【掌編集】あなたといるよ
一途彩士
なんにも ないお姫様
「なんにもできなくてごめんね」
それが彼女の口癖だった。
「別に」
それに対して、俺は問題ないと答えるのが常だった。
彼女はなんにもできなかった。朝の準備は一人でできないし、前期の時間割も俺が組んだ。初めて行く場所は必ず迷子になるからついていくし、陶器の食器はすぐだめにするからプラ製にそろえた。
俺が世話を焼くのを、この歳で過保護だと笑う奴もいれば支配的だと非難するやつもいた。召使だ、騎士だ、束縛男だ。……どうでもよかった。
彼女の口癖を聞いた人間が、何を思ったか、バイトしてみないかと誘ったらしい。自分も働いていてバイト初心者にも優しいところだから、ちょっとずつ頑張ればいいと。
ふとしたときに流されやすい彼女は、今日初バイトに向かったと連絡が来ていた。
『これで手のかかる子から親離れできて、うれしいでしょ?』
メッセージを送ってきた相手をブロックする。春になるとたまに出る、こういうのが。
「帰るぞ」
喫茶店の中はちょうど空いていて、彼女を連れ出すのに躊躇する理由はなかった。だから見慣れない赤いエプロンをつけた彼女を前に言い放つ。
まるで彼女をかばうように、店員が俺の前に立ちふさがった。
「き、君がいつも先回りしてしまうから、彼女は成長する機会を失ってるんだ。君のためでもあるんだよ」
「はあ?」
こいつが元凶か。
「彼女が自分でできることが増えたら、都合が悪いんだろ」
「それ、そいつが言いました?」
「え?」
「ねえ」
店員の後ろにいる彼女に呼びかけると、店員をよけて俺の前まで回ってきた。その彼女と視線を合わすために、俺は少しかがみこむ。
「本当に悪いと思って、俺に申し訳なくって、なんでもできる子になりたい? 何かできるようになりたい? 本気でそう思ってる?」
表情をうかがえば、彼女はいつもの弱々しい表情の中に強く冷たい瞳を灯している。俺とはっきり目を合わせ、小さく首を横に振った。
ほら、彼女のことは俺のほうがよく知ってる。
「じゃあ、なんにもしなくていいよ」
彼女のエプロンを外し、軽く畳んで隣にいた店員に押し付ける。
「そういうわけなんで。余計なことしないでください」
はっきり断って、彼女を連れて店を出る。もう顔も思い出せない店員は、後を追ってくることもなかった。
彼女の家にまで送り届ける。「お茶……」というので、部屋に上がって彼女が持て余しているティーバッグでミルクティーを淹れてやる。
俺の隣に座った彼女は温かいカップに口をつけた。このカップも彼女が一人でいるときに使ったらどうせ割るから、俺にしか届かない棚に置いてある。
「うまいか?」
「うん」
半分ほど飲んだカップを机に置いた彼女は、俺の名前を呼んだ。
「さっきは、ありがと……」
小さい口が近づいてきて、俺の頬に触れる。ちゅ、ちゅ、と軽く、顎にかけてまで、彼女は啄んでは離れてを繰り返す。
「これくらいなんでもない」
「ごめん」
「できれば謝る癖だけ直してくれ。聞きたくない」
「うん……ありがと。だいすき」
「それでいい」
心が込められない謝罪より、ずっと。
彼女に顔を逆に向けるように促されて、反対側の頬も同じように口づけられる。彼女のしたいがままにさせる。
なんにもできない、いや、なんにもしたくないお姫様の世話をする召使であることが、彼女の日々を守る騎士であることが、どれだけ素晴らしいことか。
理解しなくていいから、邪魔しないでくれ。
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