第6話
「そんな思い出を抱えたまま、大人になって働き始めた。そこで自由に使えるお金があるって分かったとき、あたしの心は躍った。もうなにも怖がらなくて良いんだって。ぜんぶ好きなことに使ってやるって決めたよ」
唯はどっぷりとディズニーランドの魅力に全身で浸かった。数年間、とても充実した毎日だった。
活力にあふれた当時の彼女だからこそ、唯が勤めている会社繋がりで彼氏もでき、よりいっそうディズニー熱に拍車がかかった。
まだ夢の続きを見ていたいと乞い願っていた。学生服を着ることでより愛する者への熱が高まることを知っては、戻ることができない。
ああ、自分は失った学生生活を取り戻そうとしているのだと、なんとなくは分かっていた。
「でもね。ふと職場の同僚とか、同年代の友達といると気づかされるんだ。テレビのコマーシャルで、視線を外すタイミングが全然違うんだって。有名な俳優やアイドルの場合とディズニーランドや映画の場合で食いつきかたが違うんだ」
時々、そういった何気ない日常の瞬間に自分の立場を振り返りそうになるのだ。いつまで自分は好きなモノを好きだって言い続けられるのだろう。
自分の周りには同じ立場で共感してくれる人なんて、いないのに。
唯はデールの耳を見下ろした。そして唯の肩に提げられたバッグにはもう一つのチップの耳が入っている。
これもまた無残にも地面に放り出されてしまったもの。
「そんでもって今日はとうとう、彼氏にフラれちゃった。いつまで子供みたいな趣味もってるんだよ、とかさ。それに――この格好が気持ち悪いって、きっと思われたんだろうな」
すんと唯の鼻が鳴り始め、あの時の惨めさがぶり返す。我慢をしようとぎゅっと鼻に皺を寄せ、「やだね、こんな時ばっか学生みたいにすぐ泣いちゃってさ」と自虐を溢すが、この場で彼女をあげつらう者はいない。
ねじり鉢巻きを巻いた少年と、まっくろおもちの黒猫さんだけなのだ。
一体何処で間違ってしまったのだろう。
そもそもこんな愚痴を少年と黒猫にぶっちゃけること事態、間違えているのに。
唯にはいまだキラキラと光り輝いて見えるディズニーのグッズたち。職場の同期はやれブランドや恋人の年収やらで、夢の内現実ばかりを口にして盛り上がる。
それこそ夢物語じゃないかと思うのだが、今の格好を好き好んでいる自分より現実的に違いない。
「追い続けちゃダメなんですか?」
口を閉ざしてしまった唯に、少年店主が遠慮がちに声をかける。
「さっきのチップとデールのモノマネ、とっても凄かったのに。あれは好きだからできたことなのに、それじゃあお客さんにとって続ける理由にはならないんですか?」
ぎゅっと腰エプロンを両手で掴んで彼は言った。大人の栓の無い話を黙って健気に付き合ってくれた彼の素朴な問いかけ。唯は胸のうちを針で刺されるような痛みが走る。
「ダメなんだよ。あたしはそろそろ区切りをつけなくちゃ、ダメなんだ」
「……すごかったのに」
独りケジメを付けようとする唯に、いじけるような表情を向けられてしまう。唯もおもわず苦笑を漏らして、首を振った。
「そう言ってもらえると本当は嬉しいけどね、……でも大人は難しいんだよ。君みたいにもっと大好きって言えたら良いんだけどさ、やっぱりできないんだよ」
なぜ彼が居酒屋店主とやっているのか唯にはわからない。
はたして熱意がいかなるものか。居酒屋店が大好き、そして心意気も十分。それだけは歪な大人の唯にだって理解できる。
――だから後悔をしないで欲しい。
唯はさきほど、胃の内容物をサルベージしかけるぐらいに酔っ払っている。だからこそ、居酒屋店主の少年にやくたいのない愚痴を溢した。二十代で学生服を着てたってすごく酔っ払っているのだ、秘めていたことすら言ってしまうほど。
