占う覚悟
そう言うと、ミオは立ち止まった。すぐそばに、公園の生け垣がある。そこに近づいてしゃがむと、生け垣のわずかな隙間に手を突っ込んだ。
「先輩、何して――」
咲希は言葉を止めた。ミオが引っ張り出したのは、彼が「置き忘れた」と言った花屋の紙袋だった。
「月ヶ瀬の家に向かうとき、こっそりここに隠したんだ。誰かが持っていったかもと思ったが、見つからなかったようだな」
ぽかんとしている咲希に向き直ると、ミオは続けた。
「もうひとつ、あんたに言っておかなければならないことがある。金曜日、俺は土屋を尾行した。土屋のバイト先は、今日行ったあの花屋だ」
言われて、ああ、と声が出そうになった。
だからミオはあの日、五時を待たずに部活を終わらせたのだ。
何かあるだろうとは思っていたが、まさか尾行していたとは思わなかった。
ミオも青羽も、そして咲希も、今日のためにあの花屋で花を買ったということになる。土屋のバイト先でもある、あの花屋で。
「昨日の午後、俺は青羽に連絡を取り、電話で花を注文するよう勧めた。青羽は土屋と同じ英語部で、土屋のバイトのシフトについても詳しく知っていた。水曜と金曜に二時間、土曜の午後に四時間という形で働いているそうだ」
「電話で……ということは、土屋さんが青羽さんの注文を受けたんですか?」
「青羽は『電話口に出たのは女性だった』と言っていたから、おそらくそうだろう。緊張していて土屋だということに気づかなかった、もしくは土屋が別人を装ったか、悟られないように演技をしたか――そのあたりは不明だ」
指先がにわかに震え出すのがわかった。ミオは声の調子を変えずに続ける。
「俺も青羽とまったく同じ内容で注文をした。『予算三千円、赤いバラだけで作ったフラワーバスケット』と。俺が電話をしたときに対応したのは男性だった。おそらく今日いた店員だろう。あの花屋は、事前に電話で注文をすると希望どおりのものを用意しておいてくれる。店に行ってフルネームを名乗るだけでいい。俺も土曜の夜に電話して午前中に取りに行ったが、注文した内容――花の種類については何も確認がなかった」
そう言うと、ミオは紙袋を開いてフラワーバスケットを取り出した。それは青羽がプレゼントしたものとそっくり同じものに見えた。赤いバラで満たされた、華やかな籠。
けれど、すぐにわかった。
「これ……トゲがないですね」
「そうだ。これはラナンキュラスという花だ。ぱっと見はバラに似ているが、よく見ると花びらや葉の形が違う」
はあ、と咲希は思わず息をついた。
「ミオ先輩、紙袋をすり替えたんですね」
「そうだ。これは青羽が買った花。あのときまで、青羽が持っていた紙袋だ」
フラワーバスケットを袋に戻すと、ミオは紙袋を持った手を軽く持ち上げた。
「噴水広場で青羽の紙袋の中を見て、バラではなくラナンキュラスであるとすぐに気づいた。だから仕掛け時計の時間に合わせてトイレに行く振りをして、全員が時計に注目している間に紙袋をすり替えた。ラナンキュラスを元通り、バラに戻したんだ」
ミオが一言話すごとに、組み上げたパズルが音を立てて崩れていくようだった。――まさか。そんな。
「つまり……土屋さんが、青羽さんに注文されたお花の種類を、勝手に変えた、ってことですか」
ああ、とミオはあっさりうなずいた。
「土屋は青羽の注文内容を勝手に変更した。バラからラナンキュラスにな。花に詳しくなければ、ちょっと見ただけでは違いがわからない。青羽がバラだと言ってプレゼントすれば、月ヶ瀬もそうだと思っただろう。問題は、なぜ土屋がこんな工作を施したのか、ということだ」
記憶の中にある土屋の表情が、これまでとはまったく違うものに見えてくる。土屋が占ったのは月ヶ瀬のことだ。だがその動機が、「月ヶ瀬のため」とはまったく正反対のものだったとしたら。
