第12節 剣道部員たちの証言(2)
【鶴岡(2年)】
「鶴岡くん。事件当日、あなたはどこで何をしていたか、もう一度詳しく教えていただけますか」
高梨は表情を変えずに尋ねる。斎藤がリラックスした様子でペンを握り直す。
「……4階の、空き教室です。一人で勉強をしていました。時間は……確か、午後5時くらいから……7時50分頃まで、ずっとそこにいました。その後、まっすぐ下校しました」
鶴岡は落ち着いた声で、よどみなく答えた。
「その教室には、誰も来なかったのですか? 物音や人の気配は?」
「……いえ、誰も。あそこは普段あまり使われていませんし、静かで集中できるんです。窓からグラウンドが見えるんで、気分転換にもなりますし」
彼は落ち着いた様子で答える。誰も来なかったという証言は、裏を返せば彼の行動を証明する者もいないということだ。
「あなたが教室を出たのが7時50分頃だとすると、下校したのは防犯カメラの記録とほぼ一致しますね。その間、例えば、短時間でも教室を離れたり、誰かと会ったりしたことは一切ありませんでしたか?」
高梨が鋭く突っ込む。
「……ありません。ずっと一人で、自分の課題に集中していましたから。誰かを見かけたり、物音を聞いたりした記憶もありません。もう遅い時間でしたし、校内に残っている生徒は少なかったんじゃないですか」
「藤沢さんについては、どう思っていましたか? あなたは、レギュラー選抜で彼に敗れたと伺っていますが」
彼は少し考えるように視線を下に落とした後、ゆっくりと、そして慎重に言葉を選ぶように話し始めた。
「……藤沢は、本当に真面目な努力家だったと思います。剣道に対する姿勢も、素直に見習うべき点が多いと感じていました。レギュラーの件は……まあ、選ばれなかったのは残念でしたけど、佐渡部長や多部先生が決めたことですし、俺がとやかく言うことじゃありません。そのことで、会長に少し話を聞いてもらったこともありましたけど……。藤沢が選ばれたこと自体に、何か個人的な恨みとか、そういうのは……ありません」
彼は淡々と語る。だが、「個人的な恨みはない」という部分を強調するあたりが、逆に何かを隠そうとしているようにも感じられる。
「そうですか。藤沢さんとは、そのチームの件で何かお話しされたりはしましたか?」
「いえ、特に……。あいつは、選ばれたからって別に偉そうにするような奴じゃなかったですし……。普通に、話してはいましたけど……。ただ……」
鶴岡は一度言葉を切り、少し間を置いた。
「ただ、あいつ…… 時々、俺に対して、少し…… 距離を感じるというか…… 遠慮しているように見える時があったかもしれません。……俺が勝手にそう感じていただけかもしれませんし、あいつなりに、チームのために色々と考えて行動していたのだと思います。本当に、チームのことを第一に考える、ある意味で良い奴でしたよ」
藤沢を評価する言葉は、嫌味なくストレートに聞こえる。
聞き取りが始まってから約40分。アリバイは本人の証言のみだが、藤沢への感情については、その死を悼んでいるように受け取れた。
高梨は、鶴岡の言葉を静かに聞いていたが、やがて、最後にもう一つだけ、と付け加えた。
「あなたは、事件当日、藤沢さんと直接会ったり、話したりはしたのですか?」
「……いえ。会っていません。残念ながら、話す機会はありませんでした」
短く、しかし落ち着いた声で否定した。その言葉に不自然な間や動揺は見られなかった。
鶴岡が退室した後、部屋には沈黙が流れた。
「……どう思う、松戸」
「アリバイは本人の主張のみで裏付けがありません。その点は他の者と同様です」
「ああ。今回の話の通りなら、鶴岡は藤沢とのレギュラー争いについて、それほど気にしてなかったのかもしれない。むしろ、ライバルとして認め、その死を悼んでいるとさえ受け取れる。……だが、それが本心なのか、それとも巧妙に隠しているだけなのか……」
次に呼ばれたのは、鶴岡と同じく2年生の上尾だった。彼は、小柄な体をさらに縮こませるようにして椅子に座り、終始おどおどとした様子で高梨と斎藤の質問に答えた。その目は不安に揺れ、声もか細く、聞き取るのがやっとだった。