「ねえ、昇太郎くんは将来――」
にゃおん。
と彼の声を遮られることで、唯の意識は少年から黒猫のほうへと向かう。同時に店内でピピピ――甲高い電子音が鳴り響く。カウンターの向こう側で、少年店主がなにやらじっと固まっている。
その手には、ぎゅっと握られた何かがあった。気になって唯が首を伸ばすと、それはデジタル式のタイマーだった。
「お客さん」
彼は手に持ったタイマーを見つめつつ言った。
「さきほど注文された、ねこさんへの一品料理ですけど。いまから出させてもらってもいいですか」
「え、うん、まあいいけど……」
唐突な彼からのお誘いに、唯は戸惑いながらも頷いてみせた。
「あとお客さんの牛モツ煮込みも一緒にだします。ビール、おかわりどうでしょう?」
唯はしばらく思案顔。「ビール、煮込みにあうんだったよな」と、さきほど少年店主の言葉を思い出す。
「じゃあ、お願いしようかな」
とジョッキをカウンターへ置いた。彼は恭しくジョッキを受け取るとサーバからゴワワァと豪快にビールで満たした。そして大鍋から注がれた小鉢と一緒に、唯の前へと提供された。
「どうぞ。ビールおかわりと牛モツ煮込みです」
「ど、どうも。……ってめっちゃくちゃまっしろじゃない?」
小鉢の中身を見て声を上げる。思ってもいなかった色合いに困惑する唯に「牛モツ煮込みはネギを食べるものなんです」と、誇らしそうに少年店主が胸を張った。
「ネギ? ああ、これ細切れの白ネギか。いや、それにしてもだよ」
「そうでしょう? ここは言われたとおり、牛モツと白ネギを一緒にかっ込んでみてください」
にっこり笑顔の店主のお誘いに、いまだ先ほどの答えをもらっていないことで納得がいっていない唯だったが断るのも忍びない。未だ突っ立ったままなので、席へと腰を下ろす。割り箸を手に取って牛モツ煮込みがの小鉢へと口を寄せた。
サササ、とお茶漬けのように口内へとかっこむ。煮物を入れるには少し、小さすぎる皿に注がれたもつ煮。
元よりこうやって一気にすすり上げる為に選ばれたのだろうか。
「――……もぐ、もぐ……んむぅ!?」
すると唯の胸中に驚きと感動が生まれた。
第一印象は濃厚な青臭さで、大量に上から振りかけられた白ネギに舌がぴりっと驚いてしまう。しかし口内でフワリと優しく味噌の甘みが訪れて、しっかりと味の染みこんだモツをうっかり咀嚼してしまえば、じゅわりとモツから漏れだした出汁の旨みがとろりとしみ出してくる。
おもわず唯は目を見開いた。
「んっ……んまっ……!」
「お客さん! ビール!」
「ん! ほっか、はふはふ……!」
はふはふと咀嚼しながらガッとジョッキをたぐり寄せた。ごっごっごっ……と唯は喉を豪快に鳴らし、口に残ったモツと白ネギの一緒に洗い流す。
モツ煮込みの熱さとビールの辛口の風味がひときわ味の輪郭を際立たせ、最後に残ったのは限りない充足感だ。
幸せか?
唯の胸中に沸き起こる多幸感に、すっかり下がってしまった口角がせり上がった。
「マジで美味しい……」
「にゃう」
感動にうちしがれている側で黒猫が鳴く。「やるやろこの子、すごいねん」とシンプルなどや顔を受けながらも、人間味あふれる猫の態度にも何度も素直に頷き返す。
「ねこさん」
そんな一人と一匹の会話もなんのその、少年店主は最後の一皿をカウンターへ。
「……? それは?」
一人と一匹の興味津々な態度に、少年店主は一度大きく頷いてから言った。
「これは、ねこさんおでんです」
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