イチゴパフェを食べに 〈メンズクライシスシリーズ1〉
@FuyuKapi
第1話 メンズクライシスを目にしても
もうずっと耳の中でわんわん響いている。店長とユミさんとカエさんの笑い声に、隣のサラリーマンたちの騒ぎ声が。そこへ店員さんのかけ声が耳に突き刺さってくる。だから居酒屋も、飲み会も嫌い。
「ね、ココもそうだよね?」
って耳元でカエさんに言われて、何がそうだよねか全然聞いていなかったから、「は、はい」って適当に返事をしたけど、カエさんはあたしの答えなんて気にせずキャハキャハ笑う。この前、テレビで見た外国の鳥も、たしかこんな鳴き声だったっけ。
もう1人、私の前に座っている男の人・・・・・・名前、何だっけ。シフトがあまり一緒じゃないから忘れた。その男の人が、さっきからジロジロあたしを見ている。見ながら、何か言っているけど、たぶん聞こえなくてもいいやつだ。
スマホにはマツさんからLINEが入っていた。
何通も。何十通も。心配させている。早く帰らなきゃって思う。時計は18時30分を指している。始まって30分。あたしの歓迎会ってことだから、せめて1時間はいたほうがいいのだろうか。
せめて少しでも耳がわんわん鳴らないところへ行きたかった。
「ちょっとトイレに行ってきますね」とカエさんに小声で言って、席を立った。
マツさんからは「何時に帰る?」から始まって、「俺の飯は?」「早く帰ってこいよ」「返事は?」って、一言ずつ、たくさんLINEが入っていた。
ごめんなさい、19時には店を出ますと返事してから席に戻ると、ジロジロ見てくる何とかさんが飲み物を差し出してきた。あたしが頼んでいない、白い、カルピスみたいな飲み物。口の動きで「の、ん、で」と言っているのが分かった。
男が勧める飲み物は飲んじゃダメだってマツさんには言われている。あたしだって飲みたくない。でも、みんながあたしを見ていた。カエさんはキャハキャハ笑い、ユミさんは何か言っている。だからグラスを受け取って、少しだけ口をつけようとした。そのときだった。
手に何かがぶつかってきて、持っていたはずのグラスが消えていた。
テーブルには白い飲み物の池ができていて、グラスを探してみたらグラスの代わりに手が、人の手首から先だけがあった。
手のひらが上に向いていて、人差し指がびくびくと震えている。
カエさんが高い声を出し続けていたから、あたしは耳をふさいだ。隣のテーブルのサラリーマンたちも騒いでいて、そのうちの1人がシャツの袖あたりをおさえてガーガー声を出している。袖から先、手が無くなっているから、この手首はあのサラリーマンのものかもしれない。
血なんか全然飛び散っていなくて、人形の手がポンと抜けたみたいだ。本当にこれが人間の手なのかなって思う。サラリーマンたちの悪ふざけで、マジックショーとかどっきりとか、そんな感じなのかなって。
耳をふさいでも、ズンズン入り込んでくる悲鳴に歯を食いしばって耐えながら、ああ、これが噂のあれなんだって、だんだん状況が飲み込めてきた。
噂の、メンズクライシス。
ある日突然、体の一部が切断されてしまう、男性だけに起きる現象だ。
店を出ると、マツさんがいた。迎えに来たらしい。思わず、バッグの持ち手をぎゅっと握りしめた。マツさんはでっぷりとした体を私の体にあて、抱きついてきた。
「怖かっただろ。まさかこんな近くで起きるなんてな」
そして店長と、キモいあの男に近づいて、ていねいに挨拶をした。
カエさんは店の前でしゃがみこんでいて、マツさんが横で背中をさすってあげている。あたしもみんなに挨拶をしたら、マツさんがタクシーを呼んでくれた。
サラリーマンの手首が飛んできてから、誰かが救急車を呼んで、サラリーマンたちが手首を回収して外に出て行った。