【上尾(2年)】
「上尾くん。緊張なさらなくて大丈夫ですよ。リラックスして、覚えていることを話していただければ結構ですから」
高梨は、優しい口調で語りかけた。斎藤も「うんうん、ゆっくりで大丈夫だよー」と相槌を打つ。しかし、上尾の緊張は解けないようだ。その目は、まるで怯えた小動物のように二人を見つめている。
「は、はい……。あ、あの……僕は、事件のあった日は、図書室で一人で……勉強してました。世界史の、課題があって……。閉館の7時半くらいまで、いたと思います。司書の先生も、カウンターにいらっしゃったはずです」
上尾のアリバイは、これまでの証言者の中では比較的しっかりしているように思えた。司書という第三者の証人がいる可能性は大きい。図書室という場所、そして司書の存在。これはアリバイとしてはかなり固いと言えるだろう。
「図書室には、あなたの他にどなたがいらっしゃいましたか?」
「えっと……何人か、他の生徒さんもいましたけど……。みんな静かに勉強してたんで、誰がいたかまでは……。あ、でも、同じクラスの……上野原さんがいたのは……覚えています。少しだけ、課題のことで話したので……」
具体的な名前も出てきた。吉田さんという生徒に話を聞けば、上尾のアリバイはより確実なものになるだろう。だが、その口調は自信なさげで、どこか頼りない。
「藤沢さんとはクラスが同じでしたね。普段の彼はどのような生徒でしたか? 部活での彼との関係はどうだったのですか?」
高梨の質問に、上尾は少し顔を伏せ、小さな声で話し始めた。
「は、はい……。藤沢くんは……クラスでは、すごい人気者でした。勉強もできて、明るくて、誰にでも優しくて……。でも、僕は……正直、ああいう何でもできるタイプは、苦手でした。なんか、こう……眩しすぎるっていうか……。それに、時々、こっちの気持ちも考えずに、ズケズケとものを言うところがあって……少し、困ることも……ありました。部活でも、藤沢くんは先輩たちからも気に入られてて……僕は、少し、輪に入りづらい感じでした」
彼は、藤沢への苦手意識と、時に対応に困っていたことを素直に口にした。そして、自身がクラスでも部活でも孤立感を抱いていたことを認めている。その言葉の端々から、強い劣等感と、藤沢への複雑な感情が窺える。
「今年のチームのレギュラーに彼が選ばれたことについては、どう思われましたか?」
「……別に……何も。僕には……全然、関係のない話だと思っていたので…… 藤沢くんは、選ばれて当然の人だと思います。僕みたいな、あまり目立たない人間とは……元々、違う世界の人間ですから……。彼がどうなろうと、僕には…影響はないと思っていました」
藤沢への諦めとも、ある種の無関心とも取れる言葉だった。
「佐渡部長は、あなたのことを気にかけていたようですが、藤沢さんがいなくなったことについて、何か思うところはありますか?」
高梨が、少し角度を変えて尋ねる。斎藤が心配そうに上尾の顔を覗き込む。
「佐渡先輩は……はい、時々、声をかけてくれました。『大丈夫か』とか、『一緒に練習しよう』とか……。優しい先輩だと、思っています。……藤沢くんがいなくなったこと……ですか……」
上尾は言葉を詰まらせ、俯いてしまった。その表情は読み取りにくい。長い沈黙の後、絞り出すように言った。
「……正直……よく、分かりません。……佐渡先輩が、すごく悲しんでいるのは……分かります。だから……多分、良くないことなんだとは思います。でも……僕にとっては……藤沢くんがいなくなったからといって、何か……特別な感情が湧いてくるわけでは……」
これは……単なる無関心さではなく、抑圧された複雑な感情の表れか。彼にとって、剣道部は、そして藤沢は、どのような存在だったのだろうか。部に馴染めず、孤立していた彼が、その中で輝きを放つ藤沢の存在を、心のどこかで疎ましく思っていたとしてもおかしくない。その鬱屈した感情が、何かのきっかけで爆発した可能性は……。
