冷淡姫の恋心
玉響なつめ
第1話 冷淡姫は恋を知る
「いいえ、いいえ……大丈夫です、アリオス様。私に気を使う必要はございません。どうぞ、マリアンナ様のところへ行って差し上げて」
「違う、イリアネ、俺は……」
「わかっております。……でも、その優しさは、今の私には」
最後まで言葉にせず、儚げな笑みを浮かべる女を見て男は愕然とする。
こんなつもりじゃなかった。
言い訳はいくつも胸の内を通り過ぎたが、彼に背を向けて歩き始めた彼女に声をかけることもできず愕然とするばかりだった。
イリアネ・フォルトゥナは王国内の、中規模な領地を治める貴族の家に生まれた。
第三子ということもあって大きな責任を負うこともなく、長女ということから兄二人に可愛がられ、いずれ嫁ぐにしても利権よりも彼女が幸せになれるよう、無理な婚約はしないと両親が思いやる程に愛し愛される家族関係にあった。
とはいえそうやって愛され甘やかされる末っ子でありフォルトゥナ家のお姫様であったが、決してイリアネは傲慢に育つことはなかった。
どちらかといえば内気で、自ら人に話かけることは苦手であり、刺繍が得意で、社交よりも飼っている小鳥の世話をしている方が好きな……そんなごくごく普通の少女に成長していた。
ところが少しきつめの整った顔立ちと、そうした内気なせいで緊張から無口になるところが災いして彼女は一見、とっつきにくいように思われてしまったのである。
月下の薔薇、孤高の青薔薇、冷淡姫……彼女に声をかけてすげなくされる男たちが増えていくにつれ、加えられていく覚えのない物語にイリアネ自身が辟易している。
だが上手く応対できない自分にも問題があるのだと、強く否定もできないまま彼女はなんとか社交界を渡り歩いていた。
そんな中、イリアネは恋を知る。
相手はアリオス・グラーヴィス、イリアネの四つ年上の騎士だった。
平民の出自だがとても実力があったため、貴族であるグラーヴィス家が養子に迎えたのだ。
貴族たちにとって才能ある若者を養子に迎え、国家のための人として育成していくのは一つの義務であり、社会的地位からくる奉仕活動でもあった。
見目良い少年少女を引き取り、縁談に用いる……という貴族も少なくない中、グラーヴィス家は代々武官の家柄とあって純粋にアリオスの実力を認めてのことだ。
当主夫妻に子はおらず、縁戚の子を跡取りに据えている。
アリオスは家を継ぐという重責がない代わりに継げるものは何一つないが、それでも平民ではなく貴族という身分、そして平民では決してなれない王宮騎士という立場を手に入れたのである。
ではそんなアリオスとイリアネはどこで出会ったのか。
それは、とある夜会での一幕であった。
粗暴な酔っ払いが年若いメイドの少女に無理を言い、そこをアリオスが颯爽と助けた。
それだけの話だ。
イリアネは当事者ではなかったが、その少女を庇った一人だった。
間に入ったが故に『お高く止まっている』等語気を荒げた酔っ払いに何もできず、泣いて震える少女を抱きしめて庇うくらいしかできなかったのだが。
『大丈夫ですか』
最終的に酔っ払いが暴力に出ようとしたところを、たまたまその夜会にいた
自分たちを庇ってくれた背中と、そのたった一言。
それが、イリアネの恋の始まりであった。
夜会の話はあっという間に広がり、例の酔っ払いは咎めを受けたという。
少女は夜会のあった館で、まだ勤め始めたばかりのメイドだったため客を怒らせたということでこちらもまるで罰はなしというわけにもいかなかったというが、怪我がなくてなによりだとイリアネは思ったものだ。
そしてイリアネだが、何故かあの場でその酔っ払いが激昂したのはイリアネが少女を守ろうとしたまではいいが、余計なことを言ったからに違いない……という噂が流れてまたもやため息が漏れた。
何をしても彼女のことが気に入らない誰かがいるようで、社交的でないこともあって味方も少ないイリアネの悪い噂は消えることなく次から次へと広まっていくばかり。
とはいえ大半の人間がそれを嘘と理解した上で酒の肴にしているのだから、面倒くさいことだと彼女はいつもいやになる。
(……一番いやなのは、何も言い返せない自分だわ)
イリアネはただの内気な、普通の娘だ。
美しい
内気すぎたが故に彼女の性格を知る人が少なく、知る人がいくら誤解なのだと言っても重ねられていく噂。
いっそのこと修道院にでも……とイリアネがとうとうそんなことを考え始めた時、彼女に一件の縁談が舞い込んだ。
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