第3話

 これでお酒を飲まない選択肢は、きっと存在しない。思わずカウンター越しの少年店主の顔を見あげ、唯は目を輝かせて口を開いた。


「……ご飯も頼めたりできる?」


「? いいですよ、もちろんです! 小盛りでいいですか?」


「う、うん。ありがとね、変な注文しちゃって」


「なにを言ってるんですか。お客さんのお願いは叶えてなんぼです」


 申し訳なさそうな唯の注文にもなんのその、打って響くようなテンポで返してくれる少年店主。見た目は少年でも、いや実年齢はきっと少年なのだろうが、居酒屋店主としての矜持は本物だと唯は感動をおぼえた。


 唯はなんとなく、ディズニーランドのキャストの姿と重ねてしまった。


 キャストとは来園客にサービスを行う全スタッフの呼び名だ。お客のことはゲストと呼ぶ。ディズニーランドはゲストたちに何処でもショーを観せると言う体を突き通す。


 だからそのような呼び名を普段から徹底している。夢の国に訪れたゲストの気持ちを最優先にしており、わかりません、が許されないのがキャスト全員の心構えなのだ。


 そう、徹底してるんだよね、この子みたいに。


 唯はにわかにテンションが上がり始めていた。いまはもう深くは考えずにサーモンのなめろうを白飯の上にのっけて口いっぱい頬張ってしまおう。


 悩むのは、そのあとでいい。

 ふと隣の席の黒い物体から視線のようなものを察し、唯はチラリとそちらを見る。


「おおう……?」


 じっとこちらの様子を観察するふたつの金色の瞳があった。くねくねと長い尻尾を優雅にくゆらせて、猫にしては妙に人間味のある視線を、リスの耳をつけっぱなしなままである唯に向けている。


 もしやすると飼い猫だろうか、ならば見知らぬ存在相手に負けず、でっぷりとした強烈な存在感にも半ば納得がいくものだ。


「どうぞ。ご飯の小盛りに、ウーロン茶です」


「あ、ありがとう」


 じっとりした視線を隣から受けながら、少年店主から茶碗に盛られた白ご飯、そしてウーロン茶を受け取った。いざおとおしを白飯にかけてやろうかと思った矢先、


「ねこさん」


 続けて彼がカウンターから細い腕を伸ばして置かれたものに気をとられる。ちんまりとした平皿は黒猫専用と思わせるサイズ。


 しかし更にそそがれた中身の白い液体は、いったいなんなのだろうか。


「甘酒で良かったんですよね? おばあちゃんは今日もいないから、ちゃんとねこさんのおねがいがわからないけど」


 正体は甘酒だ。たしかにその平皿にそそがれた白い液体に、唯も見覚えがある。


「にゃお」


 偶然だろうが少年店主の問いかけに黒猫は小さくお返事。くろいおもちみたいだったフォルムからにゅっとカウンターに置かれた甘酒へと首が伸びた。


「なんかすごい伸びてるっ」


「えっ!?」


 唯の突然の過剰なビビりに反応して、少年店主も目の前に広がる猫の神秘に釘付けだ。唯と少年店主は互いにやりたいことを一時放棄して、黒猫の首が嘘みたいに伸びてチビチビと甘酒を啜る姿にしばし呆然と、どこか穏やかに眺めることとなった。


「猫でもおいしいって思うんだ、甘酒って」


「おばあちゃんが言ってましたけど、甘酒はとっても身体にいいんです」


 唯の率直などうでもいい感想に、少年店主は健気に答えてくれた。


「飲む点滴っていわれるほどらしいですよ。栄養がとてもすごくて、とっても疲れてるときとか気分が沈んでいるときとかに、砂糖を使ってない甘みが良い感じになるんです」


 へえと彼の説明を聞き入れつつ、甘酒を一心に舐めすする黒猫を見て唯は「でも猫じゃない? 人間の飲み物って平気?」と再び尋ねてみせる。


「じつは、ねこさんにもオッケーなんです!」


 頭の上で両腕を丸の形につくりあげる少年店主。笑顔も百点満点だ。


 甘酒には身体に必要な成分がたくさん詰まっている。コウジ酸、酵素、豊富なビタミンB類、そして必須アミノ酸。なかでも酵素の種類は百以上という。


 その中でも二大酵素と呼ばれるアミラーゼ、プロアテーゼは消化吸収を促進させるのだ。


「ねこさんは野良なんで、色々とこわい病気とかあるんですけど、ここでご飯たべていくと毎日元気いっぱいで凄いんです」


 このねこさん、ここら一帯のボスなんですよ。と少年店主はカウンターから手を伸ばして黒猫のおでこを指先でつつく。


 甘酒を平らげた黒猫は満足そうに目を細めて顔を洗っていたが、そんな彼のちゃちゃにも「しゃーねーな」と言わんばかりに図太く無反応だ。


「すごい猫のことを考えてあげてるんだ。それは一応、この子もお客さんだから?」


「もちろんです。どんなお客さんでも、ぼくはきちんともてなしてみせます。それにおばあちゃんが店主だったとき凄くて、チーターがお客さんとしてきてましたよ」


 チーターってにゃん、って鳴くんですよ。かわいいですよね。と鳴きモノマネしている少年店主に、へえそれは凄いことだねと唯はそこまで取り合わずに聞き逃す。


 へんなことばかり起こっているが、幕ノ内唯はずいぶんと気分は良くなってきてはいた。だがそんな己を自覚する度に、首をもたげるのは数時間前のできごとだ。


 ああ、こんな風に彼と一緒に盛り上がりたかったな。


 またぞやの暗い想いがぶり返してきたことを唯は自覚した。今日は彼と楽しい夜を過ごすつもりで普段よりも気合いを入れて準備をしてきた。


 花火のショーを見て、ディナーを食べて気分を盛り上げて、最後は彼の家でお泊まりだったはず。


 なのに今はよく分からない居酒屋で少年店主のかわいいらしいうんちくを聞きながら、まっくろなお餅みたいな黒猫と一緒にもてなされている現実。


 ディズニーランドに負けないぐらい刺激的な体験だけど、唯が求めてたものとは違う。


「チーターなんて西葛西にいるわけないじゃん……」


「ほ、本当にいるんです! ぼくみましたもん! 大きいのに、にゃんにゃんって子猫よりもいっぱい鳴いてて――――お客さん、え、泣いてるんですか……?」


 突然に涙ぐむ唯に少年店主はたじろいでしまう。だが、きっと眉を寄せた彼は着ている蒼い甚平の袖をぐいっとめくりあげる。


 ほそっこい白く眩しい二の腕をさらけ出し、


「お客さん。なにかたのまれますか?」


「え……?」


 唯はそんなお誘いに、伏せていた顔をおもわず上げる。自信と不安に満ちた表情を浮かべながらも、少年店主はこくりと促すよう頷いた。


 唯はしばらく呆然と見返しながら、ぐすりと鼻を啜って「……ビール」と告げた。


「だ、だめですよ! お客さんは未成年でしょう?」


 少年店主の視線が唯の着る夏の学生服へと向けられる。


「……大丈夫、わたしフツーに大人だから」


 その言葉を少年店主はうまくかみ砕けないのか呆けている顔に、唯は少し自嘲気味に笑ってみせた。


「あたし、二十五歳なんだ。だからお酒飲めるんだよ」

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