第7話 君がいなくなった日から

 それからは、まるで機械のように、決められた額の養育費を毎月口座に振り込むだけの日々が始まった。

 美咲に会いたい。

 ただ、それだけが願いだった。何度も元妻に連絡し、面会を求めた。けれど返ってくるのは、いつも同じ冷たい言葉だった。

「美咲はあなたに会いたがっていません」


 受け入れられるわけがなかった。

 せめて気持ちだけでも伝わってほしくて、美咲の誕生日には毎年欠かさずプレゼントを送った。

 お気に入りだったキャラクターの文房具や、高学年になると分厚い小説、中学生になると音楽プレーヤーを選んだ。箱の中には、必ず小さな手紙も添えた。

「お誕生日おめでとう。

 美咲が元気でいてくれたら、それだけで嬉しいです。

 もし困ったことがあったら、いつでも連絡してね。

 パパより」

 また、行事のたびに短い手紙を書いた。運動会、入学式、卒業式……そのたびに、「お疲れさまでした」「頑張ったね」「卒業おめでとう」と言葉を綴った。

 けれど、一度も返事は来なかった。

 プレゼントが本当に届いているのかすら、分からなかった。

 それでも、俺は毎年、美咲のことを想いながら、また次の手紙を書くしかなかった。



 美咲と離れて暮らすようになって、俺はしばらくの間、本当に抜け殻のようだった。

 

 朝、目が覚めても、しばらく天井を見つめて動けなかった。

 美咲を起こしに行ったり、ランドセルの準備を手伝ったり——そんな小さな日常が無くなってしまうと、生きている実感まで薄れて行くような気がした。

 仕事はこなしていた。納期も守ったし、クライアントの要望にも応えた。でも、どこか心だけが体から離れて、遠くに漂っているような感覚だった。週末になっても部屋は静かで、テレビの音が虚しく響くだけだった。

 カレンダーの特別な日には、「今日は美咲の誕生日だ」と思いながら、美咲が好きだったイチゴのケーキを買った。ロウソクも歌もなく、ただ静かにフォークを動かした。


 でも、分かっていた。

 いつまでも打ちひしがれていても、美咲が戻ってくるわけじゃない。

 そう何度も自分に言い聞かせた。

 美咲だってどこかで頑張っているんだ、と。


 友人たちからは、「たまには外に出ろよ」とよく誘われていた。気乗りはしなかったが、職場の飲み会や、趣味の集まりに、少しずつ顔を出すようになった。

 ある日の飲み会の帰り道、一人の女性が俺の隣に並んで歩きながら、「実は私も離婚してて……」と笑った。お互いの過去や家族のことを自然に話すことができて、久しぶりに肩の力を抜いて笑えた。

 週末にランチやカフェに出かけることも増えた。映画を観ては、「微妙だったね」と笑い合い、メッセージのやり取りを交わす日々が続いた。

 それでも、どこか心の奥底にぽっかりと穴が空いたままだった。誰かと一緒にいても、ふとした瞬間、「今美咲は何をしているだろう」と考えてしまう。ちゃんと毎日笑えているだろうか。また暗い部屋で、泣いていやしないだろうか、と。

 ホテルで女性と抱き合った時——俺はもう、誰とも深く結びつくことができないんじゃないかと、不意に思った。俺の心の奥にある一番大切な場所は、もう埋まってしまっているのだから。

 結局、その女性とは自然と疎遠になった。

「また機会があれば会いましょう」

 その一言を最後に、連絡は途絶えた。俺もそれ以上、追いかける気力は湧かなかった。


 その後も何度か、友人の紹介や職場の集まりで誰かと親しくなる機会はあった。けれど、ほんの少し話をしてみるだけで、どうしても自分の心がそこに向かって行かないことに気づいた。

 誰かと食事をしていても、どこか心の片隅で、「ここに美咲がいたら、どんな顔で笑うだろう」

 そんなことばかり考えていた。


 やがて、俺は諦めるように、仕事にだけ集中するようになった。

 どうしても誰かと深く関わることができないなら、せめて仕事だけは一流でありたい——―そんな思いに突き動かされるように、俺はひたすらデザインと向き合った。

 毎日、朝から晩までパソコンの前に座り、新しい技術を覚え、案件をこなした。実力を十分につけると、思い切って独立した。初めは知り合いの仕事をもらうだけで精一杯だったが、こつこつと納期を守り、細部までこだわり抜くデザインを重ねて行った。

 そのうち、「遠山さんに頼めば間違いはない」と言ってくれるクライアントが増え、やがて俺の名前だけで仕事が舞い込むようになった。大手企業の案件も任されるようになり、気づけば収入はサラリーマン時代をはるかに超えていた。名前だけは、業界でも知られる存在になった。

 仕事に打ち込んだ日々は、誇りでもあった。でもそれは俺の孤独の証でもあった。

 夜遅く、ふと気が抜けた時に思う。


 ——多分、このまま、死ぬまで独りなんだろう。


 この頃は、自然にそれを受け入れている。


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