第3話 始まり(3)

 疲れ果てて学園にたどり着いた僕と瑠璃羽は、寮がある棟へと向かっていた。


 全校生徒約100人を収容する寮は、レンガ風のブロックで造られたシンプルな直方体で、通常の教室がある棟と渡り廊下でつながっている。


 授業が終わればすぐに渡り廊下を通って寮の方へ移動するのが僕たちの習慣だった。


 放課後に学園の外に出ることはできるが、20時を過ぎてしまうと寮へつながる渡り廊下は閉鎖されてしまう。


 寮には他の入り口がなく、自室へ行くにはこの渡り廊下を通る以外の方法がないのが結構不便だ。


 ほとんど街で遊ぶことはできないし、アルバイトも禁止されている。

母はそんなところも気に入ったようだ。


寮は男女で分かれているが、一階は食堂や簡素なロビーがある共用部になっている。


 そして左側の階段は男子棟、右側の階段は女子棟に繋がっており、もちろん行き来することはできない。

 加えて夜間は階段前のシャッターが封鎖され、自分の暮らす棟からは出られない。同じ棟であっても部屋同士の行き来は禁止だ。


 元々僕はこんな山の中にある不便な学校には入りたくなかった。しかし、「どうせしっかり管理されないと勉強しないでしょ」という母の言葉に父も賛同し、成績上位者は授業料半額という特典もあって、なし崩しに入学が決まったのである。


 教科書を丸暗記しないと解けない小テストは大量に出るし、夜22時には寮は消灯されてしまうし、朝8時からの補習は実質強制参加だし、毎日が窮屈だ。


『あんたが大変そうだから、凛は絶対に他の高校に入るって言ってたよ』


 今中学三年生の弟の高校受験について、そう母が笑いながら言ってきた時には僕も怒りそうになったが、怒っても仕方ない。

今から転校する気力だってないし。


 だけど、瑠璃羽は「特進コース」だと言っていた。

多分僕のもやもやなんてどうでもいいくらい過酷な日々を送っているに違いない。


「瑠璃羽……さんもここで暮らしているんですよね?」


 ずっと無言なのも気まずくて、一応相手は上級生だし先輩、と呼ぶべきなのか迷いながら話しかける。


瑠璃羽は小さく頷いた。


「特進コースは地下に部屋がある。授業も地下にある教室で受けることになってる」


「地下……ですか」


 地下にも人がいるなんて全然知らなかった。

防音がしっかりしているんだろう。


ただでさえこの学園は息苦しいのに、ずっと地下なんて余計に鬱々としそうだ。



「全員で10人しかいないから広々はしてる。高等部三年生なんて私ともう一人だけだし」


「二人だけかあ……」


 もし相手が気の合わない人物だったら大変そうだが、瑠璃羽はそんな事を気に留めないタイプにも見える。


「でも当分地下には戻らない。これからは君の部屋に泊まるから」


瑠璃羽が平然とした顔でとんでもないことを言い出す。


「だめですよそんなの!」


自室に女子がいるなんて恐ろしすぎる。


「だって監視しないといけないでしょ。いつ君が魔獣化するか分からない以上目が離せない」


 確かに今は男子とか女子とか言っている場合ではないかもしれないが、なんとか瑠璃羽が部屋に泊まるのは回避したかった。


「で……でも、瑠璃羽さんがいたらルームメイトの高辻だって怪しみますよ。そうしたら僕が半魔獣だから監視していると説明しないといけなくなるし……」


 咄嗟に出た言い訳だったが、もっともな理由ではあると思う。


 瑠璃羽は眉をひそめていたがしぶしぶといった様子で頷いた。


「じゃあくれぐれも気を付けて。お風呂は絶対に他の人がいない時に入るようにね」


その言葉で思い出した。


結局シャンプーを買いそびれた事を。


         *


 会ったばかりの瑠璃羽にシャンプーを借りることなんてできるはずもなく、とぼとぼと戻ってきた自室でため息をつく。


「何だよ。うるさいな」


 同室の高辻修也がわざとらしく舌打ちをする。

耳に少しかかるくらいの黒髪を真ん中で分けた姿は一見さわやかで優しそうに見えるが、実際は何かあればすぐに文句を言うし、機嫌が顔に出やすい。


 三年生が二人だけなんて、相手と気が合わなかったら気まずそうだ、なんてさっき一瞬気にしたが、僕の方こそ高辻とはあまり気が合わなかった。


 高辻は僕が漫画を読んでいると自分も読みたがるが、一度貸したら数ページを呼んだところで

『つまんねえの』

と言って放り投げてきたことがある。


なので、それ以来絶対に貸さないことにしていた。


 それが気に入らないのかすぐに僕に突っかかってくるが、関わりたくないので身をすくめていることが多い。


そんな相手からもシャンプーは借りられないだろう。


 現在の時刻は18時25分。もし今から大急ぎでコンビニに行ったら何とか門限には間に合いそうだ。


「ちょっと行ってくる」


ドアに手を掛けようとすると、高辻が言った。


「お前、宿題もう終わった?終わってたらノート見せて」


「終わってない」


 魔獣になっていたせいでそれどころではなかったのに、高辻は嘘だと思ったのか僕の腕を掴んだ。


「灰咲って本当にケチだよな」


 別に、高辻はいつも僕に対してこんな感じだ。

特別なことではない。


 それなのに、あの耳鳴りが高く低く、頭の中に響き始めた。

腕が変な風に脈打つ。

それがまるで別の生き物のようで、気持ちが悪くて思わず悲鳴を上げそうになった。


ふと、ポケットの中で何かの冷たい感触が肌に伝わった。


瑠璃羽の言葉がよみがえる。


『しばらくそれを持っておくといい。魔獣化を抑制してくれると思う。特に感情的になりそうになったら忘れずに握って』


 急いでポケットの中にあるはずの銀色の矢に手を伸ばす。その冷たさが腕の膨張を鎮めてくれるような気がして必死に握った。


耳鳴りが遠ざかったような気はしたけれど、額を汗が滑り落ちる。


 多分数十秒後、耳鳴りと体の異変はおさまった。でもまだ少し頭がぼんやりする。


「灰咲……?あ、ごめんっ宿題はやっぱり自分でやる」


 高辻はおびえるように後ずさった。僕の様子がそんなにおかしかったのか、と不安になる。魔獣化の事を気づかれないようにごまかさなくては。


「えっと、宿題をやりたくなすぎて頭が痛くなってた。でもやらないといけないからやるよ。しょうがないね」


「あー、宿題多すぎるもんな」


高辻が少しほっとしたように頷く。


「そうそう。じゃあ行ってくる」


やっと解放されると思い、僕は部屋を飛び出した。

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