七話 鏡の中の少女

「萌奈、遥斗の薬あった?」


「うーん……忘れるならこの教室だと思ったんだけど……」


 千秋に質問を投げかけられ、萌奈はやや険しい顔で首を横に振る。先から懸命に探しているが、それは一向に見つからない。困ったものだ。


「もしかしたら、倒れた後に落としたのかもな。廊下探してくる」


「──あっ、そっか。倒れた後に……」


 そこまで言って、千秋は言葉を止める。丑の橋姫については覚えていないとシラを切ったけれど、そうなると、雷斗の中で昨日の一件はどういったことになっているのだろうか。


「──昨日は、遥斗と萌奈が倒れてびっくりした、よな」


「──そうだな。その後、いつかは分からないが多分俺も倒れたんだろ?」


「──!! ……うん、旧校舎を出た後くらいに」


「──そうか。重かっただろ? 悪いな」


「ううん、倉橋さんが迎えに来てくれたし……」


 千秋と雷斗の間に、気まずい沈黙が流れる。事実確認はできたが、嘘をついたという罪悪感が胸をチクチクとつつく。本当のことを話せば雷斗はきっと千秋を守るために危険な目に遭うだろうから、これでいいのだと思うけれど。


「──あっ! 千秋くん、雷斗くん! 遥斗くんの薬あったよ!」


 そんなふたりの沈黙を切り裂くように、萌奈の声が空間に響く。声のする方に顔を向ければ、薬を拾う萌奈の姿が。


「良かったな、萌奈」


「うん、あとは千秋くんのキーホルダー探したら……」


 萌奈の言葉に、千秋の肩が跳ねる。これ以上ふたりを、この場に留めてはいけない。この場所には、妖がいるかもしれないのだ。入ることを阻止すれば、昨日のこともあって怪しまれるかもしれないと思って着いてきたけれど、本当なら、千秋は一瞬でもこのふたりを危ない場所に居させたくないのだから。


「──いや、俺はひとりで探すから平気だよ!! ほら、ふたりとも授業戻らないとだろ?」


「──えっ、でも……」


「──千秋」


 何かを言おうとする萌奈を遮り、雷斗が前に出る。雷斗の透き通った瞳に見つめられ、千秋は思わず笑みが引き攣るのを感じる。やはり、嘘をつくのは苦手だ。だが、つき通さなければならない。


「いいのか?」


「──うん、それに、落とした場所なら何となくわかってるから。すぐ戻るから、二人は先に戻ってて!!」


「わっ」


 萌奈と雷斗の背中を押して、二人を旧校舎の外に出す。雷斗はやや険しい顔をしているが、萌奈は割と受け入れてくれている。


「──本当は一緒に探したいけど、千秋くんには昨日迷惑かけちゃったからね。それに免じて、今日のこれは大人しく聞きいれてあげます」


 言い、萌奈は雷斗の背中を押して校舎へ向かおうとする。萌奈はふわふわとした柔らかな少女だが、それでいて相手の意図を正確に読み取る子だ。侮れない。


「萌奈!!」


「ん?」


「──ううん、気をつけてね」


 そう言うと、萌奈が少しだけぽかんとしたあと、にこりと笑う。それを見送り、千秋は──


「──ミツルギ!! 急いで旧校舎に入るぞ!!」


「──我に命ずるな! 空気を読んで不可視になっておいてやったと言うのに」


 ミツルギがチクチクと怒ってくるが、今はそれどころでは無い。雷斗と萌奈が校舎に入ったのを確かに見たから、二人が危険に巻き込まれることはなくなった。今のうちに、件の妖をどうにかしなければならない。


「ミツルギ、話してた妖ってどこにいる?」


「──気配からして……二階の踊り場だな」


「了解!!」


 鞄の中から包帯に包まれた刀を出す。いつもは刀身が失われているから、スクールバッグにも簡単に収まる。やや重いのだけが難点だが。


「踊り場……!!」


 千秋の背丈ほどの鏡がある踊り場に辿り着く。


「──ミツルギ」


「──嗚呼。ここだ。ここから妖気が滲み出ている」


 そのミツルギの言葉を受け、千秋は刀を包帯から解放する。そして、それを鏡に掲げ──、ぎり、と握る。そして、刀に感情を注ぎ──


「─────」


 ざわ、と髪が伸びる。瞳が猫のように変貌し、刀の色は──


「鉄のような、灰色……」


 昨日とは違う、本来の刀らしい色だった。色に込められた意味は分からないが、今はとりあえず戦わなければならない。いくら授業中といえど、手短に済まさねば誰が来るやも分からない。


「────!」


 瞳を見開き、鏡に刀を突き刺す。


「──この感触……」


 ぐにゃり、とまるで生き物を刺したような感覚が手のひらに伝わる。その感触の気持ち悪さに顔を顰めるが、その前に──


「油断するな!」


 ミツルギの怒声が聞こえる。直後、鏡の中から、黒髪の少女が現れる。そして、その少女は──


「──じゃま、しないで」


 禍々しい声が聞こえた。そして、その意味を咀嚼するよりも前に、千秋の首に手がかけられる。少女の手では無い。だが、間違いなく少女の意思によって操られている手であった。


「──が、っ」


 急速に酸素が奪われる感覚。急いでそれを刀で切り落とそうとするが、その瞬間、腕にも手がかけられる。完全に動きを封じられ、千秋の顔色が段々と青くなっていく。


「────」


 まずい。刀を取り落としてしまう。苦しい。まずい──


「──たわけが! 刀で鏡を刺せ!」


 ミツルギの声が、乱雑になっていた千秋の脳内を爽やかに整理する。刀を持ち直し、鏡に向かって一突きする。すると、


「──! いたい、いたい」


 少女が、恨めしそうな顔でこちらを見たあと、鏡の中に逃げ込んでいく。


「げほっ、う……」


 激しく咳き込み、思わず涙目になる。すると、頭をミツルギに叩かれる。


「このうつけが! 油断するなと言っておるだろう!」


「いきなり叩くな! てか、あいつは……」


「あの女は、恐らく地縛霊の類だろうな。そして──」


 ミツルギが、鏡を見つめる。何事かと千秋もそちらを見る。と、


「──ただの鏡に戻ってる……?」


「──いや、これは」


 刹那、窓の向こうから──校舎の方から、悲鳴が聞こえる。


「──!?」


「──見誤った、か」


 混乱し瞳を見開く千秋を遮るように、ミツルギが千秋を抱えて窓から飛び降りる。突然の奇行に口を開いたまま言葉を失うが、瞳に校舎が映り、ようやく意味に気づく。


「──な、」


 校舎にたくさんある、窓。その全てに、少女の姿があった。


「──どう、いう」


「急ぐぞ! あの女は──」


 一体、これは──


「全ての鏡を──反射するものを、自らの移動手段としている!」


 どんな、悪夢だ。

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