ヤマアラシ

煙草廃人

リヒター

「内田葵」は私をいじめた加害者である。

 そんな内田がなぜ、いじめの被害者たる私「市川美咲」の家にいるのか。この意味不明な状態が全くの説明もなく展開されている。おおよそ全ての事柄に説明責任があると審判に問いただしたい。当然私と内田は友人関係などでは決してない。そもそもいじめは今なお継中である。私たちはお互い憎み合えばこその関係であり、それこそ「ここであったが百年目。市川美咲覚悟しろ!」と切りかかってきたのならばストンと納得し、収まりの良さに満足しながら死ねるだろう。しかし、妙な縁があったのは間違いではない。


内田について知るべきことは正義感と責任感の塊であるということだ。一度決めたことは決して曲げず、自分の正義と人情のジレンマに追い込まれ続け、日々を苦しみ全てを憎む。その上で前へ前へと這いつくばって進んで行く。そんな矛盾を抱えた人間である。

私は始めその矛盾した人間臭さに好感を持っていた。しかしそれは表の顔、私に対するいじめは内田の醜く薄汚れた魂をむき出させ、私はドン引きしたことを今でも覚えている。そして内田は巧妙にクラスメイトを扇動し、じわじわ私を痛めつけ、かくして居場所はなくなった。一応今は職員室の隅っこに登校している。


内田の侵入を許してしまった。私の命もここまでか……思えば何も無い人生だった。あるのは空白といじめだけ。こんなことなら、あの世の事についてよく調べとけばよかった。私は鬼に食われるであろう。ああ、辞世の句でも読んでおくか。

 人の声 急いで消した タバコの火

 若気の至りも 明日は我が身か

 ……懐かしさと罪がかかった良い句だ。もはやこの世に残すことは無い。あとはあるがまま受け入れよう。


 ―――おい、頼むからなにか喋ってくれ。頼む。……私たちかれこれ二十分ほど一言も喋っていない。さすがの私もその重々しい空気に耐えきれず、孤児あるあるでも話して場を和まそうかと思ったが、しかしここは施設ではない。シラケた場合を考えるとますます何も喋れなくなった。

 そもそも私は人と話すのが苦手である。目も合わせられないし、合わせようと思っても眼球が回る、なんなら今だって俯いたままだ。しかしこのままではいけない、……よし、いくぞ。

「……あ、やっと目が合った」

 ―――会話には相当の覚悟とエネルギーがいる。きっと皆もそうであろう、少なくとも私はそうである。したがって急に声を出してきた内田に対し覚悟が足りなかった私は、―――

「ひゃぇッ」

 ……と情けない声を漏らしてしまった。

「…………なんかごめん」

 くそぅ、もっと堂々としろ私。こんな奴に気を使わせるな。てかなんだよこいつ早く喋れよ。おちょくるためにわざわざ来たのか。違うだろ、どうでもいいから早く帰れ。

 ……なんだ、なぜカバンの中に手を入れる……まさか牛刀でも出す気か……。

 内田と目が合う。何だ大きいぞ、まさかほんとに……っ。

「……これ、ひとりで読んで、私もいないところで。絶対他の人に見せちゃダメだから、信じてるよ」

 内田は何を言っているのだろうか。いじめの謝罪か何かだと思っていたが、どうやら違う。目的はなんだ。弱みを見せて何になる?

 ……これは日記か。なぜ私に、私はこんなもの見たくない。内田はこれを見せてなんの得がある。まさか、これはいじめの謝罪?……違うか、これは内田葵の弁明か、確かにそれなら納得できる。内田は間違った嫌われ方を嫌う奴だった。自分の全てをさらけ出し正しく相手に評価されたい、そんな気持ちの表れと見るべきだ。

 しかし、内田は全て私に委ねたわけか。私に任せる、そう言うことか。内田は私を信じると言った。ならば私もその心意気を汲むしかない、か。

「…………あぁ」

 心を決めた内田に対して、気の抜けた相槌を打つ私。

「……ねぇ、私が酷い人間なんだって……分かっちゃったらどうする?」

「…大丈夫だよ、私はお前のこと大嫌いだから」

「ふふ、そっか。ありがと」

 内田は心底嬉しそうに笑った。なぜ笑ったのか、私には分からない。これを読めばわかるのだろうか。

 中学二年生の彼女は何を思い何を感じたのか。 

 内田が帰宅し、少し待って日記を開いた。

 私はすぐに直感した。この日記は内田葵の絶叫だと。

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