

 開かれたドア先には、細いフレームの眼鏡をかけスーツ姿の女性が立っていた。


「どちら様でしょうか?」


 そう言って眼鏡の女性は、怪訝な表情で僕を睨んできた。

 

 すみません……。こんな田舎者みたいな男が来るとは思ってもいませんでしたよね……。


「えっと、僕は麻宮絃世って言います。今日はこちらの物件を内見させてもらいに来ました」


 僕は素直にそう答えた。


「あなたが?」


 眼鏡の女性は表情を一切崩さず、目線だけ上下に動かして僕を見てくる。

 

 そうですよね。場違いですよね。でもこれ、お気に入りのパーカーなんです。


 また眼鏡の女性と目が合うと、僕は引きつった笑顔を返すことしかできなかった。


「あははは……」


「…………どうぞ」


 眼鏡の女性はそう言って、黒塗りのドアを大きく開けてくれた。


「あ、ありがとうございます。お邪魔します……」


 す、すごっ! 玄関だけで二畳くらいあるんじゃないか、これ!?


 部屋に入った瞬間から驚かされてしまった。


「とりあえず奥のリビングまでどうぞ」


「あ、ああ、はい……」


 玄関で立ち止まっていると、眼鏡の女性にそう促された。


 そういえば、この人が担当者さんが言っていた入居希望者かな?


「何か?」


「い、いえ、別に……」


 チラッと振り返ると、眼鏡のレンズ越しにまた睨まれてしまった。

 早いとこ内見を済ませて、別の部屋を探しに行こう。


 光沢のある廊下を通り抜け、扉を一枚開けると、あまりにも広すぎるリビング。

 そこを中心に三つの扉があり、広いスペースのキッチン。

 

 二十畳以上はありそう。ここだけで実家の半分はあるぞ。

 てか、何だこの大きな窓っ!? 角から両サイドに広がってて、町全体が一望できるぞ!


 開放的なリビングには、すでに大きなソファが置いてあり、その前にはソファの大きさに合わせたテーブル。

 さらには、ソファに座りながら見れる位置に壁掛けされている大型の(八〇インチ以上はある)テレビが設置されている。


 それとキッチン側には、四人掛けの食卓テーブルが用意されていた。


 天井も高く照明に至っては、今まで見てきたシーリングライトなど一つもなく、天井面を照らす間接照明が設置されていて、ホテルやレストランのような高級感。


 あまりにも実家との違いに胸焼けしてきた。


「そ、そういえば、不動産屋さんの人は……?」


 ずっと背中に眼鏡の女性の視線が突き刺さっていて、そろそろ限界だった僕は、そう言って振り返り話しかけてみた。


「……先ほど連絡があり、契約書の作成に手間取っているようです」


「あ、ああ……そうです、か……」


 やばい。あの担当者さん、ここで契約書にサインさせるつもりだぞ。


 というかこの人、俺なんかと一緒に住むとか嫌そうだし、先にちゃんと僕は住むつもりはありませんから安心してくださいと伝えておこう。


 そもそも家賃払えるわけないですからね。


「あ、あの実は――」


 ガチャ。


 僕が口を開くと同時に、リビングに面している一つの部屋の扉が開いた。


「梅ちゃーん。こっちも広くていい感じだよー」


「あっ!」


「あ」


「き、君は……」


 僕の視線の先には、ネットカフェで出会った銀髪少女が立っていた。

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