鏡の向こう
アキドス
第1話 魔法の鏡
創造歴728年の冬
暗く、埃が舞う部屋の中に、みずぼらしいな服をまとった一人の少女が、じっと座っていた。
本来ならば立派な城で暮らすはずの姫であった。
しかし、ある日を境に数々の不幸が少女に降りかかる。
王と王妃が戦場へ去った後、広大な城にはたった一人の少女だけが取り残された。
そして、戦争のせいで城の舞踏会も客足も途絶え、城に訪れる者は誰一人いなかった。
長い孤独と城に溜まった埃のせいか、少女は病に倒れ、徐々に体は弱っていった。
かつて華やかだった衣装もすり切れ、日々の食事もままならない生活が続いた。
それでも、少女は笑顔を忘れなかった。
そんなある日、城を訪れた見知らぬ客がいた。
彼は古びた黒いローブを纏い、片手に木製の杖を、もう一方の手には全身が映るほどの大きな鏡を携えていた老翁であった。
誰が見ても怪しい姿だったため、たいていの者は声をかけず扉も開けないだろう。
だが、天真爛漫な少女は久々の訪問者に喜び扉を開けた。
彼女は古びた城でも、その老人を中へ迎え入れようとしたが、老人は最後まで城の中に入ろうとはしなかった。
「お嬢ちゃん…この鏡を受け取りな…」
老人はかすれた声で少女に鏡を差し出した。
少女は見知らぬ者からの思いがけのない贈り物に戸惑いながらも、その鏡を受け取った。
「えっと…どうしてこの鏡を…?」
城内にも鏡はあった。少女はその意味不明の贈り物を疑問に思っていた。
「お嬢ちゃんに必ず必要な鏡なのじゃ…まあ…お嬢ちゃんだけではないとも思うがのう。」
老人はそれ以上を語らず、静かに足を向け去って行った。
少女は首をかしげながら、鏡を部屋の中央に据えた。
鏡は奇麗に磨かれていて、そこにはみすぼらしい自分の姿が映し出されていた。
古びた服、乱れた髪、病に蝕まれ痩せ細った身体を眺めた少女は、苦笑を浮かべた。
そのとき、鏡に異変が起きた。
そこには少女のそっくりな少年が紫色のローブをまとって微笑みながら彼女を見つめていたのだ。
驚いた少女はそのまま後ろに倒れ込んだ。
鏡の少年は口を動かし、何かを語っているようだったが、少女にはその声が届かなかった。
少女は深く息を整えて、そっと手を鏡に触れた。
その瞬間、少年の声が聞こえた。
「やっと会えたね!」
少年はまるで昔から少女のことを知っていたかのように語りかけた。
驚く少女は慎重に尋ね返した。
「君は…誰…?」
少年はなぜここにいるのか、そしてこの鏡はどんな力で彼を映し出しているのか。
少女の心には数えきれない疑問が浮かんでいた。
そのとき、まるで少女の考えを先読みするかのように少年が言った。
「私は君だけの反対の魔法使いだよ。この辛い現実も全部反対に変えてあげよう。
だから、君の願いごとを、この鏡の向こうの僕に唱えてごらん?」
少女は少し躊躇した。
願いを叶えるという言葉は、あまりにも夢物語のように聞こえた。
だが、まだ幼い彼女には、苦しい現実から逃れられるかもしれないと心の中で思っていた。
少女はついに、小さな声で少年に本心を打ち明けた。
「わたし…一人で淋しかったの…だから、友だちがほしい…」
少年は穏やかに微笑んで言った。
「その願い、すぐに叶えてあげるよ。」
その言葉を残し、少年の姿はゆっくりと消えていき、鏡には再び少女の姿だけが映っていた。
まるで夢のような出来事だった。
自分だけのための魔法使い。
そして久々に交わした会話。
それだけで少女はしばしの安らぎを感じた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
翌朝、城の前庭には少女と同じくらいの子どもたちがボールを蹴って遊んでいた。
戦争の影など感じさせない、のどかで平和な光景を、少女は窓辺に身を寄せて見つめた。
子どもたちは窓にいる少女を見つけ、楽しそうに手を振ってきた。
少女もつられて手を振り返し、笑顔を見せた。
子どもたちは、「一緒に遊ぼうよ」とジェスチャーで少女を誘った。
だが、病弱な少女には歩くことすらままならなかった。
短い出会いはあっという間に終わったが、子どもたちは毎日城を訪れ、少女と話し相手になってくれた。
子どもたちと次第に仲良くなっていった少女は、ふと鏡の中の少年の言葉が本当かもしれないと感じた。
その瞬間、鏡に再び少年の姿が現れた。
二人はそっと鏡に手を重ねた。
少女は笑顔で「ありがとう」と告げ、本当に友だちができたことを伝えた。
「もう、寂しくないのかい…?」
少年の問いかけに、少女は明るくうなずいた。
少年は少女が気づかないほどに短く、どこか切ない微笑を浮かべると、すぐにまた晴れやかな表情で言った。
「じゃあ…次の願いを唱えてごらん?」
今度は迷いはなかった。
