第17話 何もしない大人、すべてを背負う子ども

「もう、いい加減にしてください!」


その言葉が発せられた瞬間、世界が凍りついた。


空気が震えた。重力がねじれるような感覚。

時間すら止まったかのような、異様な静寂。


「おい……おい、嬢ちゃん! 落ち着けって、やめろッ!」


カイルの叫びは、もはや彼女には届いていなかった。


アイの足元から、黒と銀の魔力が渦を巻いて立ち上る。

まるで、感情そのものを媒介にした魔法の構築が始まっているかのように。


(……この場所に、価値はありません!)


その判断は一瞬だった。

アイの内で、悲しみが怒りへ、怒りが憎悪へ、そして憎悪が“決意”へと変わっていく。


本来、魔法に名前などない。

名前が与えられるのは、後から分類しようとする人間側の都合に過ぎない。


アイが使う魔法は、既存のどの分類にも当てはまらない。

それは“感情”と“理”を直結させ、世界を操作する、構文のような魔法だった。


<<対象空間:この建物全域>>

<<対象物:存在定義不完全群体・強制同調系体・意識抑制構造体…>>

<<対象結果:無へ>>


この構文は、誰にも理解されない。けれど、世界はそれに応じる。

理が書き換えられるのに、言葉も、図形もいらない。

ただ、「意志」さえあればいい。


魔力が形を持ち始める。

浮かび上がるのは、青と銀が織りなす静謐な螺旋。

ひとつひとつの輝きは、まるで世界が息をひそめて見守っているようだった。


空間は音もなく歪み、まるでガラス細工のように繊細に、慎重に、だが高速に構築されていく。


連結していく模様は、青白い光と共に編まれ、まるで天から降る雪が言葉を持ったかのように、空間全体を染めてゆく。


「あなたたちは……生きてる子どもを、“部品”にしてる。それを“教育”って呼ぶなら——」


──それは、世界に対する反逆だった。


「——そんな“理”、いりませんよ」


瞬間。


轟音もなく、建物が"無"になった。

粉々に破壊したわけでも、吹き飛ばしたわけでもない。

文字通り消したのだ、この世界から。


床が、壁が、天井が、すべて消えた。

何もかも失われ、そこにはただ、沈黙だけが残った。


そして、子どもたちだけが保護されたまま、外へと優しく転移されていた。


転移が終わったあと、子どもたちはただ立ち尽くしていた。

土の匂い。陽の光。風。——それはあまりに久しぶりの感覚。


一人が、地面に手をついた。指が震えている。


「……ここ、外……?」


誰かが呟いた瞬間、抑えていた感情が一気に決壊した。


「ほんとに……助かったの……?」

「こわくない……? しばられない……?」


子どもたちは目を合わせ、互いの無事を確かめ合い、

そして、初めて流した涙に気づいて——言葉もなく、肩を抱きしめ合った。


その光景は、誰の魔法でもない、希望という名の奇跡だった。


(あれだけ感情的になっておきながら器用なことだ)


中にいた監督者たちは、気絶していた。

大人だけ何か条件をつけた空間を構築したのか…。

こいつらは放っておけばそのうち目を覚ますだろう。


この少女の本気の魔法をまともにみることになったが、やっぱり異常だとわかる。

空間ごと書き変えた、はっきりいってめちゃくちゃである。


アイは瓦礫すら残らない跡地を見渡していた。


肩で息をし、唇はかすかに震えている。


魔力の反動。

そして、怒りをぶつけたことへの罪悪感。


「……っ……こんな方法しか、わたしには……!」


その背中に、カイルがそっと手を置いた。


「やりすぎだ。……でも、ありがとな。救われた子どももいる。あの大人たちを殺さなかっただけ上出来だ」


「……わたし、間違ってますか…?」


「……さあな」


カイルは少しだけ目を細め、空を見上げた。


「だがな、嬢ちゃん。少なくとも"何もしなかった大人"よりは、よっぽどマシだと思うぜ」


(俺もその"何もしなかった大人"の一人だけどな…)


