第9話 Bパート
焚き火の光が、ゆらりと揺れた。
風が通り抜け、火の粉が空に舞い上がる。夜空は雲に覆われていたが、星の気配は遠く、かすかに光の粒が瞬いていた。
「……この村、全部焼かれたんだよね」
セイルがぽつりと呟く。
「うん。たぶん、意図的に」
ユリシアが火を見つめながら応じた。「ただ壊すだけじゃなくて、証拠を消すような火の入れ方だった」
「誰が……なんで?」
「まだわからない。でも、魔物の痕跡が残ってた。それも、普通じゃないやつ」
ユリシアは小さく眉をひそめた。
「普通じゃない?」
「足跡が……地面を“焼いてた”んだ」
ユリシアの言葉に、セイルの表情が固まる。
「炎の魔物……?」
「たぶん、それも違う。炎の魔物なら、焦土が広がっているはず。でも、焼け跡は“線”になってた。まるで通った場所だけが溶け落ちたみたいに……」
沈黙。
火の爆ぜる音が、静寂の中で大きく響く。
「ねえ」
イリスのかすかな声が、その沈黙を破った。
「この世界には、“呪炎”って呼ばれる存在がいるの。
昔、禁術で生まれた、呪いの火。……人間の“痛み”や“執念”を糧にして燃え続ける魔力の炎」
ユリシアが顔を上げた。「それ……どこで?」
「私が生まれた場所で……古い文献を読んだの。信じてなかったけど、今思えば……」
イリスの瞳が、ちらりとユリシアを見た。
その目は、何かを恐れていた。
「その呪炎は、一度取り憑いた魂を焼き尽くすまで離れない。
そして、それを操る者は、“器”を通じてその力を自在に扱えるって」
「器……?」
ユリシアの心臓が、静かに脈打った。
「まさか……」
自分が“祝福の器”と呼ばれていること。
その言葉が、違う意味を持ち始める。
「この力は、祝福なんかじゃない。呪い、なのか……?」
思考が揺れる。胸の奥がざわつく。
セイルが立ち上がり、険しい顔で言った。
「だったら、見つけよう。この村で何があったのか。誰がそれを仕組んだのか。……それが、君たちの力の真実につながるなら、なおさら」
「セイル……」
「僕はもう、ただの“おまけ”じゃいられない。君たちに守られるだけの存在じゃいたくないんだ」
その言葉に、ユリシアははっとした。
少し前まで、無力感に沈んでいた少年の瞳に、確かな光が宿っていた。
「……頼もしくなったな」
ユリシアが笑う。
「ありがとう、セイル」
イリスも、静かに微笑んだ。
燃える火は、少しだけ大きくなっていた。
焚き火の赤が、揺れる草の陰に奇妙な影を落としていた。
ふと、セイルが地面を指差す。
「……ねえ、これって」
その場所だけ、土が焦げたように黒ずみ、中央に赤黒い“印”のような模様が刻まれていた。
「……魔法陣?」
ユリシアがしゃがみ込み、手でなぞる。
感触は、普通の土とは明らかに違っていた。まるで、乾いた血をこすっているような、ざらついた感触。
「これ、ただの魔法陣じゃない……封呪式。
何かを“封じる”ためじゃなく、逆に“開く”ための……」
イリスの声が震えた。
「呼び出し……?」
ユリシアが顔を上げる。「何かを、この村に?」
「……それも、強いものを」
イリスは、かすかに頷いた。「人の力では抑えきれない、“何か”」
セイルが思わず一歩引いた。「でも、そんなの……なんで?」
「理由はわからない。でも、この村は、ただの“通り道”だったかもしれない」
ユリシアの目が、暗く光った。「誰かが、“何か”を通すために焼いた。
それを見られたくなかったから、村ごと跡形もなく消した」
イリスが、そっと唇を噛む。
「……じゃあ、もしその“何か”がまだこの近くにいるとしたら?」
3人の間に、重たい沈黙が落ちた。
焚き火の火が、パチン、と音を立てて弾ける。
その瞬間——
背後の森から、ふっと冷たい風が吹き抜けた。
どこか遠くで、ギィィ、と鉄が軋むような音がした。
「……来るかもしれない」
ユリシアがゆっくりと立ち上がる。剣の柄に手をかけた。
「“何か”が、まだ終わっていないのなら。
僕たちは、それを迎え撃つ覚悟を持たなきゃいけない」
セイルも、きゅっと拳を握った。「僕も戦うよ。たとえ何が来ても」
イリスは二人の姿を見つめ、そしてうっすらと微笑んだ。
「じゃあ、せめて……夜明けまでは、火を絶やさないようにしよう」
燃え続ける火。
それは、3人の不安と覚悟を照らす、ささやかな“命”だった。
風が止んだ。
まるで何かが、息をひそめているかのような夜だった。
ユリシアは焚き火のそばで、剣を膝に置いたまま目を閉じていた。眠っているわけではない。耳を澄まし、闇の奥に潜む気配を探っている。
イリスは少し離れた場所で、火を守るように小枝をくべていた。
揺れる炎に照らされた彼女の横顔は、どこか幼くも、凛として見えた。
セイルは寝袋の中で、瞼を閉じたまま呼吸を整えている。けれど、彼の心は眠っていなかった。
(強くなりたい)
誰の役にも立てない自分が、悔しかった。
──あの時、僕がもっと早く動けていたら。
──僕がもっと……力を持っていたら。
どんなに笑顔でいても、ユリシアの目の奥には、いつも翳りがあった。
イリスも同じ。優しいけれど、心のどこかを見せてくれない。
(それはきっと、僕に何もないからだ)
だから、彼は決めていた。
この旅の中で、何があっても逃げない。
傷ついても、転んでも、置いていかれても。
(僕も、あの火の中にいるんだ)
ぽつん、と夜空から一粒、星がこぼれ落ちるように流れた。
ユリシアがそっと目を開け、空を見上げる。
「夜明けまでは、まだ少しかかるな……」
そのつぶやきに、イリスがかすかに微笑んだ。
「でも、火はまだ生きてる。ね?」
「……ああ」
ユリシアは炎を見つめる。
それは命のように、静かに、確かに燃えていた。
——そして。
その火が、かすかに揺らめいた瞬間。
森の奥、暗闇の中から“音”が聞こえた。
ぎし、ぎし……と、まるで何か重いものを引きずるような、低く湿った音。
3人は顔を見合わせた。
「……来る」
ユリシアの声は静かだった。
イリスはそっと頷き、目を閉じて呼吸を整える。
セイルも、寝袋を蹴って立ち上がり、震える手で短剣を握った。
そのとき、ユリシアは思った。
(誰かの命の上に立っているこの力で、それでも——)
(僕は、守れるのか)
答えのない問いを胸に、彼は剣を構えた。
燃える火が、3人の影を夜へと伸ばしていた。
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