第十一話 迷惑千万、とおせんぼ

 暑い。

 うんざりするほどエンジン音を聞いてる俺を、真上に昇ってきた太陽がジリジリと焼いている。

 走ってさえしてしまえば風を受けて涼しくなるんだが、いかんせんそうもいかないのが現状だ。

 先も見えないほどの車の列。いったいどこまで続いているのだろう、丸っきり動く気配がない。


「すみません先輩方、まさかこんなに渋滞しているとは……」

『気にしてないよ。唐木くんが悪いわけじゃないでしょ?』


 ワンコ先輩が何でもなさそうに言った。だけどやっぱり暑いようで、フェイスシールドを上げて麦茶を飲んでいた。


 うう……優しい天使世界一……。ワンコ先輩好き……。


『……ダメだ』


 なんて考えていたら心乃先輩にダメ出しされた。


「いや、ほんと、マジですみません……裏道とかちゃんと調べてくれば良かった……」

『……ユキじゃなくて、この状況』


 心乃先輩は真っ直ぐと前を眺めている。スタンドを立ててバイクを安定させた彼女は、フットレストに両足で立ち、低い背を目一杯に伸ばして奥の方を見ているようだ。


『……なんかいる』

「なんかって何ですか?」

『……さあ。よく見えない』


 諦めてぽすん、とバイクシートに座った先輩。とりあえず大人しく待っていることにしたようだ。

 それなら俺も一回降りてストレッチしようかな、なんてスタンドを立てた。


「すみませーん! この先、大型の『怪異』が道を塞いでいますー! 障害を除去するまで今しばらくお待ちくださーい!」


 その時、拡声器の声が辺りに響き渡った。どうやら渋滞の始点からここまで、歩きながら声かけをしているらしい。


「なるほど、『怪異』被害か……俺たちの出る幕ありますかね」

『……ん。見てこようか?』

「あー。じゃお願いします」

『え、なになに? ココちゃん一人で行くの? 私も付いていこうか?』

『……ワンコは、そのまま掴まってて』


 心乃先輩が腰に巻き付けた小型のバッグからカードを取り出した。それを隣に括り付けられたカードリーダーに挿し込んだ。


『……「概念装甲アーマード・セプト」』


 オレンジ色の光に包まれる先輩。右腕、左腕、両足の順で光が弾けていき、それぞれフリルの付いた手袋とニーソックスが現れる。そして胴の光が弾けると、その下にはオレンジを基調とした丈の短いフリルワンピースが出現した。最後に、目を瞑る心乃先輩の頭を覆っていた光が弾ける。二つ結びは解かれ、オレンジ色に染まった髪が腰の辺りまで伸びる。空からふわりと降りてきた三角帽子が、彼女の頭に収まった。


