第25話 無敵のヒト

「獣人のことなんて、大っ嫌い~~~~~!!!!!」


 私の叫び声が学園中に響き渡る。

「ん……? 何あれ、ヘイトスピーチ?」

「あの子、今年入ってきた1年のヒトでしょう? ちっちゃくてすっごく可愛い……食べちゃいたいくらい♡」


 私の声を聴いた生徒がぞろぞろと窓から顔を出す。

 その中には私に嫌悪を示す者や、野獣の眼光を向ける者もいる。


 ――ヒェッ……!


 大勢の獣人の目が一斉に向けられているこの光景は、恐怖以外の何物でもない。正直今にも逃げ出したいくらいだけど、まだもう少しだけ我慢だ。


「獣人なんてみんなバカ!! 番を探すことしか頭にないケダモノばっかり!!」


 私は考えられる全ての悪口を言い続ける。すると、それを静観していた生徒たちもだんだんと熱が入っていき、私に反論する者も現れ始めた。正直、いつケンカになってもおかしくない雰囲気だ。


「――ちょっとあんた、自分が何やっとるか分かっとんの!?」


 その様子を見ていたコンは立ち上がり、今すぐやめろと言わんばかりに私の腕を強く引っ張る。彼女の顔はすっかり驚きと困惑に満ちている。

 その怪訝な表情に答えを示すように、私は彼女に向けてにっこりとほほ笑んだ。


「これで、私よりバカな人はいなくなったよね!」

「……! あんたまさか、うちのために……!?」


 生徒全員にケンカを売るなんて、とびっきりのバカがやることだ。

 でもだからこそ、今この瞬間において、私よりバカな者はいなくなった。コンが自分を恥じる必要はなくなったのだ。


 上には上がいるように、下には下がいる。

 理想を目指せば目指すほど、上手くいかなかった時に悲しくなる。

 そういう時は下を見て、これに比べたら自分なんてまだマシな方なんだと、自分を慰めるのが一番だ。


 だから私ができるコンへの恩返しは、私がその『下』になること。

 彼女の恥じらいなんて吹き飛ぶくらい、私が笑い者になればいい。


「バカっ! そんなことしたら、今度はあんたが……!」

「――よ~? なんだか面白いことしてんな~?」


 すると私達の目の前に、見知った顔の獣人が現れる。

 ライオン獣人のラブリーだ。そしてその後ろには、いつものように手下が四人……だけじゃない。私の煽りに感化された獣人がぞろぞろと現れる。怒った者から発情した者まで様々だ。


