輝く一つ星のように

双葉さかえ

第1話 お葬式

 梅雨の終わり、叔母さんが亡くなった。


 突然の事ではなかった。

 叔母さんは少し前から病気で入院していて、遠方の病院まで母さんは何度もお見舞いに行っていた。


 俺はと言えば、遠方に住む叔母さんと遊んで貰ったのはほんの小さな頃の記憶だけで、思い出という思い出もなく、なんだか実感もないまま家族と遠くへ行く電車に乗った。


 辿りついた先の田舎のお寺で、お葬式をした。

 まだ子供の俺は、喪服の大人たちの難しい顔と線香の香りに慣れなくて、寺の縁側みたいなところから外を見ていた。


 寺の庭には紫陽花も咲いていたが、視線は不思議と上に向かった。

 今にも雫が落ちてきそうな鉛色の空だった。


「曇りだね」


 ふと、横から声を掛けられた。

 見ると、俺と同じか、少し年下くらいの男の子だった。


「降るかな」


 俺はなんとなくそう返した。

 やたら色の白い顔に、黒い目がはっきりとした華奢な男の子だった。一瞬小学生かなと思ったけど見慣れない制服を着ていたので中学生だろうと思った。

 

「分からない」


 男の子は細い声でそう返すと、空を見上げた。少しの間そのまま並んで空を見ていた。

 やがて男の子は、大人に呼ばれて喪服の集団の中に入って行った。


 棺が寺から出て行く時に俺も呼ばれた。その時は、少し雨が降っていた。


 *


 後になって、その時の子が亡くなった叔母さんの息子だと分かった。

 名前を、供川 空(ともかわそら)。


 供に川を渡り空へ。


 名前を聞いた夜そんな嫌な空想をした。

 あの子が家に養子に来ると伝えられた日の夜だった。

 

 あの子は今どんな気持ちだろうか。


 父親は早くに亡くなって、あの子は今独りぼっちらしい。

 家族が誰も側に居なくなって、たぶんいま夜をたった独りで過ごしている。

 どんな気持ちか想像しようとして、なんだかぞっとして、やめようとして。なんだかやめられなくて、いつまでも寝付けずに布団をごろごろと転がった。


 今、あの子はどんな気持ちなんだろう。

 どうにも心の整理がつかないまま、空が家族になるその日を迎えた。


 *


 梅雨は明けたのになかなかからりとは晴れない日の朝だった。

 始発で遠方まで迎えに行った母に連れられて、その子はやってきた。


 俺の家は左右を木立で囲まれた細い坂道の上にある。

 朝だというのに空気は蒸し暑く、一緒に歩いてきた母はハンカチで汗を拭っていたが、その子は汗一つかいていなかった。大きな荷物を手に坂道をぐんぐん上がって来て、俺の前まで来ると、青白い顔で、精一杯に笑った。

「供川 空(ともかわそら)です。初めまして。よろしくお願いします」

 俺はちょっと臆した。葬式で会ったよ、と言おうとしたけど葬式、と言う言葉が喉に引っかかって出て来なかった。

「よ、よろしく」

 そんな言葉しか出て来なくて、視線を逸らした。何故だかあんまり見ていてはいけないような気がした。

「ほら大地、あんた手ぶらなんだから荷物もってあげて」

 空に追いついてきた母が雑な口調で言って、ようやく俺は手持ち無沙汰な気分から救われた。

「荷物、持つよ」

 俺が言って手を差し伸べると、空は一瞬断りたそうな顔をして、でもまた青白い顔に精一杯の笑顔を浮かべた。

「じゃあ……半分、お願いします。すみません」

 渡された荷物は重たくて、この白い細い腕でここまで持って来られたのが不思議なほどだった。

 俺は、荷物を持って家に上がりながら、この子はなんでこんなに笑うんだろうと思っていた。笑わなくても、笑えなくても、いいのに。

 そんな事を思いながらも、気持ちは一つも言葉にならなくて、その日の俺はただ空に人見知りして過ごした。空はやっぱり青白い顔で、よく笑った。


 夕食の後で母に言われて空を二階の空の部屋へと案内した。

 空の部屋は俺の部屋の隣の物置になっていた部屋で、空が家に来る事が決まってから母と掃除をしてカーテンや寝具も新しいものを揃えていた。

 その部屋のドアを開けた時、空は一瞬立ちすくんだように見えた。

「どうしたの?」

 思わず声を掛けた俺に、空は呟くように答えた。

「いえ……なんでも。すみません、ありがとうございます」

 何がすみませんとかありがとうなんだろう、という疑問が言葉になる前に、おやすみなさい、と言って扉は閉じられた。


 俺の住む家は古く壁は薄い。だけれど隣の部屋から人の居る気配は伝わってこなかった。大丈夫だろうか、と隣を気にしながら、自分は布団に寝転がっていつものように本を読んだ。

 夜半を過ぎる頃隣の部屋で布団を敷く気配がして、俺は少しほっとして本を閉じた。


 明かりを消して目を閉じていると、眠気がさした頃に隣から歌声がした。どこか悲しげな小さなハミングだった。歌声は眠気を遮らずただ心の奥にしんしんと響いた。それを聞きながら、その日は眠りに落ちた。

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