「……花言葉ですか」
「ようやくわかったか」
ミオがため息まじりに言う。
「あの花屋には俺も何度か行ったことがあってな。あの花言葉一覧表は、ずいぶん前から貼られているものだ。土屋も日常的に目にしていただろう」
「なんとなく、想像はつきますけど……バラの花言葉って、何なんですか」
「あの一覧表には、『あなたを愛しています』とあった。土屋はこれを月ヶ瀬への告白の道具だと解釈した。そこでラナンキュラスに変更したんだ。『晴れやかな魅力』という意味の花にな」
「それも、考えようによっては告白だと受け取れるのでは?」
「メッセージの形にはなっていないだろう。土屋なりの悪あがきだ」
おかしいとは思っていた。青羽たちと待ち合わせをしたり、プレゼントの紙袋を置き忘れたと言ったり。土屋と花が結びついていなかったこともあるが、深く考えようとしなかったのは、ミオにこうして驚かされることを期待していたからなのかもしれない。
いや、それよりも。
――自分のした占いの行方を、最後まで見届ける役に徹してほしい。
このミオの言葉の裏にある意味に、なんとなく気づいてしまったせいかもしれない。
必死に見ない振りをしようとした、受け入れがたい真実に。
「土屋は成沢の占いを聞いて誕生日会に行くことを決めた。自分自身の『出会い』に期待していたんじゃない。月ヶ瀬と天道の『出会い』を演出したうえで『見落とし』がないように、青羽のプレゼントの中身を確認しに来たんだ。天道と駅で偶然出会ったというのは、おそらく嘘だろう」
胸が突かれたように痛んだ。これ以上聞きたくない。けれど、知りたい。確かめずにはいられない。
青羽のプレゼントの中身は、ちびかわのマグカップ。そして、手紙だ。
「周囲を気にしていたうえにかなり素早い動きだったが、土屋が青羽の手紙を抜き取ってバッグにしまったのがばっちりと見えた。だから帰る土屋を追いかけ、手紙を取り戻した」
「じゃあ、あの風船の破裂も……」
震える咲希の声に、ああ、とミオはうなずく。
「知ってるか? 柑橘類の皮に含まれるリモネンという成分は風船のゴムを溶かすんだ。全員が月ヶ瀬とプレゼントに注目している間に、オレンジの皮をしぼって汁を吹き付けた。この方法だと針で割るのとは違って、破裂するまでに少し時間がかかる。吹き付けた後、すぐにプレゼントのテーブルまで移動して、全員が風船に目を向けた瞬間に手紙を戻した」
ミオは咲希の正面に立つと、まっすぐに視線を向けた。
「これは全部、あんたの占いの結果だ。それがなければ、青羽から電話を受けて『ワナ』をしかけようとは土屋も考えなかったかもしれない」
震えていた指先はすっかり冷たくなっていた。
土屋が占いをしにきたのは、月ヶ瀬の恋愛のためではなかった。月ヶ瀬につきまとっている腐れ縁男子――つまり、青羽を彼女から引き離すためだった。
土屋は、同じ英語部の青羽に恋心を抱いていた。だが青羽は月ヶ瀬のことが好きだとすぐに気づいた。月ヶ瀬と青羽の関係を断つことができれば、自分にもチャンスがあるかもしれない。そう考えたのだろうか。
「ちなみに青羽に聞いたところ、木島の出身中学は月ヶ瀬とも土屋とも違うようだ。月ヶ瀬に対してどういう思いを持っているのかはわからないが、俺が今日見た感じでは青羽の恋敵だとは思えなかった。まあ、真相はわからないがな。今回は関係ないだろう」
木島はヘビではなかった。「恋人」のカードを見て、土屋は女性に月ヶ瀬を、男性に青羽を、そしてヘビに自分を重ねた。ヘビは、土屋だったのだ。
「土屋には謝っておいた。成沢の占いが原因で振り回してしまって申し訳なかったと」
「土屋さんは……なんと言っていましたか」
「素人の占いなんてそもそも信じてない、関係ないと言って去っていった」
「……そう、ですか」
全身から力が抜け、思わず乾いた笑いが漏れた。ミオの目が、がっと見開かれる。
