第4奏 パート4前編 プールの底に沈む記憶


蝉の声が、鼓膜の奥にじんわりと溶けていく。


照りつける陽射しが、まるで焼きつくように校舎をなぞっていた。


僕たち“赤点ブラザーズ”も、どうにか補習を乗り越えて──


夏休みまで、あと少し。


だけど僕には、最後の“難関イベント”が残っていた。


それは……**プールの授業**だった。


──好きになれるわけがなかった。


「男子〜、シャワー浴びて集合〜!今日は25m×2、タイム測るぞー!」


体育教師の声がグラウンドに響き渡る。


更衣室では、誰もが笑い合いながら着替えていた。


けれど、僕は誰よりも静かに、タオルを肩にかけたままロッカーの影に隠れる。


“背中”を見せたくない。


ただそれだけのために、まるで戦地に立つみたいな緊張感を抱えていた。


──僕の背中には、**稲妻のような傷跡**が走っている。


どこかのヒーローのペイントみたいに、不自然で、異質で、目立つ形。


「気持ち悪っ」と言われたことがある。


「何それ、戦隊モノのキャラ?」と笑われたことも。


子供は、無垢だからこそ、無自覚な“悪意”をぶつけてくる。


僕はそのせいで、幼い頃からずっと、背中を隠して生きてきた。


この傷の理由は──僕自身、**知らない**。


母さんからは「小さい頃に事故で……」と聞かされているけど、


その時の記憶は、なぜかごっそり抜け落ちている。


何があって、どこで、どうしてこの傷が生まれたのか。


ただ一つ、分かるのは......


この傷は僕の“心”に、ずっと静かに残っているということだった。


25メートルプールに並ぶと、足元から水の匂いが立ち上ってくる。


僕の隣には、いつものように陸がいた。


その顔は明るく、全然いつもと変わらない。


「……大丈夫か?」


「なにが」


「いや、なんとなく」


その瞬間、肩に重いものが巻きついたのが分かった。


陸が隣で肩を回しながら、笑う。


「気にするな!!お前はお前だ!!」


いつものブサイクな笑顔だった。


思わず、心の奥で何かがほどけた気がした。


笛が鳴る。


僕たちは、光る水面へ一斉に飛び込んだ。


水中は、静かだった。


泡の音、心臓の音、自分の呼吸だけが聞こえてくる。


けれど──


水底に映った自分の影が、ゆらりと揺れた。


そして、その中に走る**稲妻の傷跡**だけが、やけに鮮やかだった。


(……なんで、俺は──この傷のことを何も覚えてないんだろう)


問いの答えは、泡の中へ消えていった。


泳ぎ終えた僕は、誰よりも早くタオルを羽織り、プールから離れた。


少し肌寒い風が、濡れた髪を冷やしていく。


グラウンド脇を歩いていた時、


またしても自然な流れで、陸が僕の隣にいた。


「お前さ、なんか今日──泳ぐの速くなってたな」


「……そう?」


「うん。いや、プールの話っていうよりさ……」


陸がふと声を潜め、耳元に寄ってきた。


「……お前さ、西園寺、今日の水着姿見た?」


「……え?」


「いや、チラッとだけど、あの子……意外と良い体してんだな〜って」


「…………」


「くびれとかさ、意外と引き締まってんのに──**あのくびれに、意外とボリュームのある胸は……ガチだぞ**」


「……そういうの、本人に聞かれたら、またあの時みたく殴られる案件なやつだぞ」


「言うわけねーだろ。バカか!!思い出しただけで、脇腹辺りが痛くなってくる……」


そう言って、陸は腹を押さえて笑い出した。


──その無邪気さが、時々うらやましく思える。


僕は、自分の身体すら──本当の意味で、まだ受け入れられていないのに。


西園寺の身体は、現実に“そこにある”。


ノゾミの身体は、どこにも存在しない。


この世界で、“触れられる”ということは、


どうしてこんなにも、遠くて、眩しくて、苦しいんだろう──


水の中に浮かび上がる、忘れられた傷跡。


そして、夏の陽射しの下で交差する「君」への想い。





次回、『君恋』第4奏 パート4:中編



心は揺れて、身体は応える。



けれど──ノゾミの問いかけが、僕をさらに追い詰めていく。





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