第14話 涙の塩
師匠に新しい課題を出された翌日。
私は、厨房にフィクサー様と、そして皿洗いを終えてふてくされているカイル君を集めて、宣言した。
「私が、新しい名物に使う素材は、これです!」
テーブルの上に、私がどん、と置いたものを見て、カイル君の顔が引きつった。
それは、乾いて黒ずんだ、ただの筋のような塊。
王都の市場で、ゴミ同然の値段で売られていたものだ。
「正気か!? それは、
カイル君が、信じられないという顔で叫ぶ。
「塩辛すぎて、微量の毒もある! 料理に使うなんて、自殺行為だぞ! そんなものを客に出したら、店が潰れるどころか、犯罪になる!」
プロの料理人としての彼の常識が、全力で警鐘を鳴らしているのが分かった。
でも、フィクサー様は、落ち着いた声で私に問いかけた。
「なぜ、それを選ぶ?」
私は、その挑戦的な視線を受け止め、自信を持って答えた。
「しょっぱすぎる、ということは、不純物を取り除けば、その奥に純粋な『旨味』だけが残るはずだからです! この子は、ただ泣いているだけじゃない。きっと、最高の笑顔を隠してる!」
私の言葉に、カイル君は「意味が分からない」と頭を抱えている。
でも、フィクサー様の目が、あの日のように面白そうに、キラリと光った。
「面白い。やってみろ」
その許可を得て、私の挑戦が始まった。
まずは、セオリー通り、水にさらして塩抜きを試みる。
一時間、二時間……。
でも、結果は惨憺たるものだった。
「うげぇっ! しょっぱくて、苦くて、えぐい……!」
味見した私は、思わずシンクに駆け込む。
涙腺は、どれだけ水に浸けても塩辛いまま。それどころか、煮てみると、隠れていた苦味やえぐみまで凝縮された、とんでもなくまずいスープが出来上がってしまった。
カイル君が、厨房の隅で「だから言わんこっちゃない」と肩をすくめているのが見えて、悔しさで唇を噛む。
「どうして……? こんなはずじゃ……」
自信があっただけに、ショックは大きい。
私がうなだれて、諦めかけた、その時だった。
フィクサー様が、私の手元をじっと見つめて、静かにヒントをくれた。
「塩分は水に溶ける。だが、旨味成分の中には、油にしか溶けないものがあるとしたら?」
「え……? 油……?」
「それと、もう一つ。君の店の、あのコンロの『異常な火力』を使ってみたらどうだ?」
彼の言葉が、私の頭の中で、ぐるぐると反響する。
油……? そして、この店の、特別な火……?
その二つのキーワードが結びついた瞬間、私の目に、確かなひらめきの光が宿った。
(油……? 火力……? そうか、そういうことか!)
まるで頭の中に稲妻が落ちたような衝撃だった。
私は迷わず、厨房の棚から、特殊なモンスターオイルの入った瓶を取り出した。低温でも決して固まらない、無味無臭の油だ。
深めの鍋にそのオイルを注ぎ、
そして、店のコンロの前に立った。
まだその正体は分からないけれど、このコンロに宿る「特別な力」を、私は信じていた。
「お願い……!」
祈るような気持ちで、火力を最大にする。
鍋の中のオイルが一気に加熱され、沸騰を始めた。
カイル君が「無茶だ、焦げるぞ!」と叫ぶ。
でも、不思議なことに、涙腺は焦げ付かない。
それどころか、その黒ずんだ筋の表面から、黒い煙のような不純物と、過剰な塩分がじわじわとオイルの中に溶け出していく。
やがて、鍋の中のオイルが真っ黒になった時、私は火を止めた。
そこにあったのは、もはや元のグロテスクな姿ではなかった。
不純物が全て抜け落ち、まるで水晶のように透き通り、キラキラと光を放つ、美しい涙腺の芯の部分。
私はそれを丁寧に取り出し、乳鉢でゆっくりとすり潰していく。
サラサラと、純白の雪のような、美しい塩の結晶が出来上がった。
「これが……」
おそるおそる、その一粒を舐めてみる。
最初に舌に来たのは、鋭く、それでいてどこまでも清らかな塩味。
でも、それだけじゃない。
次の瞬間、口の中に、潮風の香り、山のミネラルの風味、そして、涙の理由を忘れさせてくれるような、ほのかな甘みと優しい旨味が、爆発的に広がった。
「すごい……!」
隣で見ていたフィクサー様も、一粒舐めて、初めてその冷静な仮面を崩して、目を見開いていた。
彼の驚きと、感動が入り混じった表情。
私たちは、顔を見合わせた。言葉なんていらなかった。
私の常識外れの発想と、彼の的確な理論が、初めて完全に一つになった瞬間。
私たちは、師弟としてではなく、対等なパートナーとして、自然に笑みを交わしていた。
最高の塩には、最高の料理法がある。
私は、炊き立てのご飯を手に取った。
最高の塩は、最高の白米の味を、最大限に引き出してくれる。それだけで、ご馳走になる。
それが、私の料理哲学の原点だった。
完成したばかりの「涙の塩」だけを使い、私は、父に教わった通りに、愛情を込めて、ふんわりと「塩むすび」を握った。
「さあ、どうぞ。新しい名物です」
「はっ、たかが塩むすびか」
まだ侮った態度のカイル君に、私はその一つを差し出した。
彼は、仕方なさそうに、それを一口、口に運ぶ。
その瞬間、彼の時間が、止まった。
「な……」
ただ、米と塩だけ。なのに、口の中に広がるのは、これまで味わったどんなご馳走よりも深い、豊潤な味わい。米の甘み、塩の旨味、その完璧な調和。
カイル君の脳裏に、忘れていた故郷の風景や、母親が握ってくれた、温かいおむすびの記憶が蘇っていたのかもしれない。
「(バカな……ただの、塩むすびだぞ……? なのに、なぜこんなに……涙が……)」
彼の頬を、一筋の涙が、静かに伝っていった。
そこへ、店の様子を見に来たフェルトとシュミットがやってくる。
「うめぇ!」「なんだこれ、ただのおにぎりじゃない!」
二人も、その素朴で究極の味に、大絶賛だ。
フィクサー様が、満足げに、そして師匠として、私に告げた。
「合格だ。これが、君の、そしてこの店の新しい名物になるだろう」
自分の力で生み出した、新しい一皿。
仲間たちの最高の笑顔に包まれて、私は、心からの喜びと、大きな達成感を噛みしめていた。
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