少女はもう疑わなかった。
この少年は、確かに自分の願いを叶えてくれる本物の魔法使いだと。
「わたし…! あの子たちと遊びたい。でも病気で歩けないから…また歩けるようになりたい。一緒に遊びたいの!」
少年はうなずいて言った。
「その願い、必ず叶えてあげるよ。」
そして、少年はふと鏡の中に消えていった。
少女はまた一人きりの部屋で、ぽっかりと空虚な鏡を見つめながら言い知れぬ虚しさにとらわれた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
翌朝――
少女は目覚めて異様な違和感を覚えた。
身体がもはや重くなく、痛みもなかった。
そっと足を床に下ろしてみた。
床の上に立っていつにもかかわらず、不便なところが全くなかった。
少女は信じられないほど驚き、数歩踏み出すと、涙を浮かべながら部屋中を駆け回った。
その日は久々に感じた「幸せ」そのものだった。
少女は子どもたちとともに城の前庭で走り回り、夢のような時間を過ごした。
そして遊び終わった後、少女は静かな城へ戻ってきた。
その静かな城は依然として彼女にとって広く、寂しすぎた。
その時、ふと鏡の中に見慣れた顔が映った。
少年が椅子に座って笑顔で迎えていた。
少女は鏡の前に進み、感謝の気持ちを伝えた。
「今日はどんな願いを唱えるんだい?」
少年はまた問いかけた。
少女は一瞬目を閉じた。
目を閉じて、城で両親と過ごした温かな日々を思い出す。
とても穏やかで温かったその日常
その日常は、戦争によってすべてなくなってしまった。
胸がぎゅっと痛む少女は、鏡越しに少年へ願いを告げた。
「戦争が終わって 両親とまた幸せに暮らしたい…」
少年の顔に一瞬だけであったが、驚いた顔をした。
少年は目を閉じ、そしてその願いを必ず叶えると約束し、ゆっくりと姿を消した。
再びいつもの自分の姿を映している鏡を見つめながら小さく呟く。
「名前くらい、聞けばよかった…」
ーーーーーーーーーーーーーーー
今度の願いはすぐには叶わなかった。
日が過ぎても戦争は終わらず、両親も帰ってこなかった。
もしかしたら、これまでのすべてが夢だったのかもしれない――
そんな思いがよぎったそのとき、城内に声が響き渡った。
少女は胸を高鳴らせながら部屋を飛び出した。
そしてそこには――
待ちわびていた父と母が両手を広げて立っていた。
少女はあふれ出す涙とともに、彼らの腕に飛び込んだ。
長い戦いの末に戻ってきた家族との日々は、彼女を徐々に暖かな日常へと戻していった。
少女はこのすべてが鏡の魔法のおかげだと思い、感謝を伝えようと鏡の前に立った。
そこには、どこか疲れた表情の少年が静かに椅子に腰かけていた。
だが彼は依然として微笑みながら、少女を迎えてくれた。
少女は感謝を言った。
「あなたのおかげで、また幸せな生活に戻れました。ありがとう。」
しかし少年は、静かに、少女の笑顔に応えるように微笑んでいた。
「願いごとすべて叶えられた…?」
少年の声は、不可思議なくらい静かで、少女はそのとき初めて、空気が違っていることに気づいた。
「鏡の魔法もこれで終わりさ…」
少年はそう告げ、少女へ別れの言葉を口にし始めた。
少女は涙をぬぐいながら、少年にどうか行かないでと訴える。
二人は鏡を挟んで手を触れようとしたが、冷たいガラスの壁がそれを阻んだ。
「お別れ言わなくちゃ…」
「言わないで…!」
少女は少年の言葉を止めるように懇願した。
「お願いだから、泣かないで…」
「行かないで…!私はただ、受けてばかりで…!」
少女は泣きながら少年を見つめた。
これまで受け取ってばかりだったことへの申し訳なさと感謝、そして別れの切なさが少女の涙を溢れさせた。
「君がくれたものを僕は返すだけ…」
少女は、魔法がなくても彼と一緒にいたかったのだった。
別れたくなかった。
でも、時計は止まらず、別れの時間が近づいていた。
「君と過ごした日々は忘れないから…だから…」
少年も小さな涙を浮かべながら、最後の言葉を贈る。
「僕のことを忘れて、どうか幸せに生きて」
そして鏡が砕け散った。
静まり返った部屋に、少女のすすり泣きだけがこだました。
数日間の奇跡のような出会い。
名前すら聞けなかった日々が、少女の心に後悔として残った。
少女は砕けた鏡の破片をひとつひとつ大切に集めて繋ぎ合わせた。
そして毎日、鏡を丁寧に磨いている。
もう会えないのかもしれない。
でもいつか、また別の奇跡が訪れるかもしれない。
今日も鏡は、明るい部屋を映している。
砕けた鏡の破片には、きれいな服を着た少女が笑っていた。
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