二十話 一方、人間界では

「──ミツルギ、どこ行ったんだろ」


 学校が無事に終わり、帰路に着く道中で、千秋は静かに物思いに耽っていた。ミツルギの姿はどれだけ探しても見当たらず、千秋は諦めの交じったため息を吐き出した。


「──怒らせちゃったのかもしれないし……帰ってくるまで無理に探さない方がいいのかな」


 黒髪を掻き乱し、険しい顔をする。と、後ろから駆け寄る音が聞こえた。


「──ん、」


「見つけたっ! 千秋!」


「遥斗!?」


 遥斗が勢いよくタックルしてくる。千秋は姿勢を崩しかけるが、持ち前の運動神経で何とか耐える。振り向けば、遥斗がにこにこと屈託なく笑ったままこちらを見ていたから、千秋も頬が緩み、気持ち高めの声で応答する。


「どうしたんだ? 遥斗」


「さっき萌奈たちと話しててさあ、今日お泊まり会しない? って!」


「お泊まり会?」


「うん!」


 遥斗が身振り手振りで説明をする。まとめると、遥斗の両親が家を空けるから、みんなで泊まりに来ないかということだった。


「──え、それ萌奈もいるのか?」


「うん! いるけど」


「……女の子と男が泊まりってのは……ちょっと、あれじゃないか」


「? 萌奈はお隣さんだから、寝る時は帰るよ!」


「──じゃあいい、のか?」


 千秋が首を捻る。恐らく、こんなことを言ってくるのは萌奈か雷斗が元気の無い千秋を思いやり、気を回してのことであろうし、ここで断るのも申し訳ないような気がする。


「──分かった。何時からだ?」


「えっとねー、萌奈が今雑用で残ってるから、雷斗が図書室に千秋を連れてきてって」


「戻るのか」


「うん!」


 遥斗に手を引かれ、千秋は図書室まで走る。正直、それなら電話でもかけてくれれば遥斗は走らなくて済んだのでは、と思わなくはないが、遥斗のこういうところは美点であり、無理に矯正しようとすれば萌奈から小言が飛んでくることは間違いないので、黙っておく。


**************


「雷斗ー! 千秋連れてきたよ!」


「図書室ではお静かに」


「あっ……ごめんなさい、雷斗ぉ……」


「何やってんだお前……」


 雷斗が読んでいた本を閉じ、叱責を受ける遥斗に哀れんだような視線を向ける。遥斗は怒られたことに驚いたのか少し落ち込んだように口元をもぞもぞと触っている。


「ほんとに呼びに行ったのかよ……ラインでもすればよかっただろ」


「うわ! ほんとだ! 俺走り損!?」


「今気づいたのか?」


 遥斗がまた大きな声を出し、司書さんに睨まれる。遥斗が隠れるように雷斗の後ろに行くから、雷斗と千秋は呆れたように苦笑いし、隅っこの席に着く。


「まあ、千秋が上の空じゃなく教室で声をかけた時に気づいてたら済んだ話だけどな」


「えっ、雷斗俺に話しかけてたのか?」


「嗚呼」


「えー……ごめんじゃん」


「何だそれ」


 遥斗が目をつけられているから、こそこそと小声でそんなことを話す。


「遥斗、あとどれくらいで萌奈の雑用は終わりそうだ?」


「えっとねえ、さっきのラインだと、五時には終わるって言ってた!」


「雑用って、また先生に『物置に使わない書類を置いてきて』とか言われたんだろ? 先生もいちいち萌奈に頼らなくてもいいのになぁ」


「分からないけど、萌奈はすごく要領がいいからねぇ」


 遥斗の言葉に雷斗は瞑目して納得する。萌奈は教師からの信頼を勝ち取るために普段から雑用を喜んで引き受けており、それを利用して授業を抜けて千秋を探しに行ったりする。用意周到さと思考の深さは雷斗をはるかに凌ぐほどだ。


「そうかもな……あいつは恐ろしい女だ」


「雷斗は萌奈に一体何をされたんだ……」


 雷斗が読んでいた本を後ろの棚に戻し、遥斗がそれを正しい位置に戻す。そして、雷斗がふと腕時計に目をやり、バッグを背負って立ち上がる。


「そろそろか、行くぞ。千秋、遥斗」


「りょーかーい!」


「安達さん、お静かに……!」


「また怒られてる」


「バカが」


「うぅ……雷斗ひどいよぉ……」


 遥斗が千秋に泣きつく。千秋はよしよしと遥斗の頭を撫で、そのまま図書室を出る。部活で残っている生徒以外はほとんど校舎内にいない。その上、萌奈がいる北舎は部活や委員会で使われることもなく、進む度に人が少なくなっていく。


「俺も部活とか入ればよかったかなぁ……萌奈は色んな運動部から引っ張りだこだし、俺もなんかすればよかった」


「別に急ぐ必要ねぇだろ。俺は遥斗が体育に出てるだけで心臓が止まる思いをしてんだぞ」


「それは雷斗が心配性過ぎると思うけど……俺も概ねは同意かな。遥斗が入りたい部活があるなら、全力で応援するけど」


「うーん……部活で萌奈と帰れなくなるの嫌だし、やっぱりやめとこっかなぁ」


「それがいいよ」

「そうしろ」


 千秋と雷斗がハモったのを聞いて、遥斗は楽しそうに笑う。部活も委員会も見事に熟す萌奈を見ていると不安になる遥斗の気持ちもわかるが、萌奈は要領の良さも体力も人並み外れている。男で小さい頃から体育が得意だった千秋と肩を並べるのだから、相当だ。


「あ、遥斗くん、雷斗くん!」


 そんなことを考えながら歩いていれば、腕を力いっぱいに振りながら、こちらを見て微笑む萌奈の姿があった。白く長い足でこちらへ駆け寄り、少しホコリが着いて乱れた制服を整える。


「千秋くんも、思ったより早く来てくれたんだね。今日はずーっと考え事してるみたいだったから、心配してたんだよ?」


 萌奈が笑いながらそういうものだから、千秋も思わず「う、」と息を詰まらせる。朝ほど思い詰めてはいないが、それでも思考は止まらなかった。萌奈や雷斗は人をよく見ているし、遥斗は勘が鋭いから、余計に千秋を心配していたのだろう。


「ごめん……そんなつもりはなかったんだけど」


「うん、分かってるよ。それに、遥斗くんが走って千秋くんを迎えに行ってくれてたみたいだし……疲れたでしょ? すぐ帰ろうか」


 遥斗がメッセージを送っていたのだと、萌奈がメッセージ画面を見せる。そして、小走りで階段を下り、すぐ玄関に着く。空を見上げると、逢魔ヶ刻という言葉が似合う綺麗なオレンジ色に染っており、四人の影が色濃く地面に映る。


「お泊まり会ってすごく友達って感じしない!?」


「うん、そうだね。走ると危ないから落ち着いてね、遥斗くん」


「なんかメシ買ってくか? 千秋」


「そうだな、なんか好きなの買ってこうか」


 人ならざるものが集まる世界での喧騒を他所に、四人の心は酷く穏やかに緩やかに進んでいく。静かに佇む空だけが、未来を見通すようだった。

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