第3話
大誉帝国は斜陽国だ。
今も一日一日滅亡に向かって歩みを進めている。
そのきっかけとなったのは六年前、先帝の皇太子が病で薨去したことで始まった皇位争いだった。
先帝には皇太子以外に六人の皇子がいたのだが、現皇帝である雲寧以外の五人の兄皇子たちが次の太子の座を狙い、水面下で母妃や外戚官吏を交えた醜い攻防戦を始めた。その静かで激しい争いは五年にもおよび、多くの文官や武官が隠謀により殺害、死罪、流罪などに処されたが、中には無実の女官や宦官も大勢いたという。
のちの歴史書に国最大の汚点として残るであろうこの惨事は、最終的に第三皇子の勝利という形で幕を閉じた。しかし栄光を摑つかむまでの間に信頼していた側近を失い、外戚の叔父と幼い妹をも殺された第三皇子の末路は悲惨なものだった。
伝えで聞いた話によると、最後の敵となった第二皇子の残党勢力に母親を惨殺された第三皇子は嘆き、怒り、最後には心を病んで、なんと先帝に刃やいばを向けたのだ。
『あの者は朕の玉座を狙う謀反人である! 即刻捕らえて斬首せよ!』
自分が皇帝になったと信じ込んだ第三皇子は高官たちが集う朝議の場で抜刀し、怒号を撒き散らしながら先帝に斬りかかろうとした。その姿はさながら悪鬼そのものだったと、同じ場にいた宰相・徐文泰は後に語っている。
当然ながら天子に刃を向けた第三皇子は捕らわれ、死罪となった。
こうして六人の皇子と多くの民を失った大誉帝国は少しずつ栄華に陰りを見せ始め、それまで大誉に従っていた国や民族が、内乱に乗じて各地で反乱を起こすようになった。さらに八ヶ月前、優れた政治手腕で各国を統治していた先帝が、皇子たちを失った心労により崩御したことで国の危機に一層拍車がかかったのだ。今や関係諸国との和平条約は蜘蛛の糸一本で繫つながっているにすぎない状況となり、少しでも大誉で問題が起こればこの国はあっという間に侵略され亡国となる。
可及的速やかに国の再建に入らなければ、戦争や飢餓で数百万の民を失ってしまう。危惧した重臣たちは話し合い、そして一人の男を玉座に座らせることにした。
それが皇位争いにも巻きこまれず、唯一生き残った第七皇子の雲寧であった。
なのだが。ようやくここで、なぜ同じ皇位継承者にもかかわらず雲寧だけが生き残ったか、が浮き彫りとなる。
まぁ、至極簡単に言ってしまえば、彼は先帝にも見放された道楽皇子だったからだ。
宮廷楽士より召し上げられた母親から生まれた雲寧は幼いころから学問を嫌がり、笛にばかり興味を示した。兄たちから卑しい出自だと笑われても、へらへらと笑うだけで言い返すことすらしなかった。そういった惰弱な性質を先帝に厭われていたため、雲寧は兄たちの敵意から逃れることができたのだ。
完全なる棚からぼた餅状態で帝位に就いた新帝。大誉帝国はこれからそんな人間を担いで歩まなければならない。それゆえ夢珠が皇后に選ばれたのである。
夢珠の役割は二つ。一つは皇后として後宮を管理すること。もう一つは――。
「…………遅いわね」
夢珠はぽつりと呟つぶやき、閉ざされた入口の扉を見遣った。
そろそろ戌の刻。婚儀の宴も終わって高官たちも帰路に就くころのはず。本来なら主役の一人である夫の雲寧は宴もたけなわの時分に席を辞し、妻が一人で待つ寝殿へと向かう手順になっているのだが。
「ささやかな抵抗ってやつかしら」
意に沿わない婚姻相手を、初夜から困らせようという魂胆か。雲寧よりも先に朱色の布で豪華に飾られた寝殿に入り、龍鳳服のまま紅蓋頭を被って待っていた夢珠は、小さく溜息を吐いた。
寝台の上で座って待つこと二刻。最初のうちはお気に入りの書を頭の中で浮かべて読んで時間を潰つぶしていたが、十二冊目ともなると少々飽きてきた。せめて紙と筆さえあれば仕事ができるのだが。なんて考えていた時。
ようやっと寝殿の扉が開き、外から不機嫌を顔全体に張りつけた雲寧が入ってきた。
「やっときた……」
顔が赤い。それに扉から寝台まで距離があるというのに、ここまで濃い酒の香りが漂ってくる。どうやら、寝殿へくるまでにかなりの量を胃袋に流し込んできたようだ。
「ふんっ、何を期待しているか知らないが、私はお前と共寝などせんぞ!」
寝台の前までやってきた雲寧は、夢珠を見るなり嫌味をぶつけてきた。が、そんなことはとっくに予想済みの夢珠には、「婚儀では自分のこと朕って言ってたけど、やっぱりあれ演技だったんだ」としか浮かばない。
それよりもとりあえず話したい相手もきたことだし、そろそろ楽になってもいいだろうか。夢珠は軽やかに紅蓋頭を外し、寝台の上へと無造作に投げる。
「構いませんよ、陛下。むしろそのほうが好都合です」
