地獄の沙汰もおシゴト次第!?

三十三さとみ

第一話 父と感動の再会は地獄にて


 小学五年生になった私は「自立する」という目標を打ち立てた。


 唯一の家族であるお母さんが「幸子(さちこ)、お願いがある」と言われればどんな内容でも快く受け、むしろお母さんが何か言い出す前に自分から率先して家事や勉強をするようになった。


 理由は、ある。


 小学四年生まで行っていた進学塾をやめて、放課後の時間があまったこと。


 進学塾をやめる原因になった両親の離婚の手続きが無事に済んだこと。


 親友のリカ子が転校してしまったこと。


 もっとあげればキリがないかもしれない。そんないくつものことが私に降りかかったら、意地でも「大人になろう」「自立しよう」と思ってしまうものである。


 だから今日も、学校からまっすぐ帰ってきては、晩ご飯の準備をしていた。具体的にはお米を研いで、サラダ用の野菜をちぎること。お母さんと「一人でいるときは火を使わない、包丁を使わない」という約束をしていた。使うときはお母さんが一緒のときにしてほしい、と言われていたんだ。私は「友だちは一人で火を使うし、お菓子を作る子もいるんだよ」なんて思ったけれど、反論しないで「わかった。お母さんがいるときに使うね」と約束した。


 コンロと包丁を使わないでできることは限られている。お米を研いで炊飯器に予約設定をする。レタスをちぎってミニトマトのヘタを取って洗う。カレーの日は野菜の皮むき。ピーラーは使っていいからね。台所仕事はさっさと終わるから、あとは曜日で決めている家事をこなす。月曜日はお風呂そうじ。火曜日はトイレそうじ。水曜日は台所そうじ。木曜日は勉強を集中してやる日だから家事は休み。金曜日は自分の部屋のそうじや整理をして一週間が終わる。土日はお母さんが休みだから一緒に買い出しに行ったりお菓子作りを楽しんでいる。充実して穏やかな日が続いていた。


 お父さんのことを思い出さなかったことは、ない。


 子どもの私から見ても「ひどい」お人好しで、分け隔てなくいろんな人にやさしくしていた。それはもう〈いろんな人〉で、「お金を貸して」と言ってくる人が後を絶たなくても「この契約書の連帯保証人になってほしい」とか、もうなんでも〈お願い〉を聞いていた。もちろん仕事もしていたけれど、お人好しだからと言って仕事ができるわけじゃなかったらしくて、お母さんと同じくらいの給料だったそうだ。それでいていろんな人にお金を貸したりしていたら怪しい人たちに目をつけられてしまった。


 離婚を言い出したのがお父さんなのかお母さんなのか、ついに私は知らずに手続きが済んでしまった。私はお母さんについていくことになった。


「お母さんの言うことをよく聞いてね。人には優しくするんだよ?」


 お父さんが家を出ていく日、私の目線で立つと、いとおしそうに頭をなでながらそう言った。だから「お父さんみたいに?」なんて私は意地悪なことを言った。それでもお父さんは「そうだね」なんて笑った。


「お父さんほどいろんな人に優しくする必要はないよ。でもお母さんとお友だちには優しくするんだよ」


 私は「わかった」とうなずいた。


 あれから半年が経つ。離婚が成立して家を出たお父さんから、しばらくはポツポツと家に電話があった。お母さんも私がお父さんと会ったり話したりすることを嫌がらなかった。でもお父さんは私に「会えない」と言っていた。


「片付いたら、幸子に会いたいな」


 それがいつも電話越しに言う、話の終わりを伝える合図だった。


 もうすぐ夏休みだ。夏休みに入ったらお父さんのところに会いに行ってもいいかな、なんて思いながら私はレタスを一口サイズにちぎっていると、電話がかかってきた。


 家の電話には出なくていいとお母さんに言われていた。登録してある番号なら発信者の名前が表示されるから、それで私が知っている人なら出てもいい、そうじゃなければ留守電を残してもらえばいいよ、そういわれていた。


 電話の子機に番号が並んでいた。登録していない番号だから、出なくていい……でも私はなぜか妙な気持ちになった。この電話には、出た方がいい……という、なぞの直感。


 電話に出ようか、いや出なくていいよ……そんな心の押し問答をしているうちに留守電メッセージが流れ始めた。私はなぜかホッとして台所に戻ろうとした。


〈――天野様のご自宅でしょうか? こちら――市役所のものですが――〉


 市役所が私の家に? 私は思わず足を止めて声が流れる電話機をみつめた。


〈去る――に、石渡信二様が亡くなられました。つきましては、手続きのため――〉


 私は「え?」と声を漏らした。一人でいるこの部屋にも大きく響くほど、私の声はおどろきに満ちていた。


(お父さんが、死んだ? なんの冗談?)