「部内の雰囲気について伺いたいのですが。特に、レギュラー選考後はどうでしたか? 何か変わったことはありましたか?」
高梨が、慎重に言葉を選んで尋ねた。
「……僕は、あまり周りのこと、見ていないので……。ただ……」
上尾は一度口ごもり、それから意を決したように続けた。
「鶴岡は……レギュラーが決まった後は、少し……ピリピリしてました。練習中も、なんかこう……誰にも話しかけるな、みたいな雰囲気で……。僕が言えるのは、それくらいですけど……」
鶴岡の雰囲気について、上尾自身の口から語られた。これは重要な証言だ。
上尾が退室した後、俺は思わずため息をついた。
「上尾は、アリバイは固そうだが……彼のあの態度は、どう見るべきか」
「ええ。彼の部内での孤立と、藤沢くんに対する複雑な感情は非常に気になりますね。『苦手だった』『困ることもあった』……彼の言葉は、藤沢くんとの間に明確な壁があったことを示唆しています。それが、何かの引き金になることは……十分に考えられます」
松戸が冷静に、しかし鋭く分析する。
「藤沢の死に対して、どこか他人事のような、感情が希薄な印象も受けたな。佐渡先輩があれだけ悲しんでいるから良くないことなんだろう、というのは……少し歪んでいる。彼の中で、藤沢はどういう存在として認識されていたのか……」
「……でも、あの上尾先輩の言い方って、本当に藤沢先輩を心の底から憎んでいたっていうよりは……なんていうか、自分の気持ちを上手く言葉にできないだけ、っていう感じもしませんでした? コミュニケーションが苦手なだけで」
今まで黙ってメモを取っていた久留里が、ふと顔を上げて言った。
「言葉の不器用さ、ですか?」
松戸が問い返す。
「はい。だって、藤沢先輩のこと『苦手』とか、ああいう風に正直に言っちゃうのって、普通はもっと言葉を選びますよね。もしかしたら、本当に語彙が少なくて、自分の複雑な感情を表現するのに、一番ストレートな言葉を選んじゃっただけなのかも。藤沢先輩の死に対しても、どう反応していいか分からなくて、ああいう言い方になったとか……」
「なるほどな……。確かに、そう言われてみれば、彼の言葉には悪意よりも不器用さと、自分を守ろうとする壁のようなものが感じられたかもしれん。だが、その不器用さが、結果的に藤沢への負の感情を増幅させた可能性も大いにあるだろう」
俺は久留里の意見に頷きつつ、慎重に言葉を選ぶ。
残る証言者は、副部長の堺ただ一人。彼の冷静沈着な態度の裏に、何が隠されているのか。そして、彼のアリバイは。事件の全体像が、ようやく見えようとしていた。
【堺(副部長・3年)】
「堺くん、お待たせしました。あなたが最後になります。事件当日のことからお聞かせいただけますか。あなたは、学校に残って勉強していたと伺っていますが、下校時刻がかなり遅い。20時09分です。その時間まで、何をしていたのか、詳しく教えていただけますか」
高梨は、堺の落ち着き払った態度に対し、僅かな警戒心を滲ませながらも、単刀直入に切り出した。斎藤もゴクリと唾を飲む。
「はい。あの日、私は3階の自習室で、数学の課題に取り組んでいました。確か……午後4時頃から、20時過ぎまでいたと記憶しています。ずっと席を離れずに勉強していました」
堺は、よどみなく、そして淡々と答えた。その口調は落ち着いており、感情の起伏はほとんど感じられない。彼の性格なのだろう。
「自習室には、他にどなたかいらっしゃいましたか? あなたの行動を証明できるような方はいらっしゃいますか?」
「何人か、他の生徒も自習室を利用していましたが、特に会話はしていません。誰がいたかまでは、正直なところ、あまり意識していませんでした。自分の課題に集中していましたので。ただ7時50分に私以外の方が帰宅されたことは覚えています。ちょうどその時、時計を見たので」
彼の言葉からは、他人に無関心な様子が浮き彫りになった。アリバイを証明するのは難しいだろう。
「藤沢さんのことは、どう思っていましたか? 副部長として、彼のことをどう評価していたか、お聞かせください」
高梨が尋ねると、堺は僅かに視線を落とし、少し間を置いてから口を開いた。