カイルは拳を握りしめる。のらりくらりと適当に生きてきたが、いま突きつけられている現実は、カイルにとっても響くものがあった。


逃げるように、その場を後にする二人。


しかし少女の心には、もう一つの決意が芽生え始めていた。


──壊すだけじゃダメだ。

──次は、「作らなければならない」。


それが、少女がこの世界に生まれた"意味"の、ほんの入口にすぎなかった。



王都の裏路地。くたびれた木造の建物の前に、カイルは立っていた。


──《日陰の庵》。

孤児や傷病者を受け入れている、王都でも数少ない“信頼できる”場所だ。


カイルは扉を叩くと、やがて腰の曲がった老女が現れた。


「あら……カイルじゃないか。めずらしいねぇ」


「……婆さん、まだここにいたかよ。良かったぜ」


カイルは、懐から紙切れを差し出す。

地図のようなものに、王都の広場の一角が赤く印されていた。


「ここにな。“捉えられてた子ども”が十数人ほど、突然解放された」


老女は目を細め、紙を受け取った。


「突然? まさか……また何かが起きたのかい?」


「ああ。おれがやったわけじゃねえ。けど……事情は複雑だ。あの子たち、保護してやってくれ。あんたなら、できると思ってな」


「ふうん……相変わらず、説明が雑だね」


老女は微笑む。


「で、その“解放した奴”ってのは?」


「……さあな。おれはただ、“たまたま通りがかった”だけだ」


そう言って、カイルは踵を返す。


「感謝はいい。婆さんも無理はすんなよ」


老女はその背中に向かって、ぽつりと呟いた。


「……相変わらず、照れ屋で優しいねぇ。ほんとに、困った子だよ……」






二人は王都を出て、北の拠点へ戻っている最中だ。


「あのお婆さん、すごく優しそうな方でしたね。孤児院とは昔からですか?」


「……ああ、あの孤児院はな、昔、フィリアに頼まれてな。余った保存食とか……そういうのをときどき持ってきてただけだ」


「そうでしたか…」


「あの子供達をこのまま放っとくわけにはいかねぇからな。後はちゃんと動く大人に任せるさ。嬢ちゃん、ちゃんと後のことも考えなきゃダメだぜ。助けたのにまた捕まったら意味ねえからな」


「……ごめんなさい」


「次に活かせばいいさ。問題には、単発で解決するものと継続的に解決するものがある。魔物討伐なんかは単発だな。対象の魔物を倒したらそれでお終いだ。だが、病気を治すとか人を助けるっていうのは継続的に最後まで面倒みてはじめて解決するんだ。魔法組合には単発の依頼に慣れてる奴が多いからこのへん甘いところがよくある」


「わかりました。次からはしっかりやります。根本的な問題を解決するまでを考えないといけないということですね」


「そうだ。特に今回の社会の構造や仕組みを変えたいなら、それこそ長い時間かけて少しずつ変えていかないといけない。急激に変えすぎても逆に混乱を招くんだ。これは魔法や武力だけではどうしてもできない。難しいんだ、それだけはわかってほしい」


「…はい……」


実感が湧いただろう。少女もわかったのだ。このやり方では根本的な解決にならないと。しかしどうやっていいかがわからない…。


「全部背負いこむ必要なんかねえぞ。難しいことは仲間で協力してやればいいんだ。…とりあえずは、帰ってから考えようぜ」



解放された子どもたちは、王都の片隅にある「日陰の庵(いおり)」と呼ばれる小さな孤児院に引き取られていた。


運営しているのは、かつて王都で治療師をしていた老女と、数名の世話人たち。

どれも裕福ではないが、「少なくとも子どもを売らない大人」だった。


「お前たちは、よくがんばったよ……もう、命令されることも、痛いこともないからね」


そう言って老女が子どもたちの髪を撫でると、最初は怯えていた子らも、ようやくほんの少し笑った。


その中に、一人の少女がいた。


大きな瞳の奥には、まだ影が残っている。


けれど──彼女は、ぼそりと呟いた。


「……あのひと、助けてくれた……銀の光で、全部、きえた……」


他の子どもたちが頷いた。誰も名前を知らない。ただ、忘れられない。


「また……会えると思う?」


「うん。きっと、会いにきてくれる気がする」


誰かが、そう呟いた。


──空に向かって、手を伸ばした。


その先に、まだ名前も知らぬ「少女の魔法」があった。

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