 私はフラフラと台所に向かう。そのまま蛇口をひねって水を出した。手を洗おうと水でぬらすが、手が震えてうまく洗えなかった。


「お父さんが、死ぬ? あはは、そんな冗談……だよ」


 蛇口をもどしてエプロンで手をふく。冷たい水で冷えた手をほほに当てた。冷たくて、気持ちいい。


「あー、のどがかわいたなー」


 冷蔵庫から麦茶を出して、コップに移す。それを飲もうとしても、手が震えてうまく口に運べなかった。


「なんで……ははは、なんだか私、おかしいな」


 麦茶を飲むのをあきらめて、私は台所の電気を消した。そして自分の部屋に向かって、ベッドに倒れこんだ。


「お父さんが死んだ? まさか。同性同名の人で、間違い電話だったんだよ」


 私はまくらにうつぶせのままつぶやいた。


「お人好しで、たのまれたことはなんでも〈やりますよー〉って言っちゃうお父さんが、どうして死ななきゃいけないの?」


 そうだよ。いい人が死ぬなんておかしい。まだ四十歳のお父さんが? 若すぎるじゃん。


「市役所って仕事がいい加減なんだね。冗談をわざわざ電話してまで言うなんて」


 そう思うと、だんだんと腹が立ってきた。人の父親を「お亡くなりに……」なんて連絡してくるなんて、非常識だ。エイプリルフールのウソにしてもたちが悪い。


「まったく、お父さんが死ぬわけないんだよ」


 でも、もし本当にお父さんが死んでしまったら?


 私の記憶にはまだ鮮明な笑顔の父がいる。たくさん、いる。でもこれからその笑顔が見れないなんて……そんな、ありえないよ……。


 すると家の玄関からカギの開く音が聞こえた。


「お父さん!」


 私はあわてて玄関に駆けると、そこにはおどろいた表情のお母さんがくつを脱ぎかけたまま立っていた。


「幸子? お父さんはこの家に帰ってこないわよ? カギだって持ってないんだもの」


 お母さんの何気ない言葉に、私は思わず泣き出してしまった。大きな声で、泣いてしまった。


「幸子! どうしたの?」

「電話……お父さんが……」

「電話?」


 お母さんは私の肩を抱きながらリビングに向かった。そして電話機の光るボタンを押した。さっき聞いた音声と同じ言葉が聞こえてきた。電話があったのは夢じゃなかった。なら、この電話がウソに違いない――。


「幸子。ちょっと電話してみるから、部屋にいなさい」

「なんで?」


 私はおどろいて目を見開いた。


「こんなうそつきの電話、信じるの?」

「それを確認するためよ。おねがい」


 お母さんの〈お願い〉は「ぜったい」だ。私はしずかにうなずくと、自分の部屋にもどって部屋のドアを閉めた。私はなにも聞こえないようにウォークマンをスピーカーに接続して音楽を流した。このウォークマンもスピーカーもお父さんからゆずってもらった思い出のものだった。


