話を聞こう

 もし彼女が黙っていたら、私は睨み返していたと思う。

 でもそんな気の毒な思考を彼女の声が奪い去る。


「どうしてなの。こんなに美しい海が

 ――気が付けば車窓の外はすっかり夜闇に包まれていて、輝く海なんて――

 毎日見られる町よ」


 なんて、いじわるに返事してみる。

 車両の蛍光灯が点く。

 無機質な眩い明かりだ。

「ちがうの。わたしね。東京から引っ越して来たの」


 ついさっき、女の子たちがうわさしていた転校生。

 そう言われれば制服が違うことにも納得ができた。


「あなた、東京から来たんでしょ?」

 少女は前のめりになった。


 勢いに押されてのけぞると、

 彼女は気まずそうにまた顔をそむける。

「ねぇ、きみはいつ頃からこの町に引っ越して来たの」

 踏み込んた質問をする。


 こうして彼女に質問をすると、

 硬い表情も砕けるかもしれないから。

「先月、お父さんの転勤で来た」

「そうなんだね」

 海は静かに悲しんでいた。

 彼女の背中にぺったりと張り付いた海は。

 悲しんでいた。


「学校はもう慣れた?」

「慣れるわけないでしょ?」

 そんな意地らしい態度に、私は前のめりになる。


「最初はね、一緒に遊ぼうとか、東京ってどんな場所って聞いてくれるの」

「うん、それで?」

「それで、わたし、なにも言えなかったのよ」

 理由を聞くために私は問い詰めた。

「どうして?」


 少し唇を噛む。

「わたし、東京のこと、何も知らないの」


 私は思わず眉をひそめた。

「生まれも育ちも東京なの?」


「うん。でも、それが何?」

 電車の遠くから小さく、さざ波の響きが聞こえる

 ――水城の次は木影宮です――

 でも外は真っ暗だから、どこか遠くで響いていることしか分からない。


「わたしね。学校と家の往復だけで、

 流行りのカフェも、おしゃれなショップも、

 有名な観光地も、ぜんぜん行ったことがないのよ」

 肩がわずかに震えている。


「友達に誘われても、親が心配するからって断ってた。

 休日はいつも家にいて、勉強したり、動画を見たりしてた。

 それで満足してたはずなのに」


 でも泣かれると困るから、やさしめに。

「引っ越してから気づいたの?」


 少女は小さくうなずいた。

「うん。それでね。ここの子たちは、

 みんなこの町のことをよく知ってるの。

 一番きれいな海岸とか、秘密の抜け道とか。

 だけどわたしには、東京の、そんな話が一つもないの」

 少女は深く息を吸い、津波のようにの言い続ける。

「だから、答えられなかったの。何も知らないのに。

 東京に住んでたなんて、恥ずかしくて」


 ようやく彼女が言いたいことが分かった。

「それで、みんなは?」

「最初は優しかった。でもだんだん冷たくなった。

 わたしがつまらない人間だって、気づいたのよ」

 少女は申し訳なさそうに、じっと私を見る。


「もう友達はできない。わたし、はやく東京に戻りたい。

 前の高校がいい。友達とも会いたいの」


 そして静けさ、夜闇が車窓に広がる。

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