第2話 庭先の焼肉

 初夏の陽光が差し込む午前十時。

 羽鳥凛鈴はドレスの裾を捲らないように腰を落ち着け、庭に出る。庭と言っても、木造アパートの一階裏手にあるほんの数畳の空間だ。


 だが、そこには白い金属製のテーブルセットと、小型のグリル、そしてワイングラスが置かれ、まるで南仏の避暑地のような趣を醸していた。


 マルチョウ、シマチョウ、ガツミノ、タンもとなどのホルモン。

 スペアリブ、もも肉、胸肉、ハラミ、ツラミの筋肉部位。

 これだけあれば、朝食としては申し分ない。事前にスパイスを振り、味もなじませた。

 グリルの火加減は落ち着かせてある。

 順序に従って次の行程へ──彼女は徐ろに肉をグリルに並べていく。

 厳選されたのは肉だけじゃない。それを焼くための炭もまた高級品を選んでいる。

 安い炭では肉に煤やタールが付いて台無しだ。それは肉に対しての冒涜である。


 油が跳ねる音、肉が縮む音、煙に乗って漂う脂の香り。

 凛鈴は口元を上品に歪めながら、肉の焼き加減をじっくり見極めていく。時折火元に落ちた脂が爆ぜる音が実に食欲を誘った。


 そこへ、隣の部屋のガラス戸が開く音。


「わぁ〜、また朝から焼いてるのね〜! おはよう、羽鳥さん!」


 軽やかに話しかけてきたのは、隣に住む家庭の主婦、野崎ノザキ沙那サナ。快活で愛嬌のあるタイプの女だ。

 日頃から凛鈴の料理を羨ましがっては、しばしばおこぼれに預かりに現れる。

 彼女の凛鈴を見る目には、どこか「自由だけど貧乏な女」「贅沢な暮らししてるようで余裕ないんでしょ」という蔑みのようなものも感じさせられるが、凛鈴は気にもとめない。


「今朝もすっごくいい匂い。もし、よかったら少しだけでも……」


「ええ、もちろん。こちら、ちょうど焼けましたから。鮮度が落ちる前にどうぞ。」


 微笑みながら差し出す皿。

 程よく焼けた肉からほとばしる脂と、食欲を誘う香りに沙耶は目を細めて頷く。


「ほんと羽鳥さんってお料理上手〜♡ この前のも、家族みんなペロリだったのよ〜!  うちの子、普段お肉あんまり食べないのに、あれだけはモリモリで! すっごく新鮮だし、どこで買ってるの?」


「ふふ……ちょっとしたお取り寄せ、かしら」


「あらぁ〜またお取り寄せ〜? 贅沢〜♡ うちなんか、スーパーの特売品よ? 子供がいると、なんでも活用しなきゃいけないからね〜」


 と節約上級者ぶって絡む沙那に対して、凛鈴はにこやかに


「ええ、お取り寄せ。精肉専門の、小さなところですけど。そちらは……ホルモン、お好きでしたわよね?」


 言葉と肉を返す。もちろん沙那がこれに食いつかないはずもなく。


「好き好き! うちじゃなかなか手に入らないのよね〜」


 凛鈴は決して意地悪ではない。

 自分でも止められないほどの肉好きだが、だからこその良さの解る同好の士には、こうして快く分け与えるのだ。

 料理は鮮度が命。

 そして──分け与えることで、同士となると信じているのである。


 あぁ、彼女とは気が合いそうだ。


 その後もホルモン談義が続く。レバーは鮮度命、ハツは一頭に一つだから貴重。フワ(肺)は取扱いが限られてて都内だとほとんど見かけない。


「ほんと詳しいわね〜。しかもいつも新鮮でおいしいお肉、なんならスーパーで買うより、羽鳥さんにお願いしたほうがいいかしら♡」


 などと“冗談めかして”言う。


「うふふ、そうですね。こちらのお取り寄せ、とても“味がわかる”気がして……」


 と曖昧に返す。傍から見れば露骨に集られているようにしかみえないが、凛鈴からすればみ"いつもの肉"の味のわかる者同士。邪険にする理由はない。


 皿に盛られるさまざま部位の肉たち。滴るほどの鮮度。


 沙耶は、貪るように食べ、


「ほんっと美味しいのよね……何の肉かは分かんないけど」


 と笑う。結局、彼女は食べられるだけ肉を食べ、更にお土産をおねだりして散々肉を堪能してから帰っていった。おそらく、隣家の夕餉はこの肉になるだろう。


 賑やかな隣人が満足げに去った後、肉を焼き、肉を分け、それに満足した凛鈴は日陰に椅子を引き、ワインを片手に帽子のつばを傾ける。


「さて……そろそろ、お昼の時間かしら」


 冷蔵庫にはまだ肉がある。"何人前"かなんてのは考えるだけ野暮な話だ。そういえば気まぐれで串打ちした肉があった。

 グリルの火はまだ燻っている、それならば次は趣向を変えてタレ焼きと行こうか。

 そんな事を考えながら凛鈴は次のメニューを考え、その出来栄えに思いを馳せるのだった。

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