ショタ居酒屋~赤ちょうちんに誘われるのはお悩みお姉さんたち~

@tatibana_168

一章 しょっぱいお悩み

第1話

 じっとりとした風が前髪を乱雑にかき上げた。


 ばらついて顔にかかった前髪はぴったりとおでこに張り付いて、七月下旬の蒸し暑さも相まってさらに不快にさせる。しかし白馬白亜は乱れた前髪をそのままに歩き出した。


 白馬白亜は弁護士である。


 弁護士になると決めた日から白馬は、今日まで一度も「人生」という進め方に手を抜いたことはない。下積み時代から本格的に一人で案件を持ち始めた時期まではとてつもなく大変で難しいことだったけれど、心から白馬は「やりきれることまでやる」と心に決めて遂行してきた。だから、どんな結末が待っていても自信を持って前を向いて歩けると断言できるのだ。


 白馬白亜は弁護士人生で一度だって後悔はしない。

 正義の下、諦めることはけっしてしない。

 だってそれは自分が納得した上での現在なのだから。


「こんちくしょおめやぁ~~~~~」


 へにょへにょとした危うい歩みのままに、白馬は暗い住宅街を歩いて行く。


 普段はかっちりと黒いワイドパンツのフォーマルな衣服は、いまは乱れに乱れており、顔色は朱を帯びていた。つまり、彼女はとてつもなく酔っ払っていた。


 江戸川区西葛西の住宅街の一角。だれもいない街灯だけが地面を照らすほの暗い路地で、彼女は岐路へと向かわずにぐるぐると同じ所を回っている。なぜ回っているのかと言えば、それは帰りたくないからだ。


 白馬は今日、弁護士としてかなりのダメージを負う羽目になった。かなり笑えないぐらいの出来事だった。このままいつもどおり家に帰ってしまえば流れるままに、明日が始まってしまう。


 日常のスイッチが押されてしまい白馬の非日常が、簡単にリセットされる。それが怖いのだ。日常の歯車に挟み込まれたものが取り除かれないままの状況が。


 ここまでアクシデントに弱い人間だったのかと気づかされそうな現実。だからこんな見知らぬ住宅街で白馬は酔っ払いながらも、さっさと家に帰らないでいる。酔っ払っているなら帰れば良いのに。


 こんな見苦しい姿を顔見知り程度でも見つかれば醜態そのものになるのに。それでも、帰れない。


「なににょ~~あたしゃがわにゅいってかぁ~~」


 ろれつの回らないままに文句を垂れてる御相手は、さきほどから無言で付き合ってくれる工事中の看板だった。丸っこいフォルムにデフォルメされた作業員のキャラクターは、目を伏せてがなりたてている白馬の愚痴を毅然として受け入れてくれていた。すみません、ここは工事中です、と誰に対しても平謝りな彼だが、今の彼女の相手としてとても適している。


「ぐすっ」


 白馬はとにかく鬱憤が溜まっていた。

 心の内に溜まった愚痴を誰でも良いから聞いて欲しい。


 このへべれけ状態に至るまでに、実は四件ほど居酒屋を巡って飲み明かしている。すでに彼女の許容量は限界を超えつつあって、それでも次々に店を変え、グラスを空けて、胃の中身が様々な種類の酒でちゃんぽん状態になったのは、ひとえに白馬が異常に我慢強いからだ。生真面目で、意志が強いから愚痴が零れるまでの限界点が四件の梯子をクリアさせてしまっていた。


 この梯子行列にも付き合ってくれていた同僚も何人かは居たのだ。傷ついた彼女を憐れに思い、けれどそんな彼らも途中で付き合いきれずに、次々に離散していった。最後に残ったのは爆発寸前の白馬が一人取り残されていたのだ。


 人はときに精神面が体力面を上回るときがある。

 ここまでくれば白羽の我慢強さも褒めたものだろう。

 誰も褒めてはくれないし、誰も慰めてはくれないのだけど。


「にょにょ」


 結局のところ、胸中に巣くっている悩みを誰かに聞いて欲しいだけなのだ。懇々としずかに私の思いの丈を聞き遂げて欲しい。たったそれだけのことなのに我慢の強い白馬には、それができない。


「んにょ……」


 崩れ落ちそうになる身体を、白馬は看板によりかかることで、かろうじて堪えきった。我慢の強い彼女は、ここから一人で立ち上がることもできる。日常の歯車が回り続けるときならば、の話だが。


「あれ?」


 ふと、視界の先で見慣れない赤提灯を見た。この岐路はほぼ住宅が立ち並ぶだけなので、暗い道に不自然な赤いライトはとくに目につく。視線と同様に誘われるように、白馬の歩みもそちらへと向かっていく。


 辿り着いた先にあったのは、『居酒屋めぐ』という看板。赤提灯の頼りない光に照らされた店の様子は、なんだかちょっと古くさい門構えだなと白馬は思った。令和になった昨今、地域密着型のような居酒屋経営が渾然と存在している光景に我が目を疑った。


 まあでも、いっか……。


 酔いで解けた脳みそは慄然とした思考を生み出さず、ガラス張りの引き戸へと手をかけてしまう。普段、未然を防ぐことをよしとする白馬には存在しない選択肢。「あっ、でも……もういいや……」なんて思い直してしまう始末。しかし今の彼女はへべれけなのですべてが許される状況になっている。


「こ、こんばんわ」


 引き戸を開けて、一言告げながらのれんをくぐる。すると冷房が効いた空気が身体を包み込み冷やしてくれた。思わぬ心地よさに一瞬、目を薄めた先には想像した通りのカウンター席が視界に写った。


 狭い間取りの中央にカウンターが設置されており、数席の背もたれがついた古い椅子が並べられている。意外にも明るい照明に満ちた店内は、店構えから感じる拒絶感とは真逆に親しみの雰囲気を感じさせた。そして、そのカウンター内部の中央に立っているのが、この店の店主なのだろう、と白馬はそこまで順調に把握できた。


 きちんと把握は、ここまで出来たのだ。


「ら、らっしゃい」


 気前の良さそうな言葉とは裏腹に、客としてやってきた白馬に心底驚いた様子の店主。なにやら作業中だった手元がぴたりと固まっている。しかし、それ以上に白馬は驚愕に目を剥いた。


 そこにいたのは少年なのだ。

 居酒屋のカウンターに立つ店主が、なにをどうみても少年なのだ。


「……へえっ?」


 おもわず素っ頓狂な声がもれてしまった。


 白馬は持ち前の生真面目さで、何か言葉を発しようとするが、視界の先では少年はカウンター越しで動揺したままの表情でこちらの様子をうかがっていた。白羽はのれんをくぐったままで、少年は何かノートを見ながら包丁を握っていたようだ。


「一人、いいかな?」

「だいじょうぶです」


 ついで出てきた言葉は客として当然の要求だった。

 選択としては、たぶん間違っているのだろうけども。

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