「お父さんに、会いたいな」


 そうだ、会おう。次の日曜日に。


 私はお母さんのお下がりのノートパソコンを点けた。メールボックスを開いてお父さんあてにメールを書く。


〈お父さんへ 次の日曜日に会いませんか? 最近、電話もくれなくてさびしいです〉


 幸子より――そう書いて送信ボタンを押した。するとお母さんが部屋のとびらをノックして入ってきた。


「……幸子」

「お母さん! あのね、今度の日曜日にお父さんに会おうと思うんだ。良いよね? 今、お父さんにメールを出したところで――」

「幸子」

「……お母さん?」


 お母さんはしずかに私を抱きしめた。


「お父さん、亡くなったんだって」

「……ウソだよ。新手の詐欺だよ」

「幸子」

「だって、お父さんが死ぬって、そんなわけないじゃん。なんで? 病気もしない、元気なのが取り柄だってお父さんもお母さんもよく言っていたじゃん」

「幸子……お父さん、亡くなったのよ」

「…………」


 私はお母さんのスーツにすがりついて泣き崩れた。わんわん泣いた。お父さんとお母さんが別れたときだって泣かなかったのに。


「ウソだぁ! お父さんは死なない!」


 大きな声でお母さんの胸に顔をすりつける。すべてを否定するように首を横に振りながらお母さんの胸で泣いた。


「お母さんだって、信じられないわよ」


 ひたいに温かい水滴がこぼれ落ちた。鼻をすすりながら上を向けば、私を抱きしめるお母さんも泣いていた。どんなに仕事が忙しくても、どんなに感動する映画を見ても、私が幼稚園を卒園したときも、小学校に入学したときも、いつでも笑っていて、なみだなんか見せたことがなかったお母さんが、泣いていた。


「……お母さん……」

「こうなるって分かってたら、別れたりしなかったのに。離婚はしても、別居しなくてよかったのに」


 お母さんは悔やんでいるんだ。お父さんと別れたことを。


 離婚を決めたって言った日から、お父さんがこの家を出ていったときまで、お母さんはお父さんの悪口をひと言も言わなかった。ただ「こうしなきゃいけないの。幸子を守るために」とだけ言っていた。私も子ども心に「そうか、お母さんの言う通りにしないと、私はダメになっちゃうんだ」って思ったから、お父さんと離婚することを止めなかったし、弁護士さんに「ご両親のどちらといたいですか?」って言われたときもすぐに「お母さんが良いです」って答えた。それが正解だと思っていたから。


 でも、なにが正しかったんだろう?


 私はまだなみだがこぼれていたけれど、お母さんはもういつもの顔になっていた。目元が赤くなっているけれど、泣いていたなんてわからないような元気な声で言った。


「明日、幸子は学校を休みましょう。お母さんも仕事、休むから」

「休んで、どうするの?」

「役所へ。手続きとかあるのよ。ほら、あの人は家族がいなかったから」


 私はしずかにうなずいた。お父さんは一人っ子で、両親も若いときに亡くなっているのだと言っていた。親戚で生きている人はいない、家族は幸子とお母さんだけなんだって……言っていた……。


 私は、そんなお父さんを捨てたんだね。


「ねえ、お母さん。ごはんまですこし休みたいな」

「ええ。晩ご飯ができたら起こすから、すこし寝なさい」


 お母さんが私の肩を抱きながらベッドに寝かせた。


 部屋の明かりが消され、お母さんはドアを閉めて台所に向かったようだ。


 私はうでで目元を抑えながら、できるだけ声をひそめて泣いた。


(お父さんにとって、唯一の家族が私たちだけだったんだ)


 私にはお父さんとお母さんがいた。もう亡くなってしまったけれど、一昨年まではお母さん方のおじいちゃんもいたし、外国にはおばあちゃんとお母さんのお姉さん家族がいる。


 会えないだけで、家族はいる。


 でも、お父さんと血がつながった家族は、私しかいなかった。


 血はつながっていないけど、お母さんもいた。


 それなのに、私とお母さんは、お父さんを追い出してしまったんだ。


「ごめん……ごめんなさい……ごめんね、お父さん……」


 私が泣き止むまで、部屋のドアはノックされなかった。





 あれからあっという間に一週間が経って、今日がお父さんのお通夜だ。


 なぜそんなに時間がかかったのか、私にはわからないけれど、どうやらお父さんが亡くなったときに身分証明できるものを持ってなかったことや、そこから私とお母さんのもとにたどり着くまでにいろんな機関を経由していたから、その手続きがたくさん必要だったんだって。


 とにかく今夜、私とお母さんだけで葬儀場の小さな部屋を借りてお通夜をすることになった。お葬式にはお金がかかるって聞いていたけれど、お父さんが働いていた会社や住んでいた自治体の方たちから〈お悔み〉のお金があって、それでお葬式をすることができたんだと、お母さんが教えてくれた。