救急車のサイレンの音、カエさんの悲鳴、何度も頭を下げて謝る店員さん。大変なことになっていたのに、あたしはカエさんみたいに悲鳴をあげることも、サラリーマンを気遣うこともなかった。
本当に、どうでもよかったのだ。
メンズクライシスとか、手首を無くしたサラリーマンがこれからどうやって仕事をしていくんだろうとか。
白い飲み物を飲まなくてすんだこと、それに、帰ってからすごく怒られるんだろうなってことで頭がいっぱいだった。
マツさんも、タクシーの中で全然しゃべらなかった。きっと、あたしに言い聞かせる言葉を考えている。さっきまで静かなところに逃げたかったくせに、もうこの静けさが怖い。
タクシー代をあたしのスマホで払って、アパートの階段を上って、廊下を歩くときも、マツさんは黙ったままだ。しゃべらない時間が長ければ長いほど、頭の中であたしへのいろんな言葉がふくらんでいるんだろうなって分かる。
部屋に入ってドアを閉めて、鍵をかけて、振り向いたところで左頬に衝撃が走った。
始まった。
マツさんがあたしの腕をつかんで廊下を歩き、奥の部屋につれていく。
今度は右頬を打たれた。そして何度も頭を叩いてくるから、両腕で頭を守りながら「ごめんなさい」って何度も言った。
部屋の中ではマツさんの声が耳に入ってくる。だけど、言葉がちゃんと脳に届いているのかあやしいくらい、耳の中は相変わらずわんわんわんわん響いている。
マツさんにお尻や脚を蹴られて、また顔を叩かれて、こんなに痛いのにやっぱりあたしとマツさん・・・・・・違う、マツさんだけじゃなくて他の人との間にも、何か見えない壁があるように思う。
もう、ずっとずっと前から、あたしは透明の壁に囲われている。
それでもあたしはマツさんの言葉をひろっていくしかなかった。何が間違っていたのか、ちゃんと理解するために。
マツさんは言った。
俺が苦労して稼いだ金で飲みに行って何とも思わないのか、誰のおかげで生活できているんだ、出かけるなら俺の飯ぐらい用意するのが当たり前だろう・・・・・・。
あたしが飲みに行ったことへの怒りから始まって、話が少しずつ過去をさかのぼっていった。
俺が紹介したバイトを勝手に辞めて俺のメンツをつぶしやがって。俺がいなかったらお前なんかのたれ死ぬか風俗堕ちしていた、俺のおかげでまともな生活ができているんだろ、飲みに行って男にちやほやされてうれしかったかこのビッチ!
あたしは何度もごめんなさいって謝りながら言った。
本当はあんなに騒がしい居酒屋なんて行きたくなかった。でも、歓迎会で、おごるからって言われて仕方なく行ったんです。心配かけてごめんなさい。今度からは飲み会は断りますから許して。
床に額をくっつけて、あたしは何度も許しを請う。
マツさんは殴ったり蹴ったりするのをやめて、あたしの腕をつかんで立たせて、ベッドに押し倒した。パンツをずらし、むりやり押し込んでくる。マツさんが動くたび、痛みで涙も鼻水も、「痛い」って声も出た。
「痛い、痛い、痛い」
終わった後、マツさんはあたしの頭を撫でて、「ごめんな」と、ぶよぶよのお腹をあたしの体にあてて、抱きしめてきた。あたしは首を横に振って、マツさんの背中に腕をまわす。
「ココが他の男と飲んでるって考えるだけでイヤだった。嫉妬してた。愛してるんだ」
耳元でささやかれて、また涙が流れた。
愛されてるって分かったから、これはうれし涙なんだろう。
マツさんはきっと仕事がつらくて、でもあたしのために必死に耐えている。マツさんの苦労も知らずにあたしだけ楽しんでいたら、怒りたくもなるよね。
体中が痛いけど、痛いからこそ、あの頃の記憶が薄れていく。布団にくるまり、震えていた頃が、遠い、遠い昔のように。だから、大丈夫だ、きっと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます