三話 顕現する刀身

 狐の面を被った何者かが、千秋の眼前に佇んでいる。「刀を渡せ」と言ったその声は腹の底を揺らすような低音で、まず男であることに間違いはなかった。が、顔は狐の面を被っているからよく見えない上、着物で体の輪郭が見えずらく、人物像を予想することはまず無理そうであった。


「聞こえなかったか? 人間。刀を渡せ。それは貴様のような者が持っていい代物では無い」


「──まだ学生だから、刀が危ないって意味なら」


「そうでない事くらい分かっているからその質問が出たのではないか? あまり我を煩わせるな」


 千秋としては、なるべく平和的に誤魔化したかった──否、断りたかったのだが、相手はそれを望んではいないようだ。見えなくてもわかる敵意と苛立ちが体をチクチクと刺すような感覚がする。だが、千秋だってこの刀を渡すわけにはいかない。会ったことなんてなくても、この刀は千秋にとって肉親がいた事の証なのだから。その証明を、こんな仮面をつけた訳の分からない男に渡してなるものか。


「──断ったら、どうなる?」


「──それを教える義理があるとでも?」


 仮面の男の言い分に、千秋は思わずイラッとする。確かに教える義理などない。だが、それを言うなら、こちらも刀を渡す義理などないのだ。


「これは両親の形見なんだ。だから渡せない」


 けれど、仮面の男にとってこの刀はなにか意味があるものなのだろう。それを無下に扱うのは、千秋としても心が痛む。だから、その意思だけは伝えなければならないと思った。


「──そうか」


 が、


「ならば、我は貴様を殺すほかにないようだ」


 その意思は、仮面の男の悪意の元に、無下に扱われてしまった。


********************


「──っ!」


 仮面の男がこちらに手を伸ばす。触れられることは刀を奪われることと同義だと瞬時に理解し、それを避ける。仮面の男が少し驚いたように吐息を漏らすが、そんなことに気づく余裕は今の千秋にはなかった。ただ、仮面の男に触れられてはならないことと、刀を守らなければならないということが、千秋の脳裏を支配していた。


「貴様……」


 仮面の男が何かを言おうとするが、それを無視して距離をとる。刀は重い上に動きの邪魔になるが、これを渡すわけにはいかない。何としても守らなくては。そのためには、援助を──


「──雷斗!!」


「無駄だ。その男もそこの妖も、我の霊力に当てられ意識を手放している」


 横から声がし、視界がそれを捉えるより早く、横っ腹に強烈な一撃が叩き込まれる。


「──!!」


 声も出ないまま、体が手毬のように跳ね、木の幹に打ち付けられる。呼吸もできず、はくはくと口を動かすが、淡い苦しみは尚も千秋の首を締め付けている。


「──最初から大人しくしていればいいものを」


 耳鳴りも酷く仮面の男の声もよく聞こえないが、何か嫌な事を言われているような気がする。痛みを堪えるように刀を持つ手のひらに力を込めると、ぎしぎしと骨が軋むような音がした。


「──か、たなは、わた、さ」


 渡さない、と言いたいが、上手く息が吸えない状態では、啖呵も切れない。ぼんやりしていく意識と、痛みの中で、


「──貴様の両親の形見と言ったな。この刀を盗むとは、余程身の程知らずの人間だったのだろう。そんな両親から生まれた貴様も、貴様のためにあのような醜態を晒しているあの男も、皆が皆、」


 千秋は聞いた。


「この刀を持つ資格もない、死ぬべき者達ということだ」


 自分の腹の底から、怒りが煮え滾る音がするのを。


********************


「────」


 仮面の奥から冷たい視線を投げつけ、狐の面をつけた妖は、刀を手に取ろうとする。が、その刹那、


「────!」


 空気が揺らぐのを感じた。狐の面をつけた妖の霊力に寄せつけられてきた低級霊たちはそれに怯え、喧しく騒いでいる。


「──貴様」


 目の前にいた人間が、刀を手に取っている。それだけではない。短かった黒髪は腰まで伸び、丸々とした瞳は黄金に輝く、猫のような瞳になっている。それを見て、狐の面をつけた妖は直感的に悟る。


「──刀身がある」


 それだけで、狐の面をつけた妖には全ての意味を悟ることが出来る。最悪で、これ以上に面倒くさい状況はないだろう。


「さっさと殺して奪うべきだったか……!」


 そう言い、狐の面をつけた妖が宙へ浮かぶと同時に、目の前の人間がこちらへ向かって突進してくる。


「──人間!!」


「神薙千秋だ! 一々仰々しく呼ぶな!」


「まさか適応したのか……!? 全く、煩わしい!」


 目の前の人間──千秋を睨みつけ、狐の面をつけた妖は舌を鳴らす。見た目だけでなく、精神も刀に影響されている。溢れんばかりの殺意がその証だ。全く、腹立たしい。と、


「────!」


 不快な金切り声が狐の面をつけた妖の耳を刺す。髪を引きずるような音と共に、妖が、意識を取り戻す。


********************


「──『あの女』……!」


 目を覚ましたのか再び騒ぎだす『あの女』を見て、千秋は顔を顰める。


「──この刀……」


 この刀を持った瞬間から、思考が狂暴的に引っ張られている。それだけではなく、刀身に映る自分の風貌も変化しているし、何かしら刀に影響を受けているということだろうか。


「──雷斗はまだ気絶してるのに!」


 刀を仮面の男に向けるが、すらっと避けられてしまう。


「狐野郎……!」


「斯様な下賎な名で呼ぶな! 我が名はミツルギ、覚えずとも良いが、我に似合わぬ名で呼ぶことは許さぬぞ!」


「ミツルギ……!」


 ミツルギに刀を構えるも、後ろから『あの女』に攻撃される。


「ぐっ……!」


「たわけが! あれは丑の橋姫だ!」


「何だそれ!」


「宇治の橋姫に影響されたのか、丑の刻参りで他人を呪い殺した挙句に、自らも呪いに取り殺された女の名だ! なぜここにいるのかは知らんが……貴様、その刀を持っている分際であの女も倒せぬのか! 嘆かわしい!」


「──はぁ!?」


 ミツルギの言い分に、千秋は頭にかっと血が上る。


「そもそも、この刀が特別なものだなんて知らなかったんだよ! それをそうやって……! どうやって使うのかくらい説明しろ!」


「なぜ我が……! だから最初から手放せと再三通告しただろう!」


「突然言われて手放すわけねえだろ!? バカかお前!」


 刀を振りかざせば、ミツルギは酷く疎ましそうな顔をしたあとで、深くため息を吐き、丑の橋姫に向き直る。


「──その刀は、『妖殺しの刀』だ」


「妖……? え、なに?」


「詳しくは省くが、今は妖を殺すための刀──それを貴様が持っているということは、貴様には妖を殺す力が宿されている」


「妖を殺す力……って」


「適合した時点で、貴様はもう何も知らぬ幼子では居られないということだ。──来るぞ」


「なっ……」


 ミツルギがふわりと着物を翻して浮遊する。避けきれなかった千秋の眼前には──、


「────!!」


 丑の橋姫の攻撃が迫っていた。

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