 そのため、ポツン……ポツンとお客様が来ては、お父さんの入った棺の前で手を合わせてお母さんや私に「お悔やみ申し上げます」と言って帰っていく。


 私は葬儀場にきて最初にお父さんの顔をみたけれど、いつもの笑顔で眠っているようにしか見えなかったから「なんで棺に入ってるの」なんて思わずつぶやいてしまった。お母さんにだけ聞かれてしまったけれど、お母さんも笑って「本当ね、ちゃんとベッドで寝てほしいわ」って言って部屋を出ていった。それから私はお父さんの顔をみているとなんだか泣いてしまいそうになってしまって、葬儀場の外に出た。出入り口でお母さんとすれ違ったから「ジュース飲んでくる」と言った。


 のどが渇いていたわけじゃなかった。でも葬儀場という建物の雰囲気が私には慣れなくて、外の空気を吸いたくなったからだった。


 建物の外は夏でももう日が暮れて真っ暗だった。自販機が三つ並んでいて、そこだけが派手に明るい。私は左の台の上の段からゆっくりと飲み物のオブジェを見ていった。ゆっくりと時間をかけて悩んで選んだのは、ペットボトルのミルクティーだった。


 冷たいペットボトルを首筋に当てながら空をながめた。このあたりは暗くて、小さな星がひとつふたつ見えた。


「お父さんも、星になったのかな」


 死んだ人は星になるんだよ、とか、天国にいくんだよ、とかいろいろ聞いたことがあるけれど、なにが本当なのだろう。そもそも死後のことを知っている人なんて、いるのだろうか?


「すみません、お嬢さん」


 私はおどろいて周囲を見回すと、すこし離れた暗闇から二つの大きな影が現れた。私が声も出ずにびっくりしているのを察して、右側の男性が「おどろかせてしまいましたね、すみません」と明るく言った。


「石渡信二さんの娘さんですか?」

「え……」

「名前は……そうそう、石渡幸子さん。ああ、名字が変わって天野になったのでしたっけ? それでは天野幸子さん。ご本人でよろしいですか?」


 二人組の左側の性別不明の人が、ふところから出した手帳を開いて、私と見比べている。そこに私の写真でもあるの?


「父の、知り合いですか……?」


 私は息をのみながらそう尋ねると、二人は顔を見合わせてから「クスクス」「あはは」と笑い合った。


「まあ、そんなところですよ」


 なんだか不気味な雰囲気の二人だ――私は急いで建物に戻ろうとすると、声をかけた方の男性が私のうでをつかんだ。その手のあまりの冷たさに「ヒッ!」と悲鳴を上げてしまった。


「しー。さわがないでください。害を与えるつもりはありません」

「犯人はみんなそう言います」

「まるでわたしたちを誘拐犯のように言いますね」

「ちがうんですか!」


 男は「ちがいますよ」と言って私のうでを離した。


「……父に用なら、中にいますよ」

「いえいえ、用があるのは、あなたの方です。天野幸子さん」

「え?」


 私が首をかしげていると、手帳を持った人物がヌッと近づいてきた。


「あなたのお父上と当方で〈ある契約〉をしていまして。お父上が亡くなった今、唯一のつながりのあるあなたにお話ししないといけないことなのです」

「……お母さんと一緒じゃだめですか?」


 私はなんとかこの二人と三人だけの状況を打破したいと思った。しかし目の前にいる二人はそれを許してくれなかった。


「まあ、すぐに終わりますから――」


 そういって男はどこからともなく取り出した大きく真っ黒なシルクハットを私の頭にかぶせた。するとその帽子はどこまでもたてに伸びて私の全身をおおっていく。


「お、おかあさ――」


 私の叫ぶ声は帽子の内側でこだまして消えていく。私の視界は一瞬で真っ暗になってしまった。





「あ、熱い……あつっ!」


 まず、肌に炎のゆらめく熱さを感じた。おどろいて目を開くと、まばゆく燃えている業火が眼前にあった。


「か、火事!」

「いんや? 地獄さ」


 私が炎から逃れようともだえたけれど、体が縄でしめつけられていて微動だにできなかった。


「こんにちは、お嬢ちゃん」


 顔を上げて声のする方を向くと、ぎょっとした。そこには大きな体の男がイスに深く腰掛けて私を見下ろしていたからだった。


「お、おばけ!」


 私が叫ぶと、その大男はにんまりと笑って首を横に振った。


「ちがう、エンマ様だ」


 エンマ様? 地獄の番人と言われる、エンマ様?