「さっき獣人はバカだの、ケダモノだの言ってたけど、その中にはオレ様たちも含まれてるってことだよな~?」

「そ、そうだけど……だったら何よ?」

「だったら、この前とは違って最初にケンカを売ってきたのはオマエの方になる。オレ様たちは売られたケンカを買っただけ。この意味、分かるか?」


 ラブリーはにやりと笑い、後ろの獣人たちに目配せする。


「今から何をされようが、ぜんぶ自業自得ってことだよ!」


 ラブリーの掛け声とともに、獣人の群れが一斉に襲い掛かってくる。

 しかし、私もこの展開は読めていた。そしてこれに対応するための手段は考えてある。


「――あっ! シロ先生!」

「なにっ!?」


 そう言って彼女たちの後ろを指差すと、見事に全員が一斉に振り返る。その光景はまるで指揮者と演奏者のようだ。

 どうやらシロ先生という存在は生徒たちにとって、想像以上に厄介な存在らしい。


「逃げるよっ、コン!」

「あっ、ちょ、ちょっと!」


 私はその隙にコンの手を引っ張って走り始める。


「あっ! てめっ、シロ先生なんていねぇじゃねえか!」


 シロ先生はブラフ。それに気付いた獣人たちは、再び私達の後を追いかけ始める。

 少しの間だが、時間稼ぎはできた。あとは逃げながら隠れられそうな場所を見つけるだけ。

 私達が隠れるのが先か、獣人の群れが追いつくのが先か……こればかりは運に任せるしかない。


「はぁっ……! はぁっ……!」


 コンの手を握ったまま、私達は走り続ける。

 すると目の前に十字路の分かれ道が見えてくる。真っ直ぐ行くか、それとも右に曲がるか、左に曲がるかの選択肢。

 私はそのまま真っ直ぐ突っ走ろうとすると、


「北はあかん! 東に逃げるんや!」


 コンは私の手を引っ張り、右に曲がる。すると物陰に隠れていた獣人が飛び出し、私達の後を追いかけてきた。

 もしあのまま真っ直ぐ走っていたら、間違いなく捕まっていただろう……。


 その後、私とコンは学園の中でもとびきり人影の少ない化学準備室に逃げ込み、二人で狭いロッカーの中に隠れることになった。


「ヒトでもキツネでもどっちでもいい、とにかく探せ!」


 廊下からはラブリーの声や他の獣人の足音が聞こえてくる。

 私達は気付かれないよう息を静かに整えながら、その場でじっと硬直する。


「……さっき、どうして獣人が隠れているって分かったの?」


 やはり第一に気になるのは、先程のコンの発言。目では見えなかった獣人の居場所がどうしてコンには分かったのだろうか。

 私はできるだけ音を立てないよう、コンの耳元でひそひそと話しかける。


「あぁ、あんなん簡単や。音で大体の位置を把握して、地球の磁場を感じ取って正確な距離を特定するだけ。キツネ獣人にとっては日常的に行ってることや」


 ち、地球の磁場を感じ取る……?


 少なくともヒトにとっては、そんなの全然簡単なことじゃない。おそらくそれはキツネ獣人だけが持つ特殊能力のようなものなのだろう。うん、そういうことにしておこう。そうじゃないと、とても私の頭では理解が追いつかない。


「……そろそろ、行ったかな?」


 二人でロッカーに隠れてからしばらく経つ。気付けば外からの声や足音はなくなり、辺りはすっかり静かになっていた。

 もう大丈夫かと思い、私はロッカーの扉に手をかける。


「――まだ、まだ出たらあかん」

「えっ?」


 扉にかけた手をコンはぎゅっと掴み、ゆっくり自分の胸の方へと引き寄せる。


「近くにまだあいつらがおる。やからまだもう少し……じゃなくて、あいつらが離れるまでここを出たらあかんで?」


 そう言ってコンは私の身体をぎゅっと抱きしめる。


「そ、そうなの……? まぁコンが言うんだったら……」


 どうやらコンは耳が良いみたいだし、先程もそれでコンに助けてもらった実績がある。なのでここは素直にコンの言うことを聞いておいた方がいいだろう。

 そう思い、私はもうしばらくそのままでいることにした。


 ……それからどれほどの時間が経っただろう。

 ロッカーの隙間から刺していた夕日はやがて消え、中は完全な暗闇と化している。


「ね、ねぇ……流石にみんなもう帰ったんじゃないかな……?」

「まだや……まだ出たらあかん……」


 コンは私に抱き着いたままずっと離れようとしない。

 ここまでくれば、流石の私も嘘だと分かる。彼女はただ、私に甘えたいだけなのだ。それが素直に言えなくて、こうして嘘をついている。


 しかし、私はこの状況を受け入れることにした。

 彼女が今どんな表情をしているのか暗くてよく分からないけど、頬に伝わる彼女の吐息や、胸の鼓動はとても落ち着いている。それほどこの状況に安心しきっているということだ。


 普段は強い言葉ばかり使うけど、本当は寂しがり屋で甘えん坊なコン。彼女が嘘をつかないと甘えられないというのなら、私はそれに付き合ってあげよう。

 ――だって、私と彼女はもう友達同然なのだから。


 暗くて狭いロッカーの中で身体を密着させて二人きり。誰よりも冷たい言葉を使うコンの身体は、誰よりも温かかった。




#今日の獣人観察日誌「金色こんじき コン」

特技:耳が良い、隠れた獲物を捕らえること

狩り:地球の磁場を利用する


キツネは地球の磁場を感じ取る、いわば第六感とも呼べる能力を持っている。

地球の磁場を感じ取れる動物は他にもいるが、その能力を狩りに利用するのはキツネのみであり、得意の聴覚と合わせることで、雪の下に隠れたネズミを捕らえることもできる。

ただし、磁気感覚が上手く働くのは自分が北か南を向いている時のみで、東か西を向いている時の狩りの成功率は低い。

――地球の磁場を感じ取るなんて、一体どんな感覚なんだろう……?

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