第3話 荒れたアリスティア邸

「こちらが、本日からロミア様に使って頂くお部屋になります」


 窓は分厚く埃を被り、室内に差し込む光は庭の雑草に邪魔されて、ほとんど届かない。

 一面の本棚には、しばらく使われた気配の無い古い本がぎっしりと詰まっていた。

 本棚以外にはシンプルなベッドが一つと、本を読む為であっただろう机がある。

 少し小さいけれどテーブルとクローゼットはあったので、本当に必要最低限の家具が揃った部屋という印象だ。


 ただ──


「このお部屋、普段は誰も使っていない感じがするのだけれど……」

「ええ、私もこの部屋に入ったのは今日が初めてです」

「きょ、今日が初めて……?」


 そりゃあ埃っぽいはずだわ! と叫びたくなるのを我慢しつつ、早速ここから退散しようとしていたカミラを呼び止めた。


「あの、掃除用具を貸してもらえない? 流石に、この状況のまま生活するのはキツいと思うから」

「……庭の奥の方に物置がありますので、そちらにある物からご自由にお使い下さい」

「ありがとう。忙しいって言っていたのに、わざわざ呼び止めちゃってごめんなさい」

「いえ……」


 小さく頭を下げて出て行った彼女に言われた通り、私はすぐに庭の方に向かった。

 今日は伯爵夫妻……というか、実の両親がそれぞれ外出しているらしく、夜になるまで帰って来ないという。

 それまでに部屋の掃除をさっさと済ませて、両親が帰宅次第、改めて直接彼らに挨拶をしなければ。

 

 ……まあ、実の親だとは知らされたものの、伯爵夫妻と血が繋がっている実感なんて、全然無いからね。

 療養で家を離れたのが物心付く前だったせいか、私の育ての親になってくれた、ルーシア商会の方の両親の顔しか思い浮かばないくらいだし。

 どんな風に挨拶するのが正しいのかと考えながら、カミラに言われた通り、庭に角にぽつんと建てられた物置き小屋を発見。


「うわ、中は結構ごちゃついてるのね……」


 貴族の家というのは、整理整頓とかしないものなのかしら?

 埃もカビも酷くて、思わずくしゃみが飛び出してしまった。

 きっちり商品管理していた商会で育ったせいか、こうも物が乱雑に放置されている室内に対する違和感が大きいのよね。


「……もしくは、管理する余裕が無いのかも」


 こういうのは屋敷の主人ではなく、使用人がやるものだろう。つまり、この家ではカミラがそれに該当する。

 けれども彼女は、私が使う部屋の掃除をする余裕も無く、庭の手入れも最低限。

 人が通れる程度に草は刈られているけれど、庶民がイメージする貴族のお屋敷の庭とはかけ離れている。


 ざっと物置きの中を確認したところ、確かにカミラが言っていたように掃除に使える物はあった。


「それにしたって、いくら何でも適当に仕舞いすぎじゃない……?」


 もしもこの物置きを母さんが見たら、「ちょっと誰なの!? 使い終わった物は、きちんと元の場所に戻しなさーい!」なんて大声で言いながら、テキパキと片付け始める様子が思い浮かぶ。

 それを聞き付けて、私も父さんも慌てて手伝いに行くのがいつもの流れだった。

 ……そんな事ももう出来ないのだと思うと、まだどうしようもなく胸が苦しくなるけれど。

 

 そういえば、以前商会の手伝いをしていた時に小耳に挟んだ話があった。

 どこだかの貴族が、先代の頃はよくうちを贔屓にしてくれていたけれど、息子の代になってからはめっきり注文が入らなくなったとか。

 もしもそれがピンポイントでアリスティア家の事を指していたのだとすれば、貴族であるはずの家がこんなにも寂れている事にも説明がつくような気がするけれど……。


「まさか、あれは本当に伯爵家の話だったり……」


 ……って、そんな話があってたまるかっての!

 きっとダリオス伯爵は、質素堅実な倹約家なだけに決まっている……と思いたい。切実に!





 *




 ──どうしてこの子が、これから悲惨な目に遭わなければならないの……?

 

 この屋敷の庭のように、すっかり心が濁り切った私とはまるで違う──と、アリスティア家の唯一の使用人である私、カミラは思った。


 こんな愛想の良い綺麗なお人形みたいな女の子が、どうしてこのクソの掃き溜めみたいな家に来てしまったんだろうかと、目の前に現れた女の子の運命を憐れんだ。


 私のカラスみたいに真っ黒な髪とは正反対の、太陽のように明るく煌めく金髪の少女。

 ロミア様は旦那様から聞かされた通り、伯爵家の血筋である炎を宿すような赤い瞳が印象的な、人当たりの良い笑みを浮かべる人だった。


 貴族は──少なくともこの家の主人と娘達は、私を《個人》として見ていない。

 そもそも使用人とは、そのような扱いであるのが普通だろう。

 私のような、他に行く宛の無い女にも優しく接してくれる奥様だけが、珍しいだけであって……。


 ……とは言うものの、下手にロミア様に情が芽生えすぎるのも良くはない。

 そう遠くないうちに、ロミア様はここを離れる事になるのだ。

 彼女と仲良くなりすぎて、元通りの冷たい日常に戻った際に反動が出るのは嫌だった。



 私がまだ幼かった頃、このお屋敷にはもっと大勢の使用人が居た。

 けれどもアリスティア領の財政がどんどんと厳しくなっていくにつれ、旦那様は次々に使用人を解雇し始めた。

 最初は「高齢だから」と言って、私に読み書きを教えてくれたエマおばちゃんを田舎に帰して。それ以降も何かと理由をつけて、庭師、料理人までもを解雇したのだ。

 温かく緩やかな時間が流れていたこの屋敷には、もう私と奥様と旦那様だけ。

 家財もほとんど売り払ったここは、以前では考えられない程にがらんとしている。


 ……ロミア様もそう。

 最初からお別れが決まっている相手なのに、その別れがより辛くなるような思い出なんて作りたくなかった。

 ……こんな出会い方じゃなければ、ああいう太陽のような女の子と友達になってみたかった。


「だったらもう、最初から居ないものだと思えば……」


 ぼそりと勝手に口から零れ落ちた言葉は、今頃庭に出て行ったであろう彼女の耳には届いていない。

 

 ……そうだ。

 この距離のまま、最後まであの子とは他人でいれば良い。

 そうすれば私は……これ以上、余計な傷を作らなくて済むのだから。

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