「……『サモンズ・ウィッチ』」


 フルフェイスのライダーはどこへやら、突如現れた小柄な魔女。突然の現象に周りで渋滞待ちしていた車の運転手たちが目を剥いていた。


 ふんす、と大きく鼻息を吐き出す心乃先輩。多分ドヤ顔のつもりなんだと思う。


「それじゃあ行くよ、ワンコ」

『え、行くって……わあ!?』


 その時、心乃先輩のバイクがふわりと浮いた。そのまま上昇していき、空中で静止した。


『え、え!? 空飛んでる!? ココちゃん空飛べるの!?』

「……またげる物なら。バイク、ホウキ、その他諸々」

『えー! すごーい!』


 ワンコ先輩がいつになく興奮している。まるで幼い子供のようにはしゃいでいた。 ちくしょう、絶対今のワンコ先輩良い表情してるんだろうなぁ。俺も見たかった……。

 それにしてもあんな高いところにいるのに怖がりもしないとは、ワンコ先輩もなかなかの胆力というか。


『すごいね! すごいね! これならどんな所にもびゅーんって行けるね!」

「…………」

『……? ココちゃん?』


 心乃先輩が黙ってしまった。なんとも申し訳なさそうに斜め下を向いている。

 俺はその理由が分かっているので、静かに彼女に同情した。

 ゆっくりとバイクが前進する。渋滞する車の頭上をゆっくりと、ゆっくりと。……本当にゆっくりと。


『あれ、ココちゃん? 安全運転過ぎない?」

「……違う、これが最高速」

『へ?』


 ワンコ先輩から間の抜けた声が聞こえた。


「……時速3㎞しか出ない」

『歩くのより遅いの!?」


 ワンコ先輩の反応は、まあそうなるよなと言うべきか。空中に浮けるだけでもメリットはあるのだが、移動に関してはこの通りポンコツ能力である。


「……まあ、安全運転ということで。ヘルメットしてないし」

『それはそうだけど……ううー……』


 ああ、ワンコ先輩がしょぼくれてしまった。そりゃああれだけ期待してれば……。ワンコ先輩、可哀想に。


「ワンコ先輩、これが心乃先輩がバイクで走り回っている理由です」

『そうだよね……自由に空を飛べるならバイクなんて必要ないもんね……』


 落ち込んだワンコ先輩を乗せながら、バイクはふわふわと空を飛んでいく。俺は微妙な空気になった二人を、ただただ見送ることがしか出来なかった。


 数分後、心乃先輩から通信が繋がった。ヘルメットは変身と同時に異空間に飛ばされてしまったが、『概念装甲アーマード・セプト』に付属している通信機は使用可能だ。因みにこれ、どこにマイクがあるかも解らない上にスピーカー無しでも会話が出来るというトンデモ性能をしている。アマ姉の技術、尊敬を通り越して恐ろしい。


『……見えた。なんか龍が寝てる』

『龍? 緑の?」

『……緑の』


 肯定の返事が返ってきた。

 緑の龍……龍神だろうか。神厄級だとしたらかなり厄介だぞ……。


「俺も加勢に行きましょうか?」

『……いや、寝てるだけっぽいし、ちょっと周りの人に聞いてみる』


 そう言うと心乃先輩は、一言呪文を唱えた。


『《サモン――スピーカァ》』


 こちらからは見えないが、心乃先輩が召喚獣を呼び出したようだ。《スピーカァ》はその名の通り、召喚者の声を拡声させるカラスである。


『……こちら、『怪異』に対抗できる者です。お力添えします』


 心乃先輩が呼びかけているのは警察か、はたまた市の職員か。とにかく現場が右往左往しているのは間違いなさそうだ。


 ……やっぱり俺も行くか。


 エンジンを切ってバイクから飛び降りた。サイドバッグからいつもの籠手を取り出し、ケースから準備したカードを差し込んだ。


「《フェザー・アームズ》」


 俺の身を纏う白の鎧。弾けた光が、真っ白い羽根と成って俺の周りを舞い落ちた。

 俺は大きく飛び上がり、渋滞中の車を踏み蹴って進んでいく。今の俺は羽根そのものだ。その軽さ故に素早く、飛ぶ様に移動できる。もちろん車には一切キズが付かないし、そもそも頭上を走ってる男がいるなんてほとんどの人が気がつかないだろう。

 あっという間に例の現場に到着した。これ俺が行った方が早かったな?


