ストラップ
奏詠(そうえい)
序章 1LDKの賞味期限
その部屋の賞味期限はあと7分しか残されていなかった。
8月とはグレゴリオ歴で年の8番目の月であり、小学生の時に気がついたら終わっていた月でもあり、最高気温が毎年更新しているのではないかというほどインフレを起こしている月でもある。最近は東京でも39.1度を記録し、コンクリートジャングルで野生の人間達をしっかり苦しめたようだ。しかもそれが7月の記録だというから驚きである。
しかし夏といってもまもなく朝5時に差し掛かりそうな1LDK。広い狭いはさておきエアコンは高級機種なのだろう。どんなに外が40度近くても、部屋の中は快適そのものであった。玄関のドアを開ければ涼しい空間。それだけがこの部屋との別れが名残惜しいポイントだったが予定に変更はない。
別に不満は無い。よく頑張った方だと思う。ただタイミングは今なのである。
室温の完璧な1LDK。壁際にあるダブルベットの右半分がテリトリーだったが、明日からはそこに存在しないだけである。完璧な室温もよく片付いたリビングも、自分のために用意された冷蔵庫の中に常備されているノンシュガーのRed bullは明日もそのまま存在し続けるのだろう。
冷蔵庫の奥のもやし、キッチンや戸棚の奥の玉ねぎやカップ麺達もそうだろうが、賞味期限がきれる本人はそのことを知らない。むしろ把握しておかないといけないのはその冷蔵庫やキッチン、戸棚の持ち主であって、玉ねぎ達本人は知らなくても問題はないのである。
夜な夜な冷蔵庫やキッチンで、忘れ去られたもやしや玉ねぎ達がこそこそと自分達の賞味期限について話していたら……と考えたら恐ろしいが、少なくともそんな現場を見てしまったら忘れ去られて芽が伸びてしまったしわしわの玉ねぎを生産してしまう人間は減るんじゃないだろうか。このフードロスが叫ばれているこのご時世に、芽が出たしわしわ玉ねぎがまだ存在しているのであれば、冷蔵庫やキッチンでの秘密の会合の機密性がよっぽど高いのか、本人達は自分の賞味期限を知らないかのどちらかなのだろう。
生産者や捕食者が食べる事を前提とし、尚且つ美味しく食べる為の期間として定められているのが賞味期限なのであるから、賞味期限をつけられた本人達が知らないのは当たり前だ。
少なくともこの部屋にあるダブルベットの右半分以外に存在するもの全てが、あと7分で自分達が賞味期限を迎えるということを知らない。
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