「おい、わかっているのか」
そう言って、一歩咲希へと近づく。
「あんたの占いのせいで、青羽と月ヶ瀬の運命を変えてしまうところだったんだぞ」
その言葉が、咲希の胸に重くのしかかった。倒れこみそうになるのを必死にこらえ、拳をぐっと握りこむ。
「それは、そのとおりです。ミオ先輩がいなかったら、どうなっていたのかわかりません」
本来なら、感謝するべきところなのだろう。だが、それはできない。
信用されていなかった。「何もするな」と言って、咲希の失敗――間違いを、種明かしのように突きつけた。「ほれ見たことか」と言わんばかりのそのやり方が、咲希にはただただ悲しかった。
「でも」
泣きそうになるのをこらえながら、必死に声を絞り出す。
「でも、土屋さんに『ワナ』をしかけさせたのは、ミオ先輩じゃないですか」
――違う。本当は、こんなことを言いたいんじゃない。
けれど、何かを言い返さないと心と体がばらばらになってしまいそうだった。
「ミオ先輩が青羽さんに花を買うよう仕向けなければ、土屋さんはあんなことはしなかったはずです」
言い終わると同時に、咲希は顔を隠すようにうつむいた。
はあ、とミオがため息をつく。肩がびくりと震えた。
「そうとは言い切れない。あんたの占いがなければ、青羽から注文を受けても何もしなかったかもしれない。それどころか、花言葉にとどめを刺されてあきらめていたかもしれない」
――そうだ。そのとおりだ。
「あんたの占いが土屋にいたずらな希望を与えた。その結果、土屋はしなくていい悪事に手を染め、余計な人物を放り込むことで誕生日会の空気を乱すことになった」
じわりと顔が熱くなってくる。「でも」と震えた声で咲希は言った。
「でも、月ヶ瀬さんは、天道さんに会えて喜んでいました」
「それは、土屋の立場や場の空気を保つための演技だったのかもしれない。ついでにもうひとつ言っておくと、土屋のプレゼントした髪飾りについていた花。あれはおそらくアネモネだ。花屋の一覧表に載っていたアネモネの花言葉は、『はかない恋』だ」
ミオがスマホを咲希の顔の下に差し出す。いつの間に撮ったのか、そこには花屋の花言葉リストの写真が映っていた。
「土屋の占いの裏にあったのは、月ヶ瀬への友情ではなく敵意だった。それを見抜けなかったあんたの占いは、人の運命を変えるどころか歪めるだけのものだった」
ぽたり、と涙がアスファルトの地面に落ちた。ミオのスニーカーのつま先が見えた。泥はもちろんホコリひとつついていなさそうな、きれいなスニーカー。ハの字に並んだ自分のスニーカーには、いつかの雨の汚れがまだ残っている。
「これでわかっただろう」
子どもを諭すようなミオの声が、咲希の胸をびりびりとつつく。
「占いは、人を傷つけることだってある。その覚悟が、あんたには最初からない」
「……どうして、そんなことがわかるんですか」
咲希は静かに目を上げた。前髪の下の黒目が、まぶたで半分覆われている。
「俺自身、覚えがあるからだ」
独り言のようなその言葉に、咲希の呼吸が止まった。何かを思い出しているような、後悔しているような、苦しんでいるような、そんなミオの瞳をじっと見つめる。
「こちらがどれだけ真摯に占いに向き合ったとしても、占ってくれと言ってくる側にそれを求めるわけにはいかない。占いに来る人間の動機は、大体が自分勝手な欲望だ。その中でも一番多いのが、恋愛相談だ」
いやな言葉を口にしたとでも言うように、ミオは顔を歪めた。
「俺は、これが大嫌いだ。恋愛は人を盲目にする。自分の思いを叶えたいあまりに周囲を振り回し、へたな小細工をして自分も相手も傷つける。土屋を見ろ。無様だろう」
無様、という言葉で、咲希は首を横に振った。
「そんなこと、ないです」
