十話 友達

「ったく、心配しただろ」


「ごめん……」


 鏡の世界から抜け出して一時間。突如起きた全校生徒昏倒という不思議な事態に教師陣は皆困惑していたが、悩んでも真相がわかるわけでもなく、全校生徒が無事でいたことに安堵する形となった。鏡の世界に引きずり込まれた十数名の生徒たちもその前後の記憶はなく、昏倒した他の生徒と同じように突然意識を失ったのだと認識しているようだった。真相を知るのは、ミツルギと千秋だけと、そういうことなのだった。それでも、先生からは授業中に抜け出すのはいいがすぐに戻ってこいと怒られ、雷斗からもこってり叱られることとなったのだけど。


「よく考えたら、昏倒してたなら正面から行ってよかったんじゃないか……!!」


 ミツルギのことだから、千秋に対しての嫌がらせでも兼ねていたのだろうか。全く、びっくりさせられる。


「聞いてるのか千秋」


「ひぇっ……聞いてるってえ……」


「まあまあ、雷斗くん……」


 雷斗に詰められ、情けない声が漏れる。雷斗は普段とても優しいが、こういうことがあるととても怖くなる。美人の真顔ほど怖いものは無い。


「でも、萌奈。千秋には強く言わないと聞かないぞ」


「うーん、そうだけどね? 千秋くんもみんなが倒れてるなんて知らなかったんだし……怪我がなかったんだからいいじゃない」


「──あのなあ……」


 千秋を睨む雷斗を萌奈がやんわりと止める。二人の間に割って入り、手のひらをひらひらと振って、空気を和らげる。


「ありがと萌奈……」


「ううん、いいのよ。それより、早いところ教室に戻らなきゃ」


「ああ、そうだな。結局教室向かう途中に倒れて、目覚めてからも千秋探しに行ってたからな……」


「その後も、千秋くんが先生に怒られるの終わるの待ってたしねぇ」


「う……二重にごめん……」


 申し訳なさそうに項垂れれば、萌奈がくすくすと笑い、雷斗も眉を下げて苦笑する。千秋が守りたかった、いつもの光景だ。


******************


「あーっ! 三人やっと帰ってきた!」


 教室に入った途端、正面から重い衝撃がのしかかり、何事かと思えば、


「遥斗……」


「本当に心配したんだからな! いつの間にかみんな寝ちゃってたり、なのに千秋は戻ってこないし……!」


「ごめんてば」


「昨日のことといい、やっぱり妖怪が来てるんじゃないかな!? どう思う? 雷斗!」


「くだらないと思う」


「ええっ!?」


 雷斗に軽く一蹴され、遥斗が涙を浮かべる。遥斗には申し訳ないが、雷斗が一蹴してくれて千秋は安心した。ミツルギのこともそうだが、ただでさえ心配性な雷斗や危険に巻き込まれやすい遥斗に妖怪の存在を認知させるのは千秋としても少し不安なのだ。


「──あれ? 遥斗、先生は?」


「そういえばいないね」


 千秋がきょろきょろと教室を見渡すと、後ろにいた萌奈も先生の所在を探してそこら辺を見渡す。だが、やはりいない。


「ん? ああ、先生なら、ガス漏れてたりしないか確認するから自習してなさいって」


「そもそも、授業中だったらこんなに騒いでてお咎めなしなわけないだろ」


 雷斗の冷静な言葉に刺され、千秋がうぐっと言葉に詰まる。遥斗はそれを見て不思議そうに首を捻り、萌奈はおかしそうに笑っていたが。


「あ、じゃあさ! 図書室行かない!?」


「あ?」


「図書室?」


 遥斗の突拍子も無い提案に、千秋と雷斗が反応する。


「うん! 自習なら、図書室でも出来るでしょ?」


「──俺が言うのもなんだけど、今教室の外出たら怒られるんじゃないか?」


 正直、生徒たちはそこまで昏睡事件に対して重く考えていないのだろう。楽しくおしゃべりをしていたり、いつも通りの雰囲気だ。とはいえ、教師陣はそうではないだろう。妖怪のせいだと知らない以上、学校の中に何かしらガスが漂っていると考える方が自然だ。


「そうかな?」


「そうだろ」


 遥斗が首を傾げるが、雷斗がそれをばっさりと切り捨てる。が、


「そっかあ……じゃあ自習するしかないのかぁ」


「残念だったね、遥斗くん。でも、図書室にはまた今度みんなで行こうね」


 しょんぼりと項垂れる遥斗の頭を萌奈が撫でる。顔には出さなかったが、萌奈も千秋や遥斗を心配していたのだろう。いつもより遥斗を撫でる時間が長い。


「千秋」


「うん?」


 遥斗と萌奈の方を見つめていた千秋に、雷斗が声をかける。雷斗の方を向けば、少し神妙な顔をしながら、こちらを見ていた。


「どうしたの、雷斗」


「──忘れ物、見つかったのか?」


「────」


 瞳を見開き、思わず言葉に詰まる。そうだ。千秋は、そう言って雷斗と萌奈を旧校舎から出したのだ。色々ごたついていて、すっかり忘れていた。


「──ミツルギ、まだ旧校舎にいるのかな」


 萌奈に声をかけられてミツルギの方を見た時までは確かにそばにいたのだが、校舎に入った時くらいからどこかに行ってしまった。萌奈が近くにいた手前追いかけることも出来ないし、何かあったら刀で止めればいいかと思い放っているが。