すっきりとした顔で言い切った夢珠を前に、まさかそんなことを言われると思わなかった雲寧は意表を突かれた顔で戸惑う。
「お、お前、皇帝であるこの私と同衾したくないだと?」
「国のためにお世継ぎを儲ることは大切ですが、陛下は望んでおられないのでしょう? でしたら無理をすることはありません。とりあえず、今夜はそんなことよりも、これからのことを話し合いませんか?」
皇帝と皇后の子は男児なら嫡子となるため、次期皇帝に一番近い存在となる。雲寧に諦めを抱く重鎮たちはきっと強く待ち望んでいることだろう。けれど今は妊娠出産をしている余裕はない。
「は? そんなこと? 私との初夜がそんなこと?」
皇帝との初夜を拒むなど前代未聞。そんな女に会ったことなどなかった雲寧の困惑はまだまだ続いているようだが、夢珠は一切無視して話を続けた。
「宰相である我が父よりすでに聞いていらっしゃると思いますが、私はまだ政務に慣れておられない陛下をお支えするために皇后になりました」
そう、これが夢珠が皇后になったもう一つの理由だ。
夢珠は婚姻するまでずっと父・文泰の公務の手伝いをしてきた。毎日朝は大量の資料整理から始まり、続けて他州の官吏から届いた報告書を読む。その後は吏部、礼部など六部各尚書からの相談事に対する返答、さらには新たに提議する法案に穴がないかの確認をして、最後に奏状の代筆をする。その働きぶりは国に勤める官吏と同じだ。
母には年頃の娘がなぜそこまでするのかと、問われたこともあった。答えるなら、あの日出会った天女にもう一度会うためなのだが、今はそれだけが理由ではない。
国というものは尊い――――。
夢珠は父を手伝ううちに、国家というものがどれほど繊細かを知った。国はちょっとやそっとのことでは揺るがないが、一度舵取りを失敗すれば衰退は早い。だからこそ誠実な人の手で守ってあげなければならない、と考えるようになったのだ。その強い思いが新たな原動力になり、夢珠を突き動かしているとも言える。
本心を言ってしまえば父と同じように官吏として国のために働きたかった。しかし残念ながら大誉では女性官吏の登用が認められていないので陰から支えると決め、父もそんな夢珠の気持ちを尊重してくれた。
この歳になるまで嫁がずにいられたのは、すべて父のおかげだ。
しかし、そんな中で皇后冊封は突然決まった。
『夢珠、大誉のために力を貸してくれないか』
夢珠は父から、皇后となって雲寧を裏から支えて欲しいと頭を下げられた。
勿論最初は戸惑い、すぐに答えを出すことができなかったが、先の皇位争いで疲弊しきってしまった国と民を救うためと思えば、それが一番の策であると思ったから引き受けることにしたのだ。
「……ああ、そんなことも言ってたな」
「ですので、今からともに明日からの策を練りましょう」
「策?」
「今、陛下は朝議に出ておられませんよね? 無論、陛下の事情は知っておりますが、大国の皇帝が玉座を空け続けることは対外的にもよくありません。ですので、明日から滞りなく政務を行うための策を陛下と立てたいと思っております」
雲寧は即位からずっと朝堂で行われる合議を休んでいる。今は文泰が臨時の摂政として朝堂を取り仕切っているが、それも長くはもたないだろうというのが見立てだ。
「朝議だと? ふんっ、私は皇帝になりたくてなったわけではないゆえ、この国のことなど知らぬ」
しかし朝堂に皇帝不在の意味がまるで分かっていない雲寧は、苛立ちのままそっぽを向いてしまう。
「陛下はこの大誉が滅んでもよいと?」
「こんな血なまぐさい国など、勝手に滅びればいい。そうなったのなら、それがこの国の定めだったというだけのこと。私には関係ない」
酔いに任せた暴言なのか、それとも本心か。皇族として前者であってほしいと願いながら聞いていると、言いたいことだけ言った雲寧は背を向け、寝殿の出口へと歩き出した。
「陛下、どちらへ?」
「さっきも言ったとおり、お前と共寝するつもりはない。婚儀は太監に泣きつかれたから出てやったが、ここまでだ。私は部屋に戻らせてもらう」
「お待ちください!」
寝殿の扉に手をかける雲寧を、夢珠は慌てて止める。
――まずいわ。初夜を別々で過ごしたとなれば、皇后としての威厳が落ちるだけでなく、宰相の娘を蔑がしろにしたとして皇帝の評価も下がってしまう。
最悪、皇后の立場なんて後でどうにでもできるが、今の情勢での皇帝の信用下落は命取りだ。なんとしてでも引き止めなければ。必死に考えを巡らせた夢珠の頭に、ある人物の顔が浮かぶ。
心情的にあまり使いたくない手段だが、背に腹は代えられない。夢珠は思いきってその名を口にした。
