第2話 はじめてのズル


 真夜中三時三十三分。


 みくは布団から飛び起きた。


「もう無理!」


 引き出しから溢れ出す光が、部屋中を金色に染めている。チケットが、まるで心臓みたいにドクンドクンと脈打っていた。


 みくは震える手でチケットを取り出した。


「あやかちゃんに友だちができますように」


 ペンが紙に触れた瞬間──


 ビカッ!


 部屋が真昼みたいに明るくなった。みくは思わず目を閉じる。


 そして──


 何かが、変わった。


 世界の歯車が、カチッと音を立てて動いたような、そんな感覚。


 目を開けると、チケットは跡形もなく消えていた。手の中には、キラキラ光る金色の粉だけが残っている。


「消えた…本当に消えた」


 みくは金色の粉を見つめた。すると、粉は風もないのにフワッと舞い上がり、窓の隙間から外へ飛んでいった。


 まるで、願いを届けに行くみたいに。


 朝、みくはいつもより三十分も早く目が覚めた。


 ドキドキして眠れなかったせいだ。


「早く学校行かなきゃ!」


 朝ごはんもそこそこに、みくは家を飛び出した。


 学校に着くと、まだ校門も開いていない。


「早すぎた…」


 でも、待ちきれない。


 あやかちゃんは、どうなっているだろう。


 本当に友だちができたのかな。


 それとも、ただの夢だったのかな。


 八時、教室のドアを開けた瞬間──


「きゃあああ!あやかちゃんの髪飾り、超かわいい!」


「どこで買ったの!?教えて教えて!」


「私も同じの欲しい〜!」


 みくは、自分の目を疑った。


 教室の中央で、女子たちがあやかを囲んでキャーキャー騒いでいる。昨日まで無視していた子たちが、まるで親友みたいに。


 あやかは戸惑いながらも、嬉しそうに笑っていた。


「えっと、これ、お母さんが…」


「お母さんセンスいい〜!」


「ねぇ、今日の放課後一緒に帰ろ!」


「え?いいの?」


「当たり前じゃん!ね、みんな?」


「もっちろん!」


 みくの心の中で、天使みくがブレイクダンスを踊った。


「やったで!あやかちゃん、笑ってる!」


 でも同時に、みくは気づいた。


 自分のカバンが、妙に軽いことに。


「あれ?」


 カバンを開けて、みくは凍りついた。


 ない。


 大切な水色の筆箱が、どこにもない。


「筆箱…ない」


 去年の誕生日、お母さんが「みくの好きな色でしょ」って選んでくれた筆箱。クマのシールとか、星のシールとか、思い出のシールをいっぱい貼った、世界に一つだけの筆箱。


 それが、忽然と消えていた。


 みくの心の中で、悪魔みくが腕を組んだ。


「ほら〜、言ったじゃん。タダじゃないって」


「でも、筆箱なくなっちゃった…」天使みくもしょんぼり。


「これって、交換?」


 授業が始まっても、みくは上の空だった。


 隣の席のしゅんたにペンを借りながら、モヤモヤした気持ちでいっぱい。


 ──嬉しいような、悲しいような。


 ──正しいような、間違ってるような。


 給食の時間。


 あやかは女子グループに囲まれて、楽しそうに食べていた。


「ねぇ、あやかちゃんって絵上手なんでしょ?」


「え?なんで知ってるの?」


「だって、ノートの隅っこにいつも描いてるじゃん」


「見てたの!?恥ずかしい〜」


 みんなが笑う。あやかも笑う。


 幸せそうな光景。


 でも、みくだけは笑えなかった。


 だって、これは──


 放課後、教室の窓に何かがぶつかる音がした。


 コンコン。


 振り返ると、窓の外にクロノがいた。逆さまにぶら下がって、器用に窓を叩いている。


 みくは周りを見回してから、そっと窓を開けた。


「やぁ、どう?初めての『ちょっとズル』の感想は?」


 クロノは窓から飛び込んできて、みくの机の上に着地した。そして、なぜか猫じゃらしを取り出して遊び始める。


「ちょっと!真面目に聞いて!」


「聞いてるよ〜」


 猫じゃらしに夢中なクロノ。


「なんで筆箱が消えたの?」


「ああ、それ?」


 クロノは猫じゃらしを置いて、急に真顔になった。


「世界はバランスが好きなんだよ。何かを得れば、何かがズレる」


「ズレる…」


「そう。君があやかちゃんに『友だち』をあげた分、君の大切なものが一つ、世界から消えた」


 クロノは、みくの顔を覗き込んだ。


「後悔してる?」


「…分からない」


 正直な気持ちだった。


 嬉しい。


 でも悲しい。


 よかった。


 でも後悔もある。


「人間って面白いよね」


 クロノは窓枠に飛び乗った。


「正解を求めるくせに、正解なんてないことを心の底では知ってる」


「クロノは…人間じゃないの?」


「さぁね。僕は僕さ」


 夕日が、クロノの黒い毛並みを赤く染める。


「あ、そうそう。プレゼント」


 クロノがしっぽをピンと立てると、みくの机の上に何かが現れた。


 新しいチケット。


「えっ!?なんで!?」


「君の心が呼んだんだよ。『もっと使いたい』って」


「そんなこと思ってない!」


「本当に?」


 クロノの金と青の目が、じっとみくを見つめる。


 みくは何も言い返せなかった。


 だって──


 本当は、少し思っていたから。


 もし他の子も助けられるなら。


 もし他の問題も解決できるなら。


 ちょっとくらい、ズルしてもいいんじゃないかって。


「じゃあね。また会おう」


 クロノは窓から飛び出していった。


 残されたみくは、新しいチケットを見つめる。


 使う?


 使わない?


 でも、その前に──


「新しい筆箱、買いに行かなきゃ…」


 みくは苦笑いを浮かべた。


 帰り道、文房具屋さんに寄った。


 色とりどりの筆箱が並んでいる。でも、どれを見ても、なくなった筆箱の代わりにはならない気がした。


「これでいいや」


 結局、一番安いシンプルな筆箱を選んだ。


 レジでお金を払いながら、みくは思った。


 ──ズルの値段って、いくらなんだろう。


 家に帰ると、お母さんが不思議そうな顔をした。


「あら?筆箱新しくしたの?」


「う、うん。前のが壊れちゃって」


 また嘘をついた。


 嘘ばっかり。


 ズルばっかり。


 でも──


 夕飯の時、みくはふと思い出した。


 今日のあやかちゃんの笑顔を。


 心の底から嬉しそうな、あの笑顔を。


 ──筆箱一つと引き換えなら、安いのかもしれない。


 そう思った自分が、ちょっと怖かった。


 夜、みくは新しいチケットを見つめていた。


 すると、チケットがかすかに震えた。


 まるで、生きているみたいに。


「気のせい…だよね?」


 みくは急いでチケットを引き出しにしまった。


 でも、眠りについても、夢の中でチケットが光っていた。


 金色の光に包まれて、みくは不思議な夢を見た。


 チケットが、どんどん増えていく夢を。


***今日の決め台詞***

「神様、ちょっとだけズルしてもバチ当たらないよね?」

(心の中で何度もつぶやいた)


****

大切なものと引き換えでも、友だちを助ける?

筆箱の値段と、笑顔の値段、どっちが高い?


(第2話 完)

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