神様のアクアリウム

するめいか

第一話 「宇宙人からの招待状」

 クソみたいな連勤がようやく終わって、心も体もくたくただった。

 だけど今日は、久しぶりにこの店に立ち寄った。


 この店は、そんなに大きくないくせにやたらと品ぞろえが良くて、珍種も平気で並んでいる。たまたま見つけた店なんだけど、店内の水槽を眺めているだけで時間を忘れる、俺だけの聖地だ。


 今日は、飼ってる魚のエサを補充しようと思ってたし、ついでに何か面白いものがないか見てみたかった。


 店のドアを開けた瞬間、湿気を含んだ水と生き物の匂いが鼻を打つ。

 この独特の匂いが、俺には妙に心地よくて、疲れた神経が少しだけほどける。


 そして、俺は店内の巨大水槽の前で動けなくなっていた。


 泳いでいたのは──プラチナ・アラパイマの幼魚。


 体長はまだ四十センチほど。けれど白銀の鱗はスポットライトを浴びるたびキラキラ反射して、まるで泳ぐ金属の塊みたいだ。


 値札にはこう書いてあった。


 「プラチナ・アラパイマ(幼魚) ¥1,500,000 要・特別許可」


 魚1匹にこの値段。中古の軽自動車が買える。狂ってる。


 でも、こいつを見てると・・・理性が飛びかける。


 何がヤバいって、プラチナ・アラパイマは普通のアラパイマと違って全身が白銀一色。突然変異で生まれる個体だから数が少なく、たとえ金があっても買えるとは限らない。しかも養殖ができず、天然ものしかいない。輸出規制もガチガチで、つまり幻の魚なんだ。


 そして恐ろしいのは──こいつがまだ“幼魚”だってこと。


 アラパイマは成長すれば体長三メートル、体重二百キロを超える。しかも水質に敏感だから、水が汚れたらだめだし、暴れれば水槽をぶち割る破壊力。飼うならプールレベルの水槽が必要で、特別な許可もいる。個人の家で飼うなんて、ほぼ無理ゲー。


 いや、俺だって金は食事を抜いてでもなんとかするタイプだ。もやしと水と安サプリで生き抜く気合は常にもっている。


 でも──こいつを飼えるような家に住む金はない。


 貯金なんかもちろんない。なにせ今まで全部アクアリウムにつぎ込んでるんだから。


 はぁ……ため息が漏れる。


「お客様、やっぱり気になります? お客様なら常連様サービスで、今なら消費税分ぐらいはサービスしますよ」


 背後から声をかけられ、心臓が飛び跳ねた。振り向くと、ショップの店員、川島さんがにこにこしていた。

 川島さんは女性で、顔立ちは童顔なのにアクア歴十五年という大ベテラン。話し出すと止まらない超マニアックトークで、素人客を置き去りにするタイプだ。


 一応この店の主任だけど、他の店員はやる気のないギャルが一人いるだけだ。ギャルは熱帯魚の名前すら怪しく、スマホをいじりながらレジ打ちしてることが多い。


 そして──俺にとって、仕事以外で唯一会話を交わす女性だった。


 つまり、俺は童貞、彼女いない歴=年齢。川島さんとのこの数分間のやり取りが、俺のリアルな男女コミュニケーションのすべてだ。


 ……泣きたい。


「飼えないよ。俺の家の狭さ知ってるでしょ」


「ですよねー。でも今度、ナイルパーチの稚魚も入りますよ。おひとついかがですか? 将来的に二メートル半、三百キロになりますけど」


「わぁ、人の話聞いてねー!!」


「えっ? でもアラパイマより成長遅いから、お財布には優しいですよ? ていうか、ちょうどいいサイズになったら食べるのもアリですし! それにパーチ系って肉質が違うんです。脂の乗り方が全然──」


「いや、食う前提ってどうなんですか……。家族みたいなもんでしょ。ひくわー。」


 川島さんはマジな顔で力説していた。おそらく“人間が食べる魚”としての知識まで抜かりないんだろう。そこがこの人の怖いところだ。


「ていうかさ、そもそもなんでこの店にプラチナ・アラパイマなんか入ってくるわけ? 普通ありえないでしょ」


「うーん……それ私も知りたいんですよねー。たぶん店長が仕入れてると思うんですけど──」


「店長? あの都市伝説みたいな店長?」


「そうそう! 私も入社してから一度も見たことないんですよー。存在はしてるはずなんですけどね?」


「マジかよ……。」


 川島さんはひょいと肩をすくめる。


「でも、たまに伝票に店長のサイン入ってるから生きてるとは思います。たぶん。」


「たぶんて。あなた主任でしょ!」


「主任だけど、店長に会ったことはないです。てへっ」


 無邪気に笑う川島さん。でも話してると、フワッとしてて宇宙人みたいなとこがあるんだよな。ところがアクアリウムの話になると、突然辞書みたいに知識が出てくる。正直、この人もだいぶ謎。