「陛下は皇太后様を失ってもよいのですか!」
夢珠の言葉に雲寧が動きを止める。しかし振り向いた顔にはあからさまな憤怒が浮かんでいた。当然だ、母親に危機が及ぶと聞かされて怒らない人間などいない。
「それはどういう意味だ」
「そのままの意味です。このまま朝議に陛下が不在の状況が続けば、ゆくゆくは皇太后様の命に関わります」
「ほぉ……母上を使って私を脅すつもりか」
「脅しではありません。現時点で一番可能性の高い未来の話をしています」
「可能性が高い?」
「現在、この大誉帝国には陛下しか先帝の血を継ぐ方はいらっしゃいません。ですが、だからといって絶対に安泰ということではないのです」
「なんだ、また皇位争いでも起こるというのか? ハッ、兄上たちやその母妃、外戚も全員いなくなったというのに、どこから危険が訪れるというのだ。万が一に残党がいても、担ぎ上げる者がいなければ意味がないだろう」
雲寧が得意げに語ったが、夢珠はその自信を速攻へし折ってやった。
「担ぎ上げる者がいなくても、謀反など容易に起こせますよ。簡単なことです。どこかから手頃な歳の男児を連れてきて、先帝の筆跡を真似て偽造した文書とともに『こ
の子は先帝のご落胤だ』と言えば信じる者も出るでしょう」
平時なら誰も信じない荒唐無稽な与太話でも、皇帝の信頼が欠落していれば謀反の火種になる。今の雲寧に対する評価なら言わずもがなだが、それが分かっているのか、雲寧の顔にわずかな影が差し込んだ。
「ですが、その程度の騒動ならばまだ対処は簡単です。遺児を推す勢力とその近辺の者たち、そして遺児の出自を徹底的に調べれば必ずどこかにほつれが見つかりますから。ですがもっと怖いのは、朝廷に数多といる官吏たちです」
「官吏が怖い?」
「官吏は皆、頭の切れる者ばかり。当然、その中には自分に対し異常なまでの自信を持ち、その才覚を誇示したい、認められるのが当然である、と考える者が一人二人は隠れていることでしょう。長く朝堂を空けてしまうと、邪な者たちの中に野心が生まれてしまう。そう、たとえば――――自分のほうが皇帝にふさわしい、と」
射る矢のごとく真っ直ぐ見つめる夢珠に雲寧が押され、その背が扉に当たる。きっと今、彼の脳裏には大軍を率いた官吏が玉座に迫る光景が浮かんでいるだろう。
「もし彼らが徒党を組み決起した時、一番に狙われるのは陛下がご自分の命と同等に大切になさる方」
「なっ……」
雲寧の顔がみるみる真っ青になり、遠目でも恐怖で唇が震えているのが分かるほどになる。どうやら、ようやく事の重大さに気づいたようだ。内心で安堵する夢珠だったが、同時に心も少し痛んだ。
目の前にいる男は、それなりに過酷な過去も背負っている。父の話によると皇位争いでは兄皇子たちの放った刺客によって多くの者が被害に遭ったそうだが、雲寧や五娘も例外ではなかったそうだ。
いくら皇帝に見限られた母子であっても、皇位継承者とその実母となれば危険視されるのは当然である、と言葉では簡単に言えるけれども、当人からしてみれば思い出したくもない過去だろう。そんな辛い光景を呼び起こさせてしまった。些か厳しすぎたかもしれないと反省しつつ、夢珠は初めて懇願を見せる。
「陛下、私のことはどれだけ憎らしく思ってくださっても構いません。寵愛も求めませ
ん。その代わり私に陛下の大切なものを守るお手伝いをさせてくださいませんか?」
立ち尽くす雲寧に必死に食らいつく。
――皇太后様。
視界に雲寧を映しながらも、夢珠は五娘の姿に思いを馳せる。
――私はこの国と、あの方を守りたい。
夢珠は寝台から立ち上がって進み、雲寧の前に立つ。そして決意を込めた強い眼差しでしっかりと雲寧をとらえた。
「絶対に、後悔させませんから!」
正直な話、雲寧に対して情はない。別に彼が皇帝でなくても構わないなんて思いがどこかにあるし、それどころか玉座に就いたのに国を顧みない態度も腹立たしく思っている。だが、そういった感情に封をしてでも守りたいものができた。いや、増えた。
だから、私は強くなれる。内から漲る気力が、一刻も早く政務に取りかかりたいと搔かき立てる。するとそんな夢珠の熱意が伝わったのか、はたまた興奮した猪よろしく鼻息が荒くなっている姿に圧倒されたのか、雲寧は口角を引きつらせながらも頷いた。
「っ、ありがとうございます!」
言質をもぎ取った夢珠は満足げな笑みを浮かべると、花嫁の装飾をすべて取り外してさっさと近くの机へと向かった。
さぁ、今からは明日のための作戦会議だ。
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