「千秋?」


「あ、ううん。忘れ物、見つかったよ」


「──そうか。よかったな」


「うん」


 答えて、千秋は教室を見渡す。教室はザワザワと騒がしいままだが、少しずつ浮き足立った気持ちも落ち着いてきたのだろう。教室の面々も少しずつ参考書を手に取り、友人同士で教えあったりしている。騒がしさは変わらないが、自習としての本分を果たそうとはしているようだ。


「じゃあ、私たちも勉強する? 遥斗くん。千秋くんたちも」


「おー! そうしよ!!」


「そうだね。先生来るまでまだ時間ありそうだし……」


「じゃあ、俺が見ててやるからお前らは問題解けよ」


「えー、雷斗が見るの……!? 学年トップに見られるとプレッシャー……千秋がいい……」


「それ俺に失礼じゃない?」


 そんなことを言いながら、四人は席に着く。教科書やノートを広げ、好き勝手に問題を解いたり唸ったりして、騒がしくゆっくりな時間を過ごす。萌奈はそんな様子を見て穏やかに笑い、雷斗もいつになく楽しそうな顔をしていた。


*******************


「えー、遅くなって悪い。学校内を調査した結果、細かい結果はまた後日の判定になるが、ある程度の結論が出た」


「どうだったんですかセンセー」


 件の事件からおおよそ三時間。疲れた様子の教師が教室に入ってくる。ひらひらとシュシュをつけた左手を振り、女子生徒のひとりが結論を急ぐ。と、教師は短く息を吐き、


「結果だけ言うと、学校内に異常はなかった。ただ、防犯カメラがエラーを起こして録画されていなかったため、今後も引き続き調査は行う。──ただ、これはあくまで一応のものだ。我々としても、正直理由がわかる気はしていない。実際のところ、ポルターガイストだと言われた方が納得がいくレベルだ」


 そうため息を吐く様子を見て、男子生徒のひとりが声を上げる。


「──まー、実際いきなり意識が落ちて何事もなく目覚めるとか、ポルターガイストなんじゃねえの?」

「確かに。ウチもそれ思ったあ。別にカラダに異常はないわけだし? センセーもそんな気負わなくていーって」

「確かにそうですね。見えない世界があるって目玉おやじも言ってましたし」

「オタクくん……」


 生徒たちがザワザワと騒ぐのを見て、教師も気の抜けた顔をする。


「──異常なかったんだね」


 萌奈が、小声で千秋たちに話しかける。こういう時、四人の席が一箇所に固まっていると便利だ。


「ま、その方が正直変だけどな」


「それはな……まあ、結論出せただけ良かったんじゃないか?」


「それに、授業なくなってラッキーだったしね!」


「その分課題増えるぞ」


「えっ」


 雷斗の発言に遥斗が肩を竦め、「いやだああああ」と泣く。千秋は、そんな様子を見て肩の力が抜けたように頬を緩ませる。


「────」


 雷斗は、そんな千秋の横顔を、疑うように眺めていた。


「雷斗?」


「──いや? いつも通りの間抜け面だと思ってな」


「酷くない!?」


 そんな風に声を張れば、パンッと乾いた音が教壇から聞こえる。


「調査で丸一日授業が潰れたが……もう下校時間だ。全員、まっすぐ家に帰ること。はい、ホームルームは終わりだ」


 そんな風に、やや急いで教師が教室を出る。


「なんであんなに急いでるんだろうな?」


「報告とか色々あるんじゃないかな? どっちにしろ、もう帰ろうか。雨降りそうだし」


「そうだな」


 千秋の質問に萌奈が答え、雷斗が立ち上がる。カバンを手に取り、全員で教室を出る。


******************


「じゃあね、雷斗くん、千秋くん」


「じゃーねー!!」


「はいはい、また明日な」


「また明日」


 二手に分かれて、各々の帰路に着く。


「今日は色々あったな……」


「そうだな、千秋が旧校舎に行ったっきり戻ってこなかったりな」


「まだ根に持ってる……」


 苦笑すれば、雷斗も瞳を伏せて笑う。言葉は強いが、そこまで怒ってはいないと千秋には分かった。学校で詰められた時は本気で怒っているとわかったけれど。


「千秋」


「うん?」


「また明日な」


「──? うん」


 雷斗が手を軽く振り、走って角を曲がる。焦ったようなその様子に、千秋は思考を巡らせたあと、


「──雷斗、トイレ行きたかったのかな……」


「馬鹿なことを言うな。うつけが」


 頭上から冷静な声が降る。顔を上げれば、着物の裾を翻し、狐の面をなぞるミツルギの姿があった。


「ミツルギ!!」


「貴様は本当に喧しいな。それに、思考が浅い」


「え? 何が……」


 千秋が声を出そうとすれば、喉を掴まれ、家の中に引きずられる。何をするんだと文句を言おうとすれば、低い声で忠告される。


「──あの黒髪の男に気を張っておけよ」


「──何で、」


「あれは聡い。……いずれ、気付かれるぞ」


 その言葉の意味が分からないほど、千秋は愚鈍ではなかった。雷斗はきっと、確信してはいない。でも、頭のいい雷斗のことだ。真相に近い想像をしているに決まっている。


「──隠さないとな……」


「貴様には無理だ。隠し事というのは頭のいいものにしかできん」


「喧嘩売りに来たの?」


 ミツルギの着物の裾を掴んで怒りの意を示せば、うざったそうにそれを振り払われる。


「どちらにしろ、結論は急げ。お前には死なれたら困るが、あの男や女は俺にとっては有象無象に過ぎん」


「────」


 静寂が流れる。ミツルギは敵では無いが、仲間では無いのだと、千秋はそれを再確認した。


「──やらなきゃいけないこと、たくさんだな……」

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