第24話 遷都

 アクナテン治世六年、第二季、四月十三日、早朝。

 マルカタのビルケットハブの港から、船首にウジャトの目が描かれた美しい船が航行をはじめた。

 アクナテン王とネフェルティティ王妃、長女のメリトアテン、二女のマケトアテンの乗った船である。

 王は青い王冠を被り、リネンの長衣を身にまとい、白いサンダルを履いている。王妃は頭の平らな冠を被り、白いひだのある亜麻の服を身にまとっていた。

 二人と娘達は完成間近のアケトアテンへ向かったのだ。

「よいよぼくらの夢の都ができあがる」

 アクナテンの瞳は優しくそれでいて情熱に輝いていた。

「平和な世の幕開けですね」

 ネフェルティティは大きくなったお腹を摩る。

 お腹の子は、後にツタンカーメンの妻となり波乱の生涯を送ることになる三女アンクエスパアテン王女だ。

「神の愛によってエジプトが世界が愛でひとつの世界となるのだ」

 アクナテンは東の空を瞬きもせず見つめた。

 東の空が金色に輝き始める。

 船の甲板に朝陽が降り注ぐ。

 王と王妃は船首でアテンの輝きに包まれた。


 太陽が天頂で白く冴え返っていた。

 新都に入ると職人たちや兵士たちが急がしそうに動き回っている。

 王と王妃を警察長官のマフが武装した警察部隊を指揮し警固していた。

 アケトアテンに着いた二人はすでに完成していたメインストリートにやってきた。

「お待ちしていました」

 アイの息子で戦車隊長のナクトミンが、琥珀金という天然に存在する金と銀の合金で装飾された二頭立ての戦車を用意していた。

 

「行こう、輝けるアケトアテンへ」

 アクナテンは王妃の手をとり、戦車にゆるりと乗り込んだ。

 従者がメリトアテンとマケトアテンを戦車に乗せた。

 マフは戦車の前に立ってアクナテンとネフェルティティに向かって、敬意のしるしに両手を上げる姿勢をとる。

 マフの後ろの、行列の先駆けをする警察の先遣隊も振り返り、王と王妃に両手を上げてお辞儀をした。

 先導する警察の先遣隊に続き、煌びやかな王と王妃の戦車が進み出す。

 二頭の白馬の頭には赤青白の派手な羽根飾りが、胴体には色鮮やかな馬装が施されている。

 人々が声を上げた。

 大喝采が波のように拡がった。

 アクナテンは笑顔をネフェルティティへ向けた。

 王妃も嬉しそうにそれに応える。

 二頭の馬は大通りを規則正しく前進した。

 王と王妃の姿が現れると人々から歓声や歌が沸き上がった。

 空は清々しく晴れ渡り、大地は喜びに震えた。

 アクナテンは見事な手綱さばきで馬車を走らせた。

 ネフェルティティが振り、王の瞳を見つめ情熱的なキスをする。

 メリトアテンは馬車から身を乗り出して、仲の良い両親の姿に頬をピンクに染めた。

 やがて戦車がアテン大神殿に着くと王と王妃はその場に降り立ち、

「アケトアテンの聖域を決める儀式を執り行う」

 アクナテン王は高らかに宣言した。

 民衆の顔が一斉に輝き喜びの声を上げた。

 アクナテン王とネフェルティティ王妃の姿を見た人々の心は幸せに満たされた。

 アクナテン王はアテンの境界線決定のこの日、香料、薬草類、ビール、ワイン、パンを捧げ、山羊、鳥、牛を、生け贄として捧げた。

「奴隷を生け贄として神に捧げる番じゃ」

 テーベで長年の間、アメン神官の元でこの儀式をさせられていた老人が呟いた。

「だがアテンの神は人身御供は望まないとファラオが仰ってたぞ」

 そう誰かが周囲に聞こえるように呟いた。

「みろ、アテンの神官達だ」

 指を指した所を見ると警察にガードされた奴隷達も歩いてやって来る。

「やっぱり生け贄の奴隷だ」

 大神殿の前がざわめき始めた。

「奴隷達を連れて参れ」

 巨大な柱廊玄関の前でアクナテン王がよく通る声で命じた。

 すぐに警察長官マフが部下達とともに百人ほどの奴隷を連れてきた。

 奴隷達は皆生け贄にされるのだと怯えている。

「愛と光と平和の神、アテンの名の下で、そなた達に自由を与える。国に帰るなりアケトアテンの市民となるなり自由に選ぶがよい」

 アクナテン王はそう言うと静まりかえっていた会場が嵐のような歓喜に包まれた。

 奴隷だった者たちは涙を流し、暴動を起こすどころかファラオの前に両手を上げ頭を下げた。

 アクナテン王はアメンの神官たちのように、戦争で捕虜となり奴隷にされた人々を式典の生け贄にしなかったのだ。

 こうしてアクナテン王によって九つの境界碑が建てられアケトアテンの聖地の範囲が決定された。 

 アクナテン王は境界碑に新都のことを刻ませた。

「アテンは王の名において都を建てることを余に望んだ。なぜなら、アテンの都に余を導いたのはわが父アテンであるからだ。貴族が余をこの地に導いたのではない。王がこの地にアテンの都を築くことを余に告げたものはエジプトにいなかった。わが父アテンが、この地に神の都を建てるよう余を導いたのだ。この聖なる地はどの神々にも人々にも属することはなく、知られてもいないのだ。」

