第10話

 今から数時間前。二人の思考は難航して座礁し、その後、無事に大破を極めていた。


「むしろもう包丁で叩いて……あれだよ、全部ミンチにして……?」


「にゃおん」


「見てください! 飾り包丁でおでんの輪切り表面に――猫さんの顔を作りました!」


 だが、三人寄れば傘寿の知恵言。とは言えば少年と女性と猫が雁首揃え、うむうむと悩み通せば自然と一個の答えに辿り着けれるものだった。


「ねえ黒猫さーーん、なにか良いアイデアとかないかなーー?」


「アォウ、アォウ、アォーウ」


「えっ? 急にめっちゃ喋るんだけど、どうした?」


 さほど自己主張が少ない猫だからこそ、その唐突な反応に唯は驚いた。


「――あ! もうこんな時間!」


 少年店主が店の壁時計を見て声を上げた。唯もつられて針を確認すると「もう十一時半……!?」と同じく驚愕する。


 来店した時間は九時手前だったからこそ、この居酒屋での出来事がどれほど濃いモノだったか物語っているようだ。


「この鳴き方は、猫さんがお帰りになる時間を教えてくれたんですよ」


 少年店主はカウンターからこちら側へとやってくると、黒猫を両手で抱えようとして――いまだ自分が食品を扱う業務時間だと察し――名残惜しそうに両手を下ろした。


 代わりに彼は店内の引き戸を開けると、黒猫はつられるようにぴょんと席から軽快に飛び降りた。


 スタスタと見た目に反して軽やかな動作で戸口に向かう際に立ち止まり、ちらりと少年店主の顔を見上げ、小さく「にゃお」と鳴いた。


「はい。またいらしてください、お待ちしてますから」


 ぺこりと見送られた黒猫はむべもなく、すったかたーと、夜の帳が落ちた街へと消えていく。真っ黒のせいで夜道に溶けるよう消えた姿が、唯には妙に目に焼きついた。


「えらくそっけなく帰っちゃったな、あの子」


「そういう猫さんですからね。あんな性格な子ですから、逆にお客さんとか気に入られてたりするんですよ。立派な招き猫さんですね」


 唯は無言でまた黒猫が消えていった光景を思い返す。

 なにか、ちょっと引っかかってる気がする。


 軽やかな動作で帰っていく、それがなにか引っかかる。


「そう。舞台から去って行くゲスト、それに似てたんだ。お仕事終わりだから舞台袖に去って行く――お仕事終わり、そう『あがり』だ」


 唯はぱっと少年店主へと振り返り、思わず喜色の声をあげた。


「昇太郎くん! 揚げようよ、天ぷらを!」


 猫が帰っていく。

 ねこさんおでんの出番が無事に終わる。

 すなわち用を成したのなら、あがりだ。


「……ギャグ?」


「こっちは酔っ払いだぞー! それに、さっきまでのリスペクトはどうしたんだー!?」


 少年店主は唯の狂乱っぷりに一度、「ぷっ――あはは、わかりました! じゃあ猫おでん天ぷら、ですね!」と大きく笑ってくれたのだった。




 唯はテーブルに頬杖をつきながら、夢のような回想をやめた。視線の先では十二時を回った深夜の居間で、もぐもぐと良い食いつきを見せる妹の姿をぼうっと眺める。


 薄暗い部屋の中で天ぷらを食べる姿が、とある酒大好きな野生動物と重なる。


 ねえ、愛ちゃん。いくら野菜が多くても天ぷらだよ、油物だよ。あと意外に具材次第ではそれなりにカロリーもあるよ、とは言えなかった。普通にたぶん、不機嫌になるからだ。


「これどこでテイクアウトしてきたの? この時間だとどこも開いてないよね」


「居酒屋めぐ、ってお店知ってる?」


 ぺろりと、ねこおでん天ぷらを平らげた健啖な我が妹の質問に、唯は答えた。


「うーん、ないかも。こんなに美味しいのに、有名じゃないんだね」


 それもそうだなあ、と唯も胸中で同意する。あの目に付く赤提灯の明かりは、暗い夜道ではとくに目立って見えるはずなのに。