「そうだよ」


 私の心を読んだようにエンマと名乗る大男はにんまりと笑ってうなずいた。


「地獄の番人のエンマ様だ。今宵はお前に用があって、遠路はるばるきてもらったのさ。――天野幸子さん?」

「…………」


 どうして私の名前を? なんてロマンチックなことは言ってられない。そもそもこれは夢だろう。うん、夢だ。ゴウゴウと燃えている炎はきっと気のせいだ。悪夢を見ているんだ。


「そりゃ、悪夢のようなできごとだ。だがね、これは現実さ。大人になるってことは、小説より奇なる現実もたんたんと受け入れることだよ、お嬢さん」


 私は歯を食いしばって体の縄をほどこうとした。けれど縄の結び目が固すぎて、すこしもゆるまなかった。


「まあまあ、落ち着いて。まずは話を聞いてくれないか?」

「話、ですか……」


 エンマ様は想像よりも優しい表情で話し出す。その表情のうさんくささに私は顔をしかめた。しかしそんな私の表情には目もくれない。


「実はこのエンマの仕事は、ここへ来る死者たちが生前に犯した罪を裁くのがメインではあるが、最近はそれだけじゃ食っていけなくてなぁ。〈地獄エンマ銀行〉という銀行も取り仕切っているのだよ。つまりは二足の草鞋(わらじ)ってやつでね」

「……それが、私となにか関係あるんですか?」

「まあまあ、人の話は最後まで聞こうじゃないか。その〈地獄エンマ銀行〉では、寿命の貸し借りを行っているんだ」


 私は目を丸くした。寿命の貸し借りって?


「その通りさ。寿命が尽きて死にそうな者に、寿命の余っている者が寿命を貸す。それが寿命の貸し借りってやつでね。それが〈地獄エンマ銀行〉のメイン事業なんだ」

「エンマ様ってそんなこともできるんですね」

「それが取り柄みたいなものさ」


 エンマ様は鼻を高くして自慢気に言う。


「それで君のお父さんだが、生前のあいだに、ちょくちょく寿命の前借りをしていたんだ。そして先日、余命よりも早くに寿命を使いすぎてしまっていて、返済期限に返せなかったために急死という結果になったんだ」

「……お父さんは、お金だけじゃなくて寿命も借りていたんですか?」

「ああ」

「なんのために……?」

「それは子どもとはいえ、君だって知っているだろう? この人のお人好しさは」


 そう言ったエンマ様は手に持っていた尺を振った。すると絵本に見るような鬼が二人、一人の男を連れて現れた。白装束を着て頭には三角の白頭巾をつけた、お父さんだった。


 私をみつけると、なんとお父さんは笑顔で手を振った。まるで「やっほー、幸子」と言わんばかりだ。


「彼は今、舌を抜かれているからしゃべれないよ」


 そう言われたお父さんは照れるように頭をかいていた。


「お父さんはつまり、寿命の借金をしていて、返済ができなくなって、死んじゃったの?」

「そう! お嬢さんは理解が早いね! お父さんより賢そうだ」


 するとお父さんが満足そうに胸を張った。いやいや、そんなうれしそうに笑っている場合じゃないんだよ。


「お父さんの借金を返せれば、お父さんは生き返るんですか?」


 私がそう言うと、エンマ様はきょとんとしてしまった。


「まさか。死んだ人を生き返らせるなんて、このエンマ様でもムリだよ」

「じゃあ……」

「でも、借金はまだ残っている。それを娘であるお嬢さんが引き継ぐんだ」


 そんな……。


「そもそもお父さんは、なんで寿命の借金をそんなにしたんですか?」


 エンマ様は私の質問にめんどくさそうに答えた。


「だから、お人好しがすぎたんだよ。病院で清掃作業をしていた時にであった、たくさんの余命わずかな人たちに、最後の願いを叶えるための寿命を与えていたんだ。聖人じゃあるまいし、そんなことしたって、結局自分が早死にするだけだ。理解に苦しむよ」


