斜陽国の奇皇后
神雛ジュン/角川文庫 キャラクター文芸
序章
第1話
その日、五歳だった
万寿節。皇帝の
真珠の白肌に零れんばかりの大きな瞳、淡く薄い桃色の唇と艶やかな黒髪はすべてが瑞々しく、見た者を一目で魅了する。その証拠に彼女が琴の前に座っただけで宴に参席した多くの高官らから感嘆の溜息が零れ、「麗しい」「仙界から天女が舞い降りてきた」といった声がいくつも上がった。
「きれい……」
宴に招待された父に連れられ同じ場にいた夢珠は、耳に届いた言葉から彼女を本物の天女だと信じ、懸想にも近い憧憬を抱いた。天女の君は稀有な美しさも魅力的であったが、白魚のごとく指先から奏でられる旋律は天上の音楽そのもので、桃源郷に迷い込んだのかと錯覚するほど感情が揺さぶられたからだ。
彼女が弾く一音一音に桃花の花弁が舞う情景を見た夢珠は、生まれて初めて胸の高鳴りを覚えた。心地好い高揚感とともに頰に熱が集まる。
感動に打ち震えながら、夢珠は隣にいた父の袖を引っ張り尋ねた。
「ねぇお父さま! 私もっと天女さまの琴がききたいし、おはなしもしたいわ!」
わくわくしながら聞くと、父はなぜか眉をハの字にして困ったように笑った。
「天女様とお話か……それは少し難しいな」
「どうして?」
「あの方は陛下のもとにいらっしゃるから、我々が望んでも簡単には会えないんだ」
「じゃあ、もう会えないの?」
父の言葉に、高揚していた胸が冷や水を浴びせられたかのように震えた。みるみるうちにひどい喪失感に囚われ、悲しみに視界が滲んでいく。
「泣かなくていいんだよ、夢珠。大丈夫、この国が安寧であれば、いつかまた天女様に会えるから」
俯いてしまった夢珠を見た父は慌てて膝を突き、濡れた眦を拭ってくれた。
「今日のような宴は、民が笑顔で暮らせているから開くことができたんだ。だからこの先も平和が続く限り、会える可能性はある」
「平和だと天女さまに会えるの? わかった、じゃあ私がこの国を平和にする!」
父の言う『平和』がどんなものか夢珠にはまだ分からなかったが、天女に会えるならなんでもするという強い気持ちは本当だった。
「ハハッ、これまた大きく出たな」
本気の目で高らかに宣言した夢珠を父は笑いながらも褒めてくれ、全力で応援すると約束してくれた。
こうして夢珠は天女との再会を目標に翌日から学問を、その中でもとりわけ政治を積極的に学ぶようになった。毎日手にするのは刺繡用の針ではなく、墨がたっぷりついた筆と経書や史籍の数々。恐ろしいほどの集中力で知識を吸収し才覚を開花させた夢珠は、十歳を越えるころには朝廷の官吏だった父の仕事を手伝えるようになった。徐家の兄に学問を教えていた老師にも、男だったら将来の宰相も間違いなかっただろうと惜しまれるほどにまでなった。けれど――――
あれから幾度か宮中の宴に参席する機会があったものの、夢珠が天女に会うことは一度もなかった。
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