 仮に偶発的な開店だったとしても、少年店主が言ったこととは矛盾してしまう。


『またのお越しをお待ちしております』


 去って行く野生の猫に向かっての謳い文句ではあったが、しかし居酒屋めぐが少なくとも定期的に経営されているのは事実だ。黒猫を求めて来客する者もいるという情報を踏まえると、――なんだか成り立ち自体も夢のようなものだと唯は思った。


「その居酒屋で、姉ちゃんの格好だとお酒止められなかったの?」


 姉が過ごしてきた事の次第をさほど把握できたらしい。視線を辿って己の姿を振り返った唯は、至極当然の疑問だなと思う。


 まさか学生服で飲酒することを認められた理由が、自分の装いよりも『極端に若い居酒屋店主』だったから、だとは分かるわけがない。


 数時間前のことを思い返せば、なんたる状況だったのだろう。口に手を当てて、含み笑いを堪える唯に、


「……またそれ?」


「え? また?」


「お姉ちゃんってさ、その格好のときあんまり『大人っぽさ』出さないじゃん。猫かぶるっていうかさ」


 猫をかぶる?


 唯は不思議な気分になった。今日はよく猫にご縁のある日らしい。


「正直、姉が制服を着回してるのどうかと思ってたよ。けれど、姉ちゃんって演技がすごい上手じゃん。マジで自分より若いのか? って一瞬だまされるときも、結構あったしね。だからまあいままでは、深く突っ込まなかったけど……その表情だよ、それそれ。大人っぽさがですぎてるよ、笑う仕草とか」


 流石に装いとはかけ離れすぎてるね、と愛は特段気にもとめない様子で言う。


「じゃあもうダメかな?」


「うーん? ダメって言うか、そうじゃなくって」


 戸惑っている。けれど唯の胸中では何か、予感めいたものを感じ取っていた。


「――終わり、かな? 卒業式を迎えなきゃダメって感じに近いと思うよ」


 唯はふと、居間の壁際に置かれた大きな鏡を覗いた。薄暗い中で、食卓の席に着いた学生服の――女性がこちらを見ているが、なにやら服装と顔つきの印象がてんでチグハグだ。


 ためしに手を振って見せた。片手をあげる唯に、鏡に映った女性はこちらに向かって手をふりかえしてくれる。


「なるほど。これで、あがりなんだ」


「なにいってんの?」


 妹の無遠慮な言い方に、唯はひとり吹き出して、笑った。





「スタッフが急の病欠でアクターがひとり足りないんです。現場人数は限られているし、臨時を呼ぶにも一枠明かすことになりかねなくて―――」


 とあるイベント会場でキッズ向けの舞台の企画に携わっていた唯が、代わりとしてスーツアクターを演じることになったのは、まさに偶然だった。


「大丈夫、こういうの得意だから」


 必死に謝罪するスタッフを宥めつつ、急いで開始時間までにセリフと動きを頭にたたき込む。唯は正直、楽しみで仕方なかった。


 仕事柄、イベントの企画立案を行う立場が多かったために現場での活動は心が踊った。


「よし。いっちょやったろうじゃないの」


 小さなテント内で自分の役目である、キャストとしての心意気を思い返し、緊張でひよりかける身体に火を灯す。


 今回演じるキャストは『倒される怪獣』だ。むろん、役目としては子供たちを脅かし、客席を阿鼻叫喚に陥れた後に、遅れてやってきたヒーローに打ち倒される。


 それでおしまい。


 じつに簡単なお仕事だろう。すでに唯の心を占めるのは、悪逆非道な悪魔の声。倒せ、驚かせ、純粋な子供たちを恐怖のどん底に陥れろ――


「やめやめ、やりすぎちゃダメなんだってば」


 ぶんぶんと頭を振って熱意にブレーキをかけた。そのタイミングでテントのドアがパシパシと小気味よく叩かれる――外にいるスタッフからの合図を確認し、よし出番だと、唯は頭上にすっぽりと怪獣の頭をかぶった。