 ……確かに、龍がいる。

 全長何メートルくらいだろうか。少なくとも巨大なことは間違いない。横たわるその巨躯は、こちらだけではなく中央分離帯を挟んだ反対側二車線も塞いでいた。

 龍から少し離れた所に、ヘルメットを外したワンコ先輩がいた。俺は彼女の隣に、ふわりと降り立つ。


「ワンコ先輩、今どういう状況です?」

「あ、唐木くん。今はココちゃんが聞き込みしてるところだよ」


 心乃先輩の方を見た。どうやら市の職員や警察官と話をしているようだ。白バイが停まっている辺り、『怪異』対策部隊が来る前に様子を見に来た先遣隊だろうか。


「心乃先輩!」


 俺は心乃先輩に駆け寄った。こちらに気づいた心乃先輩が振り向く。


「……来たのかユキ」

「はい、やっぱり気になっちゃいまして」

「……おけ。なら、ちょっと龍の口に寄ってみ」


 親指で龍の顔を指差す先輩。まあ、心乃先輩がそう言うなら大事はないだろう。俺は少し警戒しつつも、いびきをかく龍の口元へ歩いて行った。

 と、その時。


「うっ、酒臭っ!」


 大口を開けた口内からは強烈なアルコール臭がした。べろべろに酔っぱらって帰ってきた父さんと同じ臭いがする……。

 ……ん? ということは……。


「泥酔しているのか? この龍」

「……ぽい」


 いつの間にか隣に来ていた心乃先輩。臭いに堪えられないのか鼻を摘まんでいる。


「どうします? 多分こいつ龍神ですよ。神厄級ですし一度アマ姉に報告して……」


 スッと、俺が言い終わる前に龍へと近づいていく先輩。


「あっ、先輩……」


 何か気になることがあるのだろうか。そう思って様子を見ていると、心乃先輩は大きく右脚を振り上げて――。




 龍の顔面に、思いっきり蹴りを入れた。




「「「わぁ――――――!!」」」


 俺やワンコ先輩、その他その場にいた人間全員の悲鳴が重なった。

 何を血迷ったのか、心乃先輩はその後もゲシゲシと何度も足裏で蹴っている。


「……おら、起きろ酔っぱらい」

「ちょちょちょ、何してるんですか心乃先輩!?」

「……酔っぱらい起こしてる」

「蹴る必要あります!?」

「……だって、道端で寝てる酔っぱらいなんて何言ったって動かないから」

「アーケード街で酔い潰れてるオヤジを相手にしてるんじゃないんですよ!?」


 血の気が引いている俺とは裏腹に、心乃先輩は無感情で蹴り続けている。何が彼女をそうさせるんだ。酔っぱらいに恨みでもあるのか。


「痛っ、いたたたた……わかっ、分かったから。自分の部屋で寝るから蹴るのはよしとくれハニー」


 足をバタバタと暴れさせている心乃先輩を羽交い締めしていたその時。龍の口から若い男の声が聞こえてきた。ズルズルと、アスファルトに擦りつけるように身体を捻らせ、前足を使って上体を起こした。


 周囲の人間たちがどよめいた。推定神厄級の龍が目を覚ましたのだ、緊張も走るだろう。

 しかしこちらの心配を余所に、龍はぼーっと辺りを見渡していた。最後に心乃先輩に視点を移し、目を細めながら頭を下げる。


「んー? ハニーじゃないのう。何処じゃここ」


 再びキョロキョロと辺りを見渡す龍。混乱気味の龍に心乃先輩が答えた。


「……あなたたちの言う『下界』」

「下界? 何故儂が下界に……。確か昨日は供えられた酒で仲間と酒盛りして……ハニーとの愛の巣に帰るために電車に乗り込んで……」

「電車」


 急に現代社会の叡智が出てきた。向こうの世界にもあるのか、電車。


「そんで……ええと……そのまま終点まで寝過ごして……。仕方ないから愛の巣まで飛んで帰ろうと龍の姿になって……」


 頭を捻る龍。どうやら必死に思い出そうとしているらしいが、


「駄目じゃ、さっぱり思い出せん」


 匙を投げた。


「心乃先輩、やっぱこいつただの酔っぱらいです」

「……しかも記憶飛ぶまで呑むタチの悪い奴」


 面倒くさそうだが害は無さそうだ。いや既に被害は出てるんだけどさ。

 龍はようやく状況を理解したようで、ふむ、と一つ頷いた。


「なるほど、帰るつもりがうっかり下界に降りてしまったか。して、儂を起こしたのはお主か?」

「……そう。あなたが寝ていたせいで、車が通れなくなってる」

「なんと、それはすまなんだ。今すぐ退いて……ヴッ」


 龍の喉から何かヤバめの音が鳴った。龍は大きく天を仰いで深呼吸。


「うぐ……吐きそ……」

「マジで!? ちょ、龍神が吐いたらどうなんの!?」

「たぶん……ここら一帯……豪雨……おうえ……」


 何かとんでもないこと口走ったぞこの野郎。

 勘弁してくれ、こっちはバイクで移動してんだぞ。ワンコ先輩を雨に打たせるわけにもいかないし。あと純粋に酔っぱらいのゲロから生まれた雨とか嫌すぎる。


「……二日酔い?」

「う、ごおおお……」

「……返事も出来ないか。しゃーない」


  心乃先輩がカードリーダーのカードを入れ替えた。再び光に包まれ弾けたその後には、ターコイズブルーに染まった彼女の髪と、それを基調にした魔女の服。そして彼女の手に、同じ色の物々しいライフルが握られていた。


