今夜も夢で逢いましょう

舞夢宜人

高校編:夢と現実の芽生え

第1章:予感の出会いと奇妙な夢(4月〜5月)

第1話

桜並木が淡いピンクの絨毯を敷く4月。新学期が始まったばかりの高校で、相沢悠人、18歳は、柔道部の練習に没頭していた。道着の擦れる音と、畳に叩きつけられる鈍い音が響く道場は、彼にとって唯一、自分を解放できる場所だった。180cmのがっしりとした逆三角形の体格は、柔道で鍛え上げられた努力の証だ 。しかし、その頑強な見た目は、彼自身の内省的な性格とは裏腹に、周囲に「無骨さ」や「強面(こわもて)」な印象を与えているのではないかという、密かなコンプレックスでもあった。口数が少なく、繊細な一面を持つ悠人は、他人との間に見えない壁を感じていた 。誰かの支えになりたいという漠然とした思いはあっても、どうすればその壁を乗り越えられるのか、まだ見つけられずにいたのだ。


廊下を挟んだ体育館では、女子バレー部の練習が熱気を帯びていた。白石紬、18歳は、チームメイトの中でも一際長身で、しなやかな筋肉を持つ引き締まった体が目を引く 。彼女の長身は、バレーボールにおいては紛れもない強みであり、コートの上ではそのコンプレックスから解放され、自信を持って輝くことができた。しかし、普段の生活では、その身長ゆえに「目立つ」ことが多く、人々の視線が彼女の長年のコンプレックスとなっていた 。明るく誰にでも分け隔てなく接する彼女の笑顔の裏には、目立たないように物陰に身を隠そうとする一面が隠されていた。恋愛においても、自分よりも背の低い異性には興味が持てず、頼りがいのある男性像を追い求める傾向があった。それが、交際の範囲を狭めていることにも繋がっていると、紬は薄々感じていた 。


放課後、悠人は柔道部の練習を終え、汗だくの体で昇降口へと向かっていた。ふと、体育館から聞こえるいつもと違う、緊迫した声に足を止める。「紬!大丈夫か!」「足首、捻ったみたい……」。聞き慣れた親友、佐藤葵の声に、悠人は心臓が跳ね上がるのを感じた 。反射的に体育館へ駆け込むと、紬がコートに座り込み、顔を顰めているのが見えた。足首を庇うように抱え、その表情には痛みが滲んでいる。


悠人は考えるよりも早く、紬のもとへ駆け寄った。

「白石、動けるか?」

彼の声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。紬は顔を上げ、その大きな瞳が悠人を捉える。普段、人見知りで口数の少ない悠人が、こんなにも素早く動いたことに、彼自身も驚いていた。

「あ、相沢くん……ごめ、大丈夫、じゃないみたい……」

無理に立ち上がろうとする紬の体は、ふらりと傾いた。悠人は迷わず、そのしなやかな体を抱き上げた。鍛え上げられた悠人の腕は、175cmの紬の長身を軽々と支え、その体がぐらつくことはなかった 。紬の体から伝わる柔らかな重みと、かすかに香る石鹸の匂いに、悠人の胸の奥が微かにざわめく。



「保健室まで運ぶ。掴まってろ」

悠人は淡々と告げ、躊躇うことなく歩き出した。紬の体は、彼の胸板に吸い寄せられるように密着する。普段コンプレックスに感じていた長身が、彼の頼もしい腕の中にすっぽりと収まる。その瞬間、紬の胸には、これまでに感じたことのない安堵感と、微かな高揚感が広がった 。


保健室のベッドに紬を降ろし、保健の先生が来るのを待つ間、ぎこちない沈黙が流れた。悠人は何を話せばいいのか分からず、ただ立ったまま紬の様子を伺っていた。しかし、紬はそんな悠人に向かって、はにかんだような特別な笑顔を見せた。

「相沢くん、ありがとう。助かったよ」

その笑顔は、彼にとって予想外の、そして心を解きほぐすような温かさだった。

「いや……別に。俺は、柔道部だから、ああいうのは慣れてるし」

悠人はぶっきらぼうに答えたが、その視線は紬の細い足首に注がれていた。

「相沢くんの柔道、いつもすごいなって思ってるんだ。試合、何度か見に行ったことあるよ。あの、一本背負い、かっこいいなって」

紬の言葉に、悠人の心臓が大きく脈打った。まさか、自分の試合を見ていた者がいるとは。ましてや、バレー部の白石紬が。彼は自分の無骨さが誰かの目に留まることなどないと思っていた。

「そうか……ありがとう。白石のバレーも……いつも見てる。かっこいい」

悠人は精一杯の言葉を絞り出した。彼の「かっこいい」という言葉に、紬の頬がふわりと赤くなる。

「あ、その……」

紬は言葉を探すように視線を彷徨わせたが、結局何も言えず、悠人の着ていた柔道部のTシャツの裾を、無意識のうちにそっと掴んだ。その小さな仕草に、悠人の胸はきゅうと締め付けられる。掴まれたTシャツの布地越しに、彼女の温かさが伝わってくる。


その時、紬の脳裏に、ある願望が強く芽生えた。「こんな彼氏ができたらいいな……」。頼りがいのある悠人に抱えられ、彼の言葉に心が温かくなった瞬間、長身であることのコンプレックスを忘れるほどの、確かな安堵と幸福を感じたのだ 。この強い願望こそが、彼女の無意識(生霊の分身)を悠人の意識と同調させる引き金となった。悠人はまだ気づかない。この瞬間から、彼の無意識は、紬の無意識によって「監視」され、二人の夢は繋がり始めたことを。


その夜、悠人は不思議な夢を見た。

場所は、誰もいない学校の屋上。風が心地よく吹き抜け、月明かりが差し込んでいた。隣には、なぜか紬が立っている。二人は特に言葉を交わすこともなく、ただ互いの手を取り合っていた。紬の手は小さく、華奢だったが、不思議と熱を帯びていた。

「ねぇ、相沢くんの夢って何?」

紬の囁くような声が、夜空に吸い込まれていく。

「俺は……誰かの支えになるような、教師になりたい」

悠人がそう答えると、紬は少し驚いたような顔をして、そっと悠人の手を握り返した。

「私もだよ。体育の先生になって、バレー部の顧問になりたいな」

二人の手が、より強く結びつく。彼らはそこで、将来の夢について、他愛のない話をし続けた。それは、まるで現実の延長のような、鮮明で温かい夢だった。悠人は目覚めても、その夢が共有されたものだとは知る由もなく、ただ「不思議にリアルな夢だったな」と、胸の奥に残る温かい感覚を抱えていた。

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