 スタッフに促されるままに唯は舞台袖に立つ。薄暗い袖口からは、現在進められている舞台状況、その向かい合わせにある客席の様子が見えた。


 黄色い声援をあげる子供たちと、その姿をにこやかに見つめるお父さんお母さん。頭の中に思い描いたままの家族団らんの光景に、自然と唯の口角がにんまりあがった。


 これぞキャストの醍醐味だ。ひとりひとり目に焼き付けるように眺めていけば、


「よしよし。今回も成功している――んあ?」


 そこで、唯の視線は急遽とまった。


 なにかを静かにじっくり情報を読み取り、再確認しているように微動だにしなくなった唯――怪獣に、付き添っていたスタッフが戸惑い始めた。


「あの、幕ノ内さん? 出番……出番、そろそろですよ?」


 躊躇いがちに問われるが、怪獣はいまだ予備動作もしなければ頷きさえもしない。圧倒的な存在感を見せる怪獣姿で、まさに異様な雰囲気をかもしだされる。


 しかしピークを迎えたスタッフが、「お願いしますよ! マジで出番ですからね!?」と強引に背中を押してみせた。


 おどろおどろしいBGMな舞台と観客席を染め上げる中、転がり落ちるように舞台袖から――怪獣の唯が力なく現れる。


 そして実際に派手に転んだ。


「うわー!?」


「えー!?」


 客席から子供たちの意外そうな声が響く中、怪獣はぴくりともしない。うつ伏せで倒れ込んだまま、微動だにしない姿。


 低く腹の底に響くような曲も相まって、しぃんと場の空気がしらけているのをリアルタイムでスタッフたちは感じ取っていく。


 死んだように倒れた怪獣を、現場の盛り上げ役のお姉さんが茫然と眺める光景。


 これは、やらかした。


 どうにか現状打破に試みる舞台裏のスタッフたちだったが、ちょうど曲の終わりを迎えた瞬間に事は起こった。


「――グッハッハッハッハ――」


 まるで地面がゆれているような笑い声だった。


 無音の中で笑い声だけが鳴り響く。そんな状況に子供たちが不安そうに辺りを見渡し、親たちは事故か演出かを見定めるために周囲を不安そうに見渡す。


 だが、タイミング良くも響き渡り始めている怨嗟のこもった笑い声。すわ演出か、と大人たちが安堵するのもつかの間、


「グワーハッハッハッハッ! ワルイコいるかァーーー!?」


 がばぁー! と跳ね上がるように立ちあがった怪獣の声量、そして動作に子供たちが「ひぃーーー!」と恐怖の悲鳴が重なり合う。


 やりすぎだ。これじゃあ、意味がない。スタッフが戦々恐々する中、怪獣はドシンドシンとパンパンに空気を入れたブルドーザーのタイヤのような足で舞台を踏み歩く。


 両目の鋭い眼光で観客席を舐めるように睨め付けて、ひとりの子供を標的にする。


「どうだッ? おまえはワルイコか?」


「いいこです! ぼくはいいこです!」


 ――先ほどから隣の弟らしき子にちょっかいをかける子に呼びかける。


「じゃあおまえはイイコかあ!? イイコなら食べちまうゾ!?」


「ひぃーん! いいこになる~…!」


 ――つまらなそうにスマートフォンをいじってばっかりの女の子へ呼びかける。


「フゥン。本当かァ? 我がみてた限りだとオマエラはワルイコそうだったが~?」


 しくしくと場の空気が湿っていたところに、怪獣はがっははと笑う。


「これなら世界征服はいともカンタンだろうな!」


 唐突な勝利宣言に、しかし忽然と声があがった。


「お、おまえが悪い奴だろ!」


「そ、そうだ! おまえが一番わるい奴だ!」


