21話 成長

──暗い、しんと静まり返った洞窟の奥深く。聞こえるのは水滴の落ちる音と、妙に陽気な鼻歌だけだった。


「ふん〜ふふん〜♪」


その声の主は、一見してこの空間には場違いなほど妖艶だった。

艶やかな褐色の肌に、風にたなびく銀灰色の長髪。

抜群のプロポーションを揺らしながら、緩やかにステップを踏むように歩いてくる。


片手には白い湯気を立てるティーカップ。

優雅な仕草でそれを口元に運び、一口。


「……ん、よし。いよいよ計画も佳境、ってところかしら」


長かった潜伏も、ようやく終わりが見えてきた――その気配に、彼女の唇が艶やかに綻ぶ。


その足元を、小さなスライムがうねうねと這いながらついてくる。

表面は透き通るような淡いピンク色で、お菓子の乗った銀のトレーを触手で器用に掲げている。


「あら、ありがとう。フレフィちゃん」


女はスライムのぷにぷにした身体を優しく撫でると、お菓子をひとつ摘まんで口へ運ぶ。

――魔物と仲良くしている、という異常な光景。だがこの女にとって、それは日常だった。


彼女は岩壁に埋め込まれた魔力結晶をひとつ軽く指で叩き、淡く発光するその光に導かれるように、洞窟のさらに奥へと足を踏み入れる。


扉を開けると、そこにはいくつもの結界と檻が並び、魔物たちが中で静かに息を潜めていた。

炎をまとった小型ドラゴン、触手を持つ目玉の魔物、霧のような精霊体――


「さ〜て、あの子は元気かしら」


にこやかに檻の中を見回していたそのとき――ふと、一際大きな檻の前で足が止まった。


「……あら?」


中にいるはずの魔物が、いない。もぬけの殻だった。

次の瞬間、女の表情が一変する。


「――い、いない!? まさか……逃げたの!?」


手にしていたティーカップがカシャン、と乾いた音を立てて床に落ちた。

陶器が砕け散る音が、洞窟に響き渡る。


焦りを露わにしたその表情は、先ほどまでの余裕など微塵もなかった。


「……どうして今なのよ。こんなタイミングで……!」


うろたえるようにその場で回れ右をすると、彼女はスカートを翻しながら奥へと駆けていく。

不穏な気配が、洞窟の空気をひんやりと染めていく中――その姿は、静かに闇へと消えていった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


私たちは、淡い光を放つ魔法陣に囲まれた転移の間で休息を終え、10層を攻略し、11層へと足を踏み出した。


10層までの広々とした通路とは雰囲気が一変していた。

通路は狭くなり、光源が埋め込まれた壁の光も届きにくくなったため、薄暗い影がいたるところに蠢いているように見える。


湿った空気はより重く、肌にまとわりつくようだ。

この層から、厄介な魔物が増えてくる。


特に注意すべきは、遠距離から攻撃を仕掛けてくるフィザリットだ。

彼らは細い通路の奥からでも、正確に風の魔法を飛ばしてくるため、不意打ちを受けやすい。


私たちは警戒しながらゆっくりと進んでいく。


それから幾度か戦闘をこなすうちに、私たちパーティの連携は徐々に取れるようになってきた。

私たちは11層、12層と順調に階層を降り、13層へと進んだ。


13層で初めて会敵したのは、ブラッドドッグの群れだった。数は5体。


漆黒の毛並みに覆われた大型の獣で、狼に似た姿だが、赤い目、異様に長い四肢と裂けた口が不気味さを際立たせていて、唸り声をあげながらこちらへとにじり寄ってきた。


まず一ノ瀬が剣を抜き、地面を蹴る。

一体のブラッドドッグの首を瞬時に落とした。

どさりと、毛皮に覆われた体が地面に崩れ落ちる。


残りのブラッドドッグたちに、動揺が走ったのが感じられた。

残る4匹が一ノ瀬から逃げるように、こちらに向かってくる。


「私も行きます!」


エレナがモーニングスターを振り回しながら、残りのブラッドドッグの注意を引く。

エレナは回復や補助だけでなく、近接戦闘も得意なのだ。


重そうなモーニングスターを振りかぶる。そして、思いきり――


「えいっ!!」


ゴンッ!!という骨に響くような音が鳴り響いた。

モーニングスターが正確に一体の頭部を打ち砕き、ブラッドドッグが「キャイン!」と甲高い鳴き声を上げ、壁に打ち付けられる。


エレナに注目が集まった隙に、私も魔術を唱える。


「《土よ、湧き出で、敵を征服しろーコンキスタ》」


私の魔力に呼応して地面から土の鎖が飛び出し、手前の2匹のブラッドドッグの足に絡みつき、その体勢を崩した。


「逃がしませんわよ!」


身動きが取れなくなったブラッドドッグに、私は自身のサーベルで止めを刺す。


「任せて!」


カーナリアが私の横をすり抜けるように前へ出る。

魔術銃を構え引き金を引く。


「第一階梯――『アルケミックバレット』!」


光る弾丸が放たれ、着弾と共に爆発し、ブラッドドッグが一体倒れる。


最後の一匹が悪あがきとばかりに、自身の代名詞である自己強化能力を発動させた。

ビキリと全身に赤い血脈の光が走り、その強化された体躯で私に飛びかかってくる。


鋭い牙が、私の喉元を狙って迫る――。


「残念でしたね、幻です」


プリファが発動していた幻術の偽物だった。

ブラッドドッグの攻撃は空を切り、実体のない私の幻に噛み付いていた。


混乱するブラッドドッグ。

その隙を逃さず、一ノ瀬が素早く動き、最後の一匹を切り伏せた。


戦闘は終わり、カーナリアと顔を見合わせ、自然と手が伸びてハイタッチをした。

カーナリアも笑みを浮かべて私の手を叩き返してくれた。


順調に階層を降り、15層に到達した時だった。

薄暗い通路の奥に、複数の人影が見えた。


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