「……そういや、他の店員は?」


「あー、うちのギャルですか? あの子、昨日も“カクレクマノミってディズニーの魚だよね〜”って言ってましたよ。あれはあれで癒やし枠です」


「そっか……まあ、癒やしって大事だよな……。」


 わかってやってるのか天然なのか。悪気が微塵も感じられないのが川島さんの怖いところだ。


 それから、川島さんと入荷予定の魚の話をしたけど、頭の中はずっとプラチナ・アラパイマでいっぱいだった。


 未練を断ち切るように餌を手に取り、レジに向かってから振り返る。


 白銀の鱗がスポットライトを浴びて輝き、プラチナ・アラパイマはゆらりと泳いでいた。まるで誘うように。


 ……今の俺なら、ちょっとぐらい怪しいバイトにも手を出しそうだ……。


 そんなことを思いながら、店をあとにした。


 このときの俺はまだ知らなかった。


 俺が、人生最大の──究極の選択を迫られることになるなんて。


 ◇


 俺は夜、自室の水槽に顔を突っ込む勢いで、水換えをしていた。


 水流の音が心地いい。澄んだ水の中で、小さなエビたちがツマツマ動き回っている。


 その奥を、すいっと泳いでいく高級メダカを目で追った。ちょっと頑張ってお迎えしたやつだ。色がキラキラしていて、水槽の中でやたら存在感を放っている。派手すぎない鈍い光沢が、いい味を出してくれている。


 底の方に目をやると、国産の珍しいドジョウが砂をほじくり返していた。こいつも、けっこういい値段がした。食費を削った価値はあった。


 ため息まじりに思う。あぁ……これが、俺の癒やしなんだよな。


 ポンプの振動をぼんやりと感じながら、今日のことを思い出す。


 ──スポットライトにキラキラ反射する、あの白銀の鱗。プラチナ・アラパイマの幼魚。


「……綺麗だったなぁ」


 思わず声が漏れた。


 あいつもそうだし、他の魚たちだって、本当はもっと広いところで泳ぎたいんじゃないか。狭いガラスの箱の中じゃなく、もっとデカい水槽で。


「お前らも、大きい水槽に住みたいよな」


 俺は水槽をのぞき込みながら、小さなエビたちにそっと話しかけた。


 ──と、そのとき。

 ふと思い出す。


「そういえば、川島さんに変なアンケートもらったっけ……」


 今日、店を出ようとしたとき、川島さんが笑顔で差し出してきた紙のことだ。


 『銀河開拓庁アンケート』

 好きな魚は?

 作りたい理想の生態系は?

 惑星まるごと水槽にしたいと思ったことは?


 俺はペンを持ちながら、首をかしげた。

「……なんなんだ、この質問。新作ゲームの下調べか何かかな?」


 それでも、俺は苦笑しながら全部きっちり答えてしまった。


 アンケートを書き終えると、それを机の端にぽんと置いた。

「とにかく水換えしなきゃな」


 気持ちを切り替えて、外部フィルターのホースを持ち上げた、その瞬間──


 部屋の天井が、パアァァァッと青白く輝いた。


「うわっ……!?」


 眩しさに目を閉じた次の瞬間、全身がふわりと宙に浮き、足元が消えた。





 気づけば──俺は銀色の金属パネル張りの部屋に立っていた。


 空気がひんやりしていて、どこからともなく空調が動くような静かな機械音が響いてくる。壁も床もピカピカに磨かれた金属で、継ぎ目ひとつ見当たらない。静かすぎて、自分の息の音さえやたら大きく感じる。


 目の前の空間に、ホログラムの惑星がゆっくりと浮かんでいた。青くも緑でもなく、灰色と黒が入り混じった、岩だらけの死んだ星。


 映画じゃなく、完全にSFの中に入り込んでしまったみたいな感覚になる。


「どうなってるんだ、これ……」


 まずは状況を整理しようと、深呼吸しかけたそのとき──


「ようこそ! はじめまして、地球のアクアリストくん!」


 突然、背後からやけに張りのある声が響いた。


「うわっ、誰!?」


 思わず振り向くと、目に飛び込んできたのは──金髪で、やけに整った顔立ちの男。肩には見たことない紋章がついた真っ白な制服を着て、長いマントをひるがえしている。やたらキラキラしていて、目がチカチカする。


「……なんだよ、このコスプレ男。」


 男は胸に手を当て、芝居がかった口調で言った。


「僕は銀河開拓庁のリュシオン・ザ・サードだ! ようこそ、銀河開拓庁特別任務オペレーションルームへ!」


 一瞬、俺の脳が理解を拒んだ。


 目の前の男はキラキラ輝くマントを翻し、部屋中がピカピカの金属パネルで、さらにホログラムの惑星まで回っている。


 ──いや、待て。これって現実か? 夢か?


 そっと自分の頬をつねる。痛い。痛いけど、現実感が薄い。


 しばらく口をパクパクさせたあと、やっと声が出た。


「……頼むから、夢だって言ってくれよ。俺、まだ水換えの途中なんだけど。」


「いやいや、これは現実だよ! 君が答えたアンケート──当選したんだ!」


「えっ!? あれ、ただのアンケートじゃなかったのかよ!?」


 リュシオンはパッと笑顔を広げた。


「いやー、宣伝が全然行き届かなくてさ。結果、君しか応募してくれなかったんだよね!」


「はぁ!? ちょ、待ってくれよ! 俺、とにかく一回帰りたいんだけど!」


 俺が後ずさりしながら必死に訴えるのをよそに、リュシオンは楽しそうに言った。


「惑星一個、プレゼントだよ! おめでとう!」


「いや、いらないから……!」


 リュシオンはますます楽しそうに笑った。


「地球人って面白いなぁ。本当は欲しいのにいらないって言うなんて。不思議だけど、君みたいなのが必要なんだよ!」


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