「……努力家だったとは思います。実力も、2年生の中では上位に位置していたでしょう。ただ、少々……視野が狭いというか、一つのことに集中しすぎると、周囲の状況判断が疎かになる傾向が見受けられました。試合においても、それが原因で不用意な一本を取られる場面も散見されました。より冷静な状況判断能力の向上が、彼の課題だったと言えます」
彼は、藤沢の長所と短所を、客観的に、しかし的確に分析する。
「今年のチームのレギュラーに彼が選ばれたことについては、どう考えていましたか?」
「戦力的に見れば、合理的な判断の一つだったと認識しています。佐渡部長や多部先生が総合的に判断して決定されたことですし、私個人に異論を差し挟む立場にはありません。部全体の戦闘力が向上し、全国大会での勝利という目標達成の可能性が高まるのであれば、それが最善の選択であると考えます。チームにとって、個々の感情よりも組織としての結果が優先されるべきです」
彼の言葉は、常に合理的で、感情論を排している。
「藤沢さん個人に対して、何か特別な感情はありましたか? 好ましいとか、逆に好ましくないとか」
「特に親しく話す機会も多くありませんでしたので、個人的な感情というのは……持ち合わせていません。部員の一人、という認識です。彼が他の部員や、剣道部以外の生徒とどのような関係を築いていたかについては、私はあまり関知していませんし、正直なところ、関心もありませんでした」
徹底して客観的であろうとするその態度は、彼にとってごく自然なもののように見える。彼が藤沢に対して、本当に何の特別な感情も抱いていなかったとしても、それはそれで彼らしいと言えるのかもしれない。
「あなたは、20時過ぎまで自習室にいらしたと言いましたね。多部先生が武道館を確認し、施錠したのが20時ちょうどだと伺っています。つまり、あなたは多部先生が武道館を施錠した後も、校内にいたことになります。その間、何か変わったことや、不審な物音、人物などを見聞きしませんでしたか?」
高梨の質問は、事件の核心に迫る時間帯に焦点を当てた。この一点だけでも、堺は極めて重要な容疑者となりうる。
「……いいえ。特に何も。自習室は静かでしたし、私は自分の課題に集中していましたので、外部の音には気づきませんでした。武道館の方角から何か物音がしたということも、記憶にはありません」
彼は、表情一つ変えずに答える。多部先生が武道館を施錠した後も校内にいた……。これは極めて重要なポイントだが、彼自身はそのことを特に意識している様子はない。
聞き取りの時間は、約30分。堺の証言は、終始一貫して冷静で、感情的な揺らぎは一切見られなかった。アリバイは曖昧で、藤沢に対する個人的な感情もほとんど語られなかった。しかし、その揺るぎない冷静さと、必要最低限のことしか語らない態度は、彼にとってはごく自然な振る舞いなのかもしれない。
堺が退室すると、多目的室には重苦しい空気が残った。これで、アリバイのない6人全員の聞き取りが終わったことになる。
多目的室には再び生徒会役員と我々新聞部員だけが残された。部屋にはまだ剣道部員たちの緊張感が残っているようだった。高梨は、黙って眼鏡の位置を直し、記録用紙に何かを書き込んでいる。斎藤が「お疲れ様、蜜璃ちゃん」と小声で高梨に声をかけ、高梨が小さく頷く。
「……どうだったかな、新聞部の皆さん」
川崎が、探るような目でこちらに問いかけてきた。
「……ええ、非常に有益な情報を手に入れることができました。ご協力、感謝します」
俺は答えた。今日の聞き取りで、多くの情報が得られたのは事実だ。だが、それ以上に、謎が深まったようにも感じられた。
「協力できることがあれば、何でもやるよ。フッ。これも、生徒の自治活動の一環だからね」
川崎はそう言ったが、その言葉の裏に何があるのか、やはり読めなかった。高梨は最後まで一言も私的な感想を漏らさず、ただ淡々と役目を終えたようだった。
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