本能寺の変から始まった新たな人生
飯田沢うま男
第1話 命拾いの先に寿司
明智光秀の謀反により、本能寺で最期を迎えようとしていた織田信長と帰蝶。燃え盛る炎の中、崩れ落ちていく天井の軋む音が、迫る死の足音のように響いていた。
「俺と共に最期を迎えることに、後悔はないか?」
炎に照らされる信長の顔には、わずかな揺らぎがあった。冷酷な戦国の魔王と恐れられた男の、最後の問いかけだった。
帰蝶は、そんな信長の手をそっと握りしめ、微笑んだ。
「蝮の娘などと汚らしい名で呼ばれ続けた私が……最期のときまで、魔王の妻として傍にいられる。これほどの誉れが、他にあるかしら?後悔なんて、あるはずないわ。」
炎の光を受け、帰蝶の瞳は静かに輝いていた。その強さと覚悟に、信長は思わず見惚れた。
「帰蝶……お前という女は、どこまでも……」
そのときだった。耳をつんざくような轟音と共に、本能寺の天井が大きく崩れ落ちてきた。ふたりは手を繋ぎながら、死を受け入れるかのように、そっと目を閉じた。
──だが、死の瞬間は訪れなかった。
ふと気配に違和感を覚え、二人はゆっくりと目を開ける。目の前にあったのは、燃えさかる本能寺の内ではなく、白く清潔な空間だった。背後からは湯の沸く音と、鼻をくすぐる海の香り。
そこは──寿司屋だった。
「……ここは……?」
驚きと混乱に包まれる中、カウンターの奥から威勢の良い声が飛んできた。
「おお!?いつの間に入ってきたんですか、お客さん!それに、なんです、その時代劇みたいな格好は……まあいいや、とりあえずお茶でも飲んで落ち着いてください!」
信長と帰蝶は、目の前の男──寿司屋の大将と名乗る人物に言われるがまま、差し出された湯呑みを受け取った。香ばしい茶の香りが鼻腔をくすぐる。
訳が分からぬまま、ふたりは自身に起きたことを語った。光秀の謀反、本能寺の炎、そして目を閉じたその瞬間まで。
話を聞き終えた大将は、しばらく黙っていたが、やがてふっと息を吐き、ぽつりと口を開いた。
「なるほど……織田信長さんと帰蝶さんね。信じるかどうかはさておき……ああ、ここは21世紀の日本です。おふたりがいた時代からだと、ざっと……440年後ってとこですね。」
「よんひゃく……よんじゅう……ねん?」
信長はしばし言葉を失った。店の内装、カウンターに並ぶ見知らぬ器具、炎に頼らず灯された明かり──どれもが、彼の知る世界とはかけ離れていた。
「……からくり、では説明がつかぬな……」
そう呟く信長に、大将は満面の笑みを浮かべながらこう言った。
「ま、そんなおふたりに、現代の味を楽しんでもらいましょう!特別に、私おすすめの寿司を出します!お代はいりませんよ!」
出された皿には、色鮮やかな握り寿司が美しく並んでいた。紅、白、橙、銀──まるで宝石のようなそれらを見つめ、信長は箸を手に取った。
「……生の魚、だと……?」
一貫、口に運ぶ。酢飯のほのかな酸味と、舌の上でとろける魚の旨味が重なり合い、口中に広がった。
「……うまい。」
「さっぱりしているのに、滋味があるわね……」
帰蝶も目を細め、静かに感動を表した。
「今の時代じゃ、水揚げから冷蔵保存、衛生管理まで徹底されてますからね。だから、生の魚も安全に食べられるんですよ。」と、大将は胸を張った。
何を言っているか、正確には理解できなかったが、きっとこの未来の人々が、長き年月をかけて築き上げたものなのだと、二人には感じ取れた。
食後、帰蝶がふと問いかけた。
「……これほどのもてなし、お代は……どうすれば?」
大将は手を振って笑った。
「ああ、お代は結構です!ほんと、今回は特別ですから!」
信長は深く一礼した。
「……馳走になった。」
帰蝶も静かに頭を下げる。そして二人は、まるで新たな旅立ちのように、静かに寿司屋を後にした。
未来の風は、思いのほか優しかった。
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