 私はお父さんをキッとにらんだ。


「お人好し! お金ならまだ……まだ良いとして、なんで寿命まで貸すのさ! そんな、余命が短い人に、返ってこない寿命を貸して……」

「ねえ? 君のお父さん、本当に変わっているよ」


 エンマ様は鼻をほじりながらうなずく。


「で、話をもどすけど、君のお父さんの借金……借命? まあ、どっちでもいいけど、とにかく返済しきれていないんだ。まさに〈死んでも死にきれない〉と言ったところさ。それで、その支払いをお嬢さんに代わってもらおうと思う」


 私は息をのんだ。しかしすぐにひらめいて「でも私、知ってます!」と声を張り上げた。


「借金の相続は放棄できる! テレビでみました!」


 エンマ様は鼻をあかされたように目を大きくした。けれどすぐに「でもねお嬢さん」と私をなだめるようにゆっくりと言う。


「残念だが、地獄ではそのルール……人間界の法律は、通用しないんだよ」

「そんな……」


 つまり私も、お父さんの借金の返済のために寿命を差し出さないといけないの?

 絶望にあぜんとしている私を見て、エンマ様は「ああ、大丈夫だよ。今すぐお嬢さんの寿命をもらうようなことはしないから」となだめるように笑った。


「代替案を用意している」

「代替案?」

「お嬢さんに、地獄の取り立て屋として、人間界で働いてもらおうと思っている。それで借金分の働きをすれば、お嬢さんの寿命は守られるよ」


 地獄の取り立て屋……?


 響きからしていい仕事とは思えなかった。


「あの、もし……」

「ああ、もしイヤって言えば、その場合はお嬢さんの寿命で借金を帳消しにしよう。だが、その場合、残りの寿命はわずかになってしまう。十年、生きられるかどうか……」


 私は首を横に振りながら「いやです」と答えた。


「取り立て屋として、働かせてください! まだ死にたくないです」

「そうこなくちゃね!」


 エンマ様は意気揚々と尺を振った。すると私をしばりつけていた縄がするするとほどけていった。そしてお父さんを連れていた二人の鬼が紙と筆を持ってやってきた。お父さんの姿はいつの間にか消えていた。


「それが契約書だ。最後の枠に名前を書いて」

「はい……」


 慣れない筆で大きくなったり小さくなったりするアンバランスな自分の名前を書くと、その紙はするすると巻かれながらエンマ様の手の中へと吸い込まれていった。


「あとはハンコを押せばいい」

「ハンコなんて、持ってません」

「お嬢さんに押すハンコだよ」


 エンマ様は四角いハンコを取り出すと、私の方へと投げた。私があわてて避けると、横の鬼が上手にキャッチして私に「左手、出して」と言った。私は言われるがままに左手を差し出すと、手のひらにハンコをポンと押された。赤いインクで〈閻魔〉と押されたハンコの跡はスーッと消えていく。


「それが契約の印だ。それじゃあ後ほど、使いの者を選別して送る。その者に会ったら、指示を仰ぐように。じゃあね」


 エンマ様が手を軽く振ると、私はまるでホコリにでもなったようにあっという間に遠くまで放り投げられてしまった。…………。





「幸子!」


お母さんの声にゆっくりと目を開けると、目の前にはお母さんの心配そうな顔があった。起き上がるとここは葬儀場の入り口近くにあるソファだった。


「眠いならそう言ってよね。こんなところで寝て」

「あはは、ごめんなさい」


私は夢でも見ていたのか、とほっと一息ついてもう一度「ごめんなさい」と言って笑った。


「こんなところで寝ちゃったから、悪夢みちゃったよ」

「あら、そう? もう、ちゃんと家で寝なさい」

「はぁい」


 お母さんは安心したように立ち上がると「天野さん」とスタッフの人に呼ばれてどこかへ行ってしまった。私は目をこすりながらあたりを見まわした。頭があったあたりにはまだ冷えているミルクティーのペットボトルがあった。


「きっと自販機からもどってきて、そのまま寝ちゃったんだね、あはは」


 のどが渇いていた私はそのミルクティーをグイっとのんだ。ペットボトルのふたを閉めた私は自分の左手を見てギョッとした。


 あの赤い〈閻魔〉の刻印がはっきりと浮かび上がったのだ。目をパチクリしているうちにまた消えていく。


「夢じゃ、なかったんだ……」


 私はうなだれ、頭を抱えた。


 いくら自立したいって言っても、ものには限度ってものがあるでしょう?


 地獄の取り立て屋と小学生の両立?


 そんなの、ムリだよ!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る