クレイジーゴースト
Maruko
第一章
一つだけ願いが叶うとしたら、何を願う?
ぼんやりと窓の外の青空を見つめながら、そんな子供っぽいことを半ば本気で考えていた。
小学校の頃に見習い魔女シリーズという本が流行り、それには魔法の水というアイテムが出てきた。その魔法の水を飲めば、どんな願いも一つだけ叶う。
勉強もできない、運動もできない、友達も居ない。そんなさえない主人公の前に突然魔女の女の子がやってきて、その水を渡すのだ。
その本を読んだ後、友達と自分だったら何を願うか真剣に議論した。
漫画、ゲーム、スマホ、お金?
アイドル級に可愛い容姿、高い運動能力、天才的頭脳?
色々なことを言い合ったが、結論は出なかった。
でも、もしも今、中学一年生になった自分が願うなら…。
「ちょっと、小野さん、話聞いてたぁ?」
「…え?」
クラスメイトの上田さんに声をかけられて、妄想からたちまち現実に引き戻された。
ここは教室で、そして休み時間だ。
自ら上田さんの席に行き、友達四人でおしゃべりしていた。でも話しについていけなくなり、途中からは上の空だったのだ。
「ごめん、ぼーっとしちゃってたよ」
「えー?」
上田さんは呆れた顔で私を見上げ、上田さんを囲んでいた他の二人も苦笑いした。
「同じ南小だったB組の高橋いるじゃない?あのうるさいサッカーバカ男子ね。日曜の午後はサッカー部の練習がないから、何人か誘い合ってカラオケ行こうっていう話になったの。小野さんはどうする?」
「えっと…」
絶対に、絶対に、絶対に行きたくない。
そもそも歌は苦手でカラオケにも行ったことが無いし、その上良く知らない男子と行くなど御免だ。
「…その日は…、ちょっと用事があるんだ」
私は嘘をついた。
「ふぅん」
上田さんは疑わしそうに見つめてきたが、それ以上、無理に誘うことはなかった。
「じゃあ、女子で行くのは私と、ゆかちょと、みっちゃんで決定ね。駅前のコンビニに一時半に集合して、ゲーセン行ってからカラオケ!」
ゆかちょ、は鈴木ゆかりちゃん。みっちゃんは、木下美玲ちゃん。
二人とも私と同じ一年A組のグループのメンバーで、皆、南小学校からこの中学に入学した。
私の中学校は南小学校の他に三つも小学校から進学してきており、同じ小学校の出身同士で自然と固まっていった。
三人とは顔見知り程度で、小学校時代、遊んだことはおろか、会話をした記憶もない。
同じグループに入れてもらっているが、陽キャのギャル系女子と陰キャの私。
はっきり言ってノリも話も合わないし、居辛い。
しかし五月にもなると、クラスのグループは既に定まったようで、同じ小学校の三人以外には話しかけ辛い雰囲気になっていた。
「今からB組に行って高橋に時間とメンバー決まったって言って来る!ゆかちょもみっちゃんも行こう!」
上田さんは元気に言って席を立った。
「花梨、今日は日直でしょう?さっき集めたプリント、職員室に持って行かないと」
花梨、は上田さんの下の名前だ。
可愛くて、溌剌とした上田さんにはぴったりな名前だと思う。
上田さんの机には、昼休みの直前に集められたクラスメイトたちの課題プリントの束があった。
「えー、でも今じゃなきゃ時間ない!次は教室移動だし、六時間目が終わったら直ぐに部活行かないと先輩に怒られちゃう。ダンス部は先輩が厳しいんだよぉ」
「それは…そうだけど…」
「うーん、困った。あ、そうだ…」
ちらっと上田さんが私を見つめ、あざとく覗き込むようにして手を合わせた。
ぞわり、と嫌な予感がする。
「小野さん。代わりに職員室に持って行ってくれたりしない?あ、もしちょっとでも嫌だったり、忙しかったら断ってもらって良いんだけど」
「花梨。それは…」
鈴木さんと木下さんが、上田さんを咎めようとしてくれた。
でも私は…。
「も、もちろん良いよ!」
私は明るく返事をしたつもりだったが、裏返った情けない声になってしまった。
本当は行きたくない。でも、どう断れば良いのか分からない。
だったら明るく引き受けた方が良いに決まっている。
「やったぁ!小野さんって超優しいよね!マジ助かる。ゆかちょ、みっちゃん、行こ」
上田さんは大げさに応えると、鈴木さんと木下さんの手を引いて、さっさと教室を出て行こうとする。鈴木さんたちは、振り返って申し訳なさそうに私を見た。
教室の何人かの視線を感じた気もしたが、私はプリントを抱え込むと、逃げるように教室を出た。
上田さんは少し意地悪だけど、いじめじゃない、よね?