「……《スナイプ・ウィッチ》」


 心乃先輩は即座に銃口を龍へと向けた。


「……先輩?」

「え、何するのココちゃん?」


 近くまで寄ってきたワンコ先輩と一緒に、心乃先輩を呼びかける。

 だけど彼女は我関せず、躊躇いなく引き金を引いた。


「……《デストロイビーム》」

「「えええええええええええええ!?」」


 銃口から射出された白いビームが、龍の巨躯を直撃した。ビームは残らず龍の身体に吸い込まれ、直後に全身が発光した。

 俺とワンコ先輩は思わず、心乃先輩の肩に掴みかかった。


「ちょ、何やってんですか先輩!? 殺っちゃったんですか!? 殺っちゃったんですか!?」

「酷いよココちゃん! 悪い人……人? じゃなさそうだったのに!」

「……落ち着いて。あれあれ」


 俺たちにガクガク揺さぶられている心乃先輩が、今しがた理不尽なビームを喰らった龍を指す。

 龍を纏った光が徐々に薄れていく。それと同時に、龍にも異変が起きていた。

 苦しそうにえずいていたはずの奴の顔色が、スッキリとした様子へと移り変わっていった。


「何じゃ……何が起こった……?」

「……酔いと頭痛が楽になるようにしといた。あとついでに体内のアルコールも分解しといたから」

「なんと! お主が儂を楽にしてくれたのか。ちんまいのにやるのう。感謝するぞ、人の子よ」

「……ちんまいは余計。とりあえず、そこ退いて欲しい」

「おお、すまんすまん。今退こう」


 ぶわり、と一際強い風が吹き荒れた。龍を中心に渦を巻き、路肩の木々がざわざわと鳴く。

 龍の身体が浮き上がった。吹き荒ぶ風を引き連れ、奴は俺たちを見下ろした。


「世話になった、人の子よ。儂はこれにて帰ることに……ん?」


 飛び立とうとしたその時、龍の視線がある一点に固定された。首を下げ、しかめた面を、ワンコ先輩の目の前まで近づけた。


「な、なに……?」

「ふむ、中々のべっぴんさんじゃのう。まあ、儂のハニーには負けるがな」


 俺は即座に間に割って入った。でかい顔で覗き込むナンパ野郎に睨みを利かせる。


 ぱちくりと目を瞬かせる龍。だがやがて奴は、どこか満足げに破顔した。


「そうかそうか、お主がいれば大丈夫じゃろ。では、儂は今度こそお暇しよう」


 ゆっくり、大きく、龍は背を反らす。その身をうねり、天へと高く、高く、昇っていった。

 完全に奴の姿が消えたその時、それを見守っていた者たちは三者三様に溜め息を吐いた。神厄級を相手にしていたのだ、気が張るのも無理はない。


「何だったんだよあの酔っぱらい……」

「……変なのもいるもんだ」

「と、とりあえず道が開いて良かったね! 先に進もう?」


 ワンコ先輩がパンッと手を叩いた。彼女の言うとおり障害は排除出来たんだ。あんなのは気にしないで先に進もう。


「……ん。じゃあ、わたしとワンコはこの先のコンビニで待ってるから。ユキは後から来て」

「はい、分かりました」

「え、唐木くんのバイクのとこまで戻らないの?」

「……また空飛ばなきゃだよ」

「あー……うん、先に行こっか」


 先程の超遅延飛行を思い出したようで、ワンコ先輩は微妙な顔をしながら頷いた。

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