第7話 混沌の赤

 湯気が立ちのぼる鍋の中から、濃いルビー色の香りが部屋に広がっていく。


 羽鳥ハトリ凛鈴リズは真剣な表情で煮込みを見つめていた。

 かき混ぜるたびに顔を近づけ、匂いを嗅ぎ、味を確かめる。

 その姿勢は、料理というより試験官の液体を見守る研究者のようでもあった。


 使った部位は、ガツ(胃)、マメ(腎臓)。それと幾つかの肉部位。

 残念ながら今回は希少部位はなかったが、素材自体は悪くないはず。しかし、どちらも赤ワインの酸味と香味野菜で包み込まなければ、独特な癖と下品さが前に出てしまう。


 彼女はそれを嫌っていた。

 ただ“食べられる”では不十分。

 食べることで、素材の履歴を追えてしまうようではいけない。


 まず、数時間前にガツを開いて流水に晒し、塩と酢で揉み洗い。

 細かく隠し包丁を入れ、筋繊維を断ち切り、火を通したときの収縮を抑える。

 マメは白筋を取った後、白ワインと水に浸して良く揉み洗いする。そのまま1時間程寝かせてから血抜きをした後に更に白ワインでフランベ。

 そして全体を一晩、香味野菜とともに赤ワインに漬け込んだ。


 この時点で、“成功”の予感はあった。

 色も香りも、過去最高に近い。

 そう、あくまで“近い”――だった。


 そして、もう一品。こちらの料理も抜かりはない。

 赤身と脂身のバランスが取れたミンチをベースに、粗く刻んだ軟骨部位を練り込み、ナツメグ、黒胡椒、そしてパン粉と牛乳。

 あとは塩をひとつまみ。


 この時点での食材は完璧だ。処理は手際良く、血抜きも丁寧。解体者のこの行程が出来上がりに大きく貢献するのだ。凛鈴としてはその人物に拍手を送りたいほどだった。


 もっとも、ここで肉を捏ねるまでの話だったが。


「……何か、硬いわね」


 先程から肉を捏ねる指先に何かが当たる。軟骨か、骨が混ざったか。なんにしても可食には適しそうもないのでその異物は取り除くことにする。

 文字通り手探りで探し当てた異物を取り出し、表面の肉を取り除いてみれば――


 ――チタンボルト。


 直径2センチほど。表面に微かに傷のある、

「何かの手術痕跡」と思しき医療用ボルトだった。


 それを見つけた凛鈴は無言で立ち上がると、壁掛けのレトロな電話に手を伸ばす。


 手にした受話器の向こうに無言のまま数秒、その後ただ一言。


「チェックが甘い。異物混入はやめて」


 数秒後、低くかしこまる声が返る。

 それを聞いて凛鈴は受話器を戻し、ため息をつく。


「まぁ、仕方ないわ。味に影響はないし。でも、こういう"忘れ物"は肉に対する冒涜だわ」


 それだけ言うと、彼女は摘出されたボルトをナプキンにくるんで調理台の端に寄せ、何事もなかったかのようにハンバーグをこね始める。

 形を整え、空気を抜き、大勢が整ったところで両面をじっくり焼き上げ、火が通ったあと赤ワインとデミグラスソースで煮込む。


 やがてしばらく後、完成した料理たちを盛り付けて配膳していく。

 

 まずはランチョンマットの上に深皿を置き、そこにワインの煮込みを流し込む。じっくりと火を入れてから取り分けたそれは、艶やかな煮汁をまとい、目にも鮮やかだった。

 ハンバーグは軽く温めた鉄板の上で湯気を放ち、熱を保ちながら鎮座している。 

 最後に手焼きのバゲットを添えて席に着く。


 そして静かに一口。豊かな香りを放つハンバーグを口に運ぶ。

 粗挽きにされた様々な部位と、刻まれた軟骨が豊かな歯ごたえで彼女を楽しませる。

 もちろん、最適なバランスで練り込まれた脂が濃厚な肉汁がほとばしることも忘れてはいけない。

 スパイス香りと味わい、赤ワインと野菜の旨味、そのすべてが肉の味を引き立てる。


「やはり完璧ね。それだけに惜しいわ」


 そしてハンバーグをそこそこに、次はワインの煮込みへ。


「……悪くない」


 肉の密度は申し分ない。赤ワインの酸味と香草の香りに、肉の旨味がちゃんと溶け込んでいる。


 続いてマメ。

 口に入れた瞬間、ほろりと崩れ、同時に広がる甘み。だがその直後――


「……やっぱり、若干、雑味が残るわね」


 明確な苦みではない。

 だが喉の奥にうっすらとアルカロイドめいた薬臭さが引っかかる。

 恐らく育った環境、いや“処理”の段階で何かしらの薬剤が使われていたのだろう。

 循環器系の臓器はこういった処理にはとてもナイーブだ。かなりしつこくもみ洗いしたつもりだが足りなかったのか、それとも根深く染み付いていたのか


 最後にガツ。

 柔らかくなるはずだったが、どうにも繊維の一部が荒れていたのか、口の中で小さな違和感を残した。


「ううん……」


 皿の中を見つめた彼女の表情に、珍しく影が差す。

 頬杖をつき、唇をかむ。


「ハズレを引いた……」


 ぼそりと呟くその声は、ひどく珍しく感情が混じっていた。

 これまで幾度も、扱いの難しい部位を完璧に仕上げてきた自負がある。

 だが今回は、どれも"どこかでうまくいかなかった痕跡"を残している。


 バゲットで皿の縁を拭いながら、彼女はそれでも一滴残さず食べた。

 味に納得がいかないからといって、料理を無駄にするのは彼女の主義に反する。


 口元を拭い、静かに椅子に身を預ける。

 天井を見上げながら、ぽつりと一言。


「次は……もっと若い個体がほしいわね。穏やかな環境で、怪我も病気もなく丁寧に育てられたのが」


 次こそは、きっと。

 その一心が、彼女の料理を支えていた。

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