第2章:言葉なき導き:シオンの探索

 静かなエーテル界の「裏側」は、物理法則が希薄な、透明なガラスのような空間だった。アオイ(猫)は、この奇妙な環境下でも、現実世界と変わらない軽やかさで、シオンの先導を始めた。


 アオイの小さな身体の中にある「人間の心」は、この夢の領域でこそ、その真価を発揮していた。彼女は、猫の鋭い感覚――微細なエーテルの流れや、過去の記憶が残した微かな振動、時間的な歪みの匂い――を捉え、それを人間の知性と感情(愛の感情)によって瞬時に解析した。


 ――ついてきて、シオン。最初に私たちは、光の影が濃く残る場所へ向かうわ。


 アオイのテレパシーは、彼の心に明確に響いた。


「わかった、ガイドよ」シオンは、目の前の猫を完全に信頼していた。彼は、境界の門に触れた際に失った過去の断片、そして彼を定義づける「新しい物語」の鍵を見つけ出すことが、この旅の唯一の目的だと信じていた。彼はアオイの存在を「神秘的な導き手」だと感じており、彼女が、ユキへの深い愛情を抱きながら、自分に人間の心をもって接していることには気づいていない。


 アオイが導いたのは、ネオ・ルナリアの都市の輪郭が曖昧に残る、その遥か地下深くへと続くような空間だった。そこは、現実の地下迷宮がエーテル界の残響として凝固した場所であり、時間の歪んだ廃墟が不規則に並んでいた。これらの廃墟は、かつてアオイがクロノと戦ったエーテル界の残骸の一部であり、濃密な記憶の痕跡を留めていた。


 猫として、アオイは小さな隙間をすり抜け、不安定な残響の足場を軽々と飛び移る。シオンは彼女の動きに合わせ、慎重に後を追った。


 この迷宮の探索中、アオイの心は葛藤を深めていく。シオンが求める「新しい物語」は、彼自身の真実を見つけ、過去の悲劇から解放されることを意味する。それは同時に、彼を現実へ解き放ち、この夢の中でしか共有できない「夢の愛」を終わらせることになるからだ。


 シオンが立ち止まり、壁に残された過去の残響に触れようとしたとき、アオイはテレパシーを送った。


 ――ここは、あなたの真実ではないわ。シオン、もっと深く、あなたの心が本当に隠している場所よ。


「僕の心が隠している場所……」シオンはつぶやき、アオイ(猫)の導きが、単なる道標ではなく、彼の内面に強く作用していることを感じていた。


 アオイは、シオンがネオ・ルナリアの「光と影」の街の真実や、心の奥底に隠された彼の家族を失った悲しい記憶へと向き合う準備ができているかを、猫の感覚と人間の心で計りながら、一歩ずつ彼を導いていく。彼女の愛は、言葉にならないまま、シオンの探索を支える静かな力となっていた。


 旅は、彼らの目の前に広がった、鏡のように冷たい輝きを放つ「影とガラスの領域」へと続いていた。それは、シオンの過去の痛みが結晶化を始めた場所の入り口だった。


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