土屋の表情や態度、言葉を思い出す。その裏にあったのは、確かに月ヶ瀬への敵意かもしれない。けれどその敵意を引き起こしたのは、青羽への純粋な思いだったはずだ。
いつ、好きになったんだろう。同じ部活であることがきっかけなら、入部早々気になり出したのかもしれない。となると、もう一年。一年ずっと、青羽への思いを抱えてあの校舎に通い続けていたんだとしたら……
「私は、土屋さんの気持ちがなんとなくわかります。きっと、すごく悩んだんだと思います。誕生日会を断ったのだって、本当は用事があったからじゃないかもしれない。月ヶ瀬さんには敵わないからと、青羽さんのことをあきらめようとしていたのかもしれない。でも、あきらめきれなかった。だから赤上さんに占いのことを聞いて、最後に賭けてみようと思ったのかもしれない。何もしないで終わりにしてしまうより、占いでもなんでもいいから、何かヒントをもらって行動をしたかった。その土屋さんの思いを、勇気を、私は尊敬します」
「尊敬したから何だと言うんだ。結果はこのとおり、失敗だろう」
「たしかに、失敗でした。私はあのとき、土屋さんじゃなく私自身のことを意識してしまっていたんです。恋愛相談が苦手なこと、タロット占いに自信がないこと、ミオ先輩の前でうまく占えるのか不安なこと……そういうマイナスの感情に飲まれて、土屋さんのことをしっかり見られていなかったんだと思います」
でも、と咲希は声に力をこめた。
「失敗から学べることだってあります。私は、まだ占いをあきらめたくないんです」
真正面から、しっかりとミオの目を見て告げる。
「土屋さんには、私からちゃんと謝ります。そのうえで、もう一度占わせてほしいとお願いしようと思います。今度こそ、土屋さん自身の声を聞いて、土屋さんとまっすぐに向き合って、カードのメッセージを届けたいんです」
ミオはしばらく咲希を見つめていた。眉間のシワが、いっそう深くなる。
「俺の言ったことを、理解できなかったのか。人は、勝手なんだ。自分が一番大事で、他人のことなんか何も考えてないんだよ。土屋はあんたの占いを必要としていないし、そもそも今さら受け入れるわけがないだろう」
「それは、聞いてみなければわかりません。私は、土屋さんのために……私のために、占いをします。そして、これからも続けていきます」
咲希の言葉を受け、ミオは顔をそむけた。そうして、「はっ」と笑う。
「私のために、か。やはりな。そうだと思っていたんだ」
「何のことですか」
「あんたが占いをやりたい理由だ。他人のためなんかじゃない。自分のためにやっているんだろう」
瞬間、エリの顔や中学時代の思い出が頭をよぎった。
「友達を作る手段か? それとも、タロット占いがうまくできるようになれば人気者にでもなれると思ったか? 本当に甘いな、あんたは」
「自分のためで、何が悪いんですか」
ミオの言葉を壊すように、声に力をこめてぶつける。
「人はみんな、自分のために――自分の喜びのために生きてるんです。やりたいことをして、欲しいものを欲しがって、いったい何が悪いんですか」
――タロットなら。タロットなら、きっと、できる。叶えられる。
そうしたらようやく私、自分のことを好きになれる。
脳の奥深くに押し込めた思いが、ぼんやりと浮かんでくる。
ミオは唇を閉じて咲希を見た。見開かれた目に、激しい感情が宿っているのがわかる。
「……ふざけるな」
低くつぶやくような声が、アスファルトに落ちた。びくりとして、逃げるように目を伏せる。
「これ以上占いを続けようと言うのなら、俺はもう知らん。勝手にしろ」
ざん、と紙袋が咲希の足元に落とされた。中からのぞく赤い花が、遠ざかっていく足音の意味を知らないまま、静かに咲希を見上げていた。
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