でも、私がグループから浮いているのは事実だ。
花梨と、ゆかちょと、みっちゃんで、私はいつまでたっても小野さん。陽菜子という下の名前で呼ばれたことは無い。
教室を出て、職員室までは渡り廊下を通る。
その廊下の先で、小学校の頃からの親友、雨音が友達と話しているのが見えた。
雨音とは中学校に入学してもずっと親友だって話していたが、今やクラスが一つ違うだけでとても遠く感じる。
部活も一緒に陸上部に入ろうと約束をしていたのに、雨音はクラスの友達に誘われたからと合唱部に入った
私は別に陸上部に拘っていたわけでは無く、雨音と部活がしたかった。でも雨音から合唱部に入ると聞いたのは入部届を出した後だったこともあり、小心者の私には入部早々に退部届を書くことなど出来るはずがない。
インドアな私が運動部に入ったことを両親は驚いたが、入部動機は雨音とハマった陸上漫画、という根っからのオタク…。
お父さんの趣味がランニングで、時々付き合わされる私はひそかに持久走には自信があった。私よりも運動が出来ない雨音もいるし、まぁ良いか。
そう思っていた私だが、雨音はいないし、短距離、ハードル、持久走、全てのタイムが陸上部最下位。私の自尊心は木っ端みじんに消し飛んだ。
先輩たちが優しいことは救いだが、練習はきつく、漫画のような青春はおくれそうもない。
こうなることは考えれば分かっていたはずなのに、何を夢見たのか…。
部活を辞めたい。でも辞めると言えなくて辞められない…。
私は裏切り者の雨音を睨んでみたが、すれ違う時も雨音はおしゃべりに夢中で私には気が付いてくれなかった。
「ねぇ、生切先輩だよ」
雨音の友達の興奮した声が耳に入ってきた。
彼女の視線の先を見ると、そこには同じ陸上部の三年生―生(い)切(きり)廻留(めぐる)先輩が廊下を歩いていた。
いきりめぐる、は、ちょっと奇妙な名前だと思う。からかわれたり虐められたりする原因にもなりそうな…。でも、絶対にそんなことは無い。この学校で、誰も彼をからかう人はいない。
容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能な孤高の一匹狼。
上田さんから「氷の王様」と呼ばれていることを聞いた時、大きく頷いてしまった。
王様が眉間に少し皺を寄せて憂いを帯びながらも悠然と歩いている様を、雨音たちだけでなく、何人もの女子生徒たちが生切先輩を忍び見ている。
ただ歩いているだけで、こんなに目立つ人はいるのだろうか…。
背は高い方ではあるが、学校にはもっと高い人は居る。制服は着崩すことなくきっちり着ていて髪型もごく普通。だが彼の整い過ぎた顔立ちが普通に留めてくれない。服も髪も普通にしているからこそ、美しさが際立っている。
男の子に「美しい」という言葉が適切かは分からないけれど…。
私は生切先輩との距離が近づくにつれ、身体が緊張で硬くなり、顔がほてった。
生切先輩は同じ陸上部なので挨拶をすべきだ。でも、向こうは絶対に私のことを認識すらしていないだろう…。
どうしよう…。
挨拶、する?しない?
気が付かないふりをしても良い?
あれこれ考えていると、生切先輩はもう目の前にいた。
「こんにちは」という一言が言えず、横を通る時にぺこっと頭を下げてみたが、気がついてもらうことはなく、先輩は通り過ぎて行った。
なんだろう、今、私凄く情けない気持ちだ。
生切先輩みたいな人には、私の気持ちは分からないだろう。
私は今、欲しいものがなんでも手に入るとしたら、友達が欲しい。
見習い魔女シリーズの秘密の友達。何でも叶うと言う魔法の水はいらない。
まわりにはいっぱい人が居るけど、何でこんなに寂しいのだろう。
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