「ナニィ?! 貴様等に言われんでも我はワルイモノだ! ……ちょ、ヤメッ、コラー! やめないか! 我にパンチするワルイコは誰だ!?」


 舞台から客席に下りてきたために、遠慮のない活発的な子供たちから手荒い洗礼を受け始めた怪獣だったが――その距離感は絶妙で、現場を深く認知するものこそ行える繊細な動作、クリアリング、そしてスーツの可動域を把握したもの。


 現場に居る数名のスタッフが、ここにきて怪獣の思惑を察し始めていた。

 がばあと両手を威嚇するかのように振り上げて、怪獣は高らかに宣言する。


「我に勝てるようなモノはいない! どうだ、すこしたりともダメージはないぞ!」


 そこで絶妙なタイミングでBGMが再開する。おどろどろしい曲と共に舞台へと戻った怪獣はがっははと笑って、また煽りをかけはじめる。


「――さて、キサマラになにができるというんだ!?」


 ここまでくれば、このさき何が行われるかは皆承知していた。舞台に立ったお姉さんがマイクを握って「ねえみんな!? 声を合わせて助けを呼ぼう! ――せーの!」と号令をかけるのだった。




 後に怪獣はヒーローから尊厳破壊光線を受け、まるっきり純粋無垢になった彼はのちに戦隊のいじられマスコットキャラに変貌。お色気要因の女性隊員の悪戯要因として、ギャグ渦中に落とされるのだった。


「……ひっどい展開」


 まあ知っていたし、それを含めて企画を組んだのも唯なのでわかっていたのだが。


「またね~怪獣さん」


「もうワルイコとするなよ!」


 子供たちの遠慮の無い言葉にも、怪獣は愛想良く「またこいよ!」とか「もうワルイコになるなよ!」と返していく。そしてそのタイミングで手に持っている風船をひとりひとり渡していくのだ。


 ああ、大変だった。


 唯はどうにかアドリブで乗り切った先ほどまでの状況に、胸をなで下ろす。スタッフからは好評だったのがまだ良かったと思う。


 しかし企画側としては大失敗だ。今後の糧とすることだけを胸に、唯は無心で風船を配っていく。


「怪獣さん。風船ください」


 ひとりの子供が丁寧に求めてきたので、屈んで手渡してあげた。


 唯はその子の頭を撫でてあげて、嬉しそうに両親に笑顔を向ける姿に和やかな気分になった。


「かいじゅうさん、わるいこはもういないよね?」


 つぶらな瞳を真正面から受け止めて、唯は「そうだゾ! キミはいいこだ!」と元気いっぱいコミカルに答えてあげた。


 やったーと喜んではねている我が子を優しい目で眺める家族に、唯はスーツの中で笑った。やはりこういった現場でしか得られない声は大切だなと心からおもう。


 唯はもうひとつ風船を手に取って、その家族に手向けることにした。


「え、ありがとうございま――」


「お前は?」


 びくりとその人物の肩が震えたのを、唯はスーツ越しで確認した。


「この、声、」


「今回で分かったよ。あなたの言うとおりだった」


「ゆ、ゆい―――」


「さァて! ここにはイイコだらけだナ? そうだろウ!」


 みるみるうちに青ざめるお父さん――またはその名はカケルに、また声を作り替えて呼びかける。びっしょりと全身に汗をかき始めた父親の姿に、子供は不思議そうな顔を向ける。


「おとうさんはイイコだよ?」


「……っ、ああ、うん、そうだよ……」


 ふわり、と彼から手放された風船が空へと昇っていく。


 高く高くあがっていく白い風船を見上げながら、唯は満足そうに「じゃあオッケーだッ!」とがっはは笑ってみせたのだった。

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