 アケトアテンでの丸一日の祝典が終わると、翌日、アクナテンとネフェルティティは港から船に乗り、下ナイルへ向かった。行政の首都メンフィスと創世神話発祥の地ヘリオポリスに造られたアテン神殿を訪れるために。


 その後、王と王家の一族は、新都の完成前にアケトアテンに移り住み遷都した。ただ、太后ティイの姿は新都になかった。

「母上、どうしてアケトアテンに来て下さらないのですか?」

 メンフィスとヘリオポリスでのアテン神殿の祝典から帰ってきたアクナテンはマルカタの太后ティイの元を訪れていた。

「アケトアテンはファラオと王妃の城です。わたしの居場所はあそこにはありません」

 ティイはバルコニーに立ち西に沈む太陽を眺めた。

 西には王家の谷がある。そこには歴代の王家の壮麗な地下墓が無数にあり、亡くなった夫、アメンヘテプ三世も永遠の眠りについていた。

「母上……」

 アクナテンは母の横顔を見つめた。

 ティイは小柄な婦人だったが、切れ長の目は力強さに満ち、突き出した頬、すじの通った鼻、薄い口元は強い意志を、広い額は深い知恵と聡明さを感じさせた。

 ティイは語り続けた。

「アテンの栄光はファラオと王妃によって導かれ、人々にあまねく降り注がれるのです。アテン神とファラオ、王妃は一体でなければなりません」

「では母上は」

 アクナテンは唇を固く結んだ。

「アケトアテンにはネフェルティティ王妃がいます。王妃は人々に尊敬され愛される存在となりました。わたしはマルカタの王宮に残り、テーベのアメン神官団に目を光らせます」

 ティイはそこまで言うと寂しそうな目で見つめる息子に微笑んだ。

「母上、ありがとうございます」

 アクナテンは涙を浮かべ母の肩を抱き締めた。

 執事のサフテをはじめティイ古参の家臣団がマルカタに残っているものの、父王のいない王宮に老いた母を一人残して新都に行くことはとても忍びなかった。

「さぁ、行きなさい新しい時代を築くのです」

 太后ティイは若きファラオの背中を押した。

「必ずや」

 アクナテン王は決意を胸に秘め太后ティイが住むマルカタの王宮から立ち去った。


 アクナテン王がビルケットハブの港に停泊中の船に乗り込もうとしていたら、桟橋に二人の女性がファラオを待っていた。

「イシスにキヤではないか」

 アクナテンはよほど嬉しかったのか、二人の肩を何度も軽くたたく。

「覚えていて下さり嬉しゅう御座います」

 イシスはにっこり微笑みキヤは頬を赤らめている。

「テーベでのコンサートは素晴らしかった。あの時のイシスの歌声を思い出すと今でも心が震える」

 アクナテンはこれ以上無いと思えるくらい目尻を下げイシスを見つめた。

「殿、褒めすぎですよ」

 イシスは恐縮するどころか嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。

「わざわざ見送りに来てくれたのか」

「殿にお願いがあってまいりました」

「どうしたのだ」

「キヤを新しい都に連れて行って下さい」

 イシスとキヤがファラオの足下に跪く。

「アテン神の歌姫になりたいのです」

 キヤが真剣な眼差しでアクナテンを見上げた。

「二人ともそのようなことをしなくてよい」

 アクナテンはにっこりしてイシスとキヤの手をとった。

 イシスとキヤは揃ってアクナテンの前に立つ。

「キヤは太陽の都にふさわしい歌姫です」

「よく存じている」

「ならば」

「よかろう、ただし条件がある」

「何なりと」

「イシス、そなたもキヤと一緒に来て欲しい」

「わたしもいいのですか」

「無理にとは言わないが」

「ありがたき幸せでございます」

「イシスさま」

 キヤは嬉しくて涙を流した。

 こうしてアメンの歌姫イシスとキヤはアテン神に改宗して、アテン神の歌姫として太陽の都に行った。

 太陽の都でのイシスとキヤの活躍はめざましく、多くの人々の心を震わせた。

 やがてキヤはアクナテン王に見初められ第二王妃となった。

 それに伴いキヤの兄ホルエムヘブはアテン神に帰依、パアテンエムヘブと名乗り、アクナテン王にとりたてられ将軍となった。 


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