第51話 帰宅

 実家に帰省して二日目の夜。

 自室のベッドに寝転がった俺は、目を瞑っても意識を手放せないまま何度目かの寝返りを打った。

 ……眠れない。十数年過ごした実家の自室で、室温も最適、昼間の墓掃除で身体にも適度に疲労が溜まっている。

 いつもならとっくに眠りについているはずなのに、何故……なんて考える必要すらない。


「はぁ……」


 枕元のスマホで左から二番目の数字が一つ増えたことを確認して、大きな溜め息と共に上体を起こす。


 少し前までは、これが普通だったはずなのにな……どうやらこの二週間足らずで、俺の身も心も彼女なしでは寝ることすらできなくなってしまったらしい。

 昨夜は実家の懐かしさ補正のようなものが効いたおかげで何とか寝付けたが、二日連続となれば話は別のようだ。

 少しでもいいから陽華と話したい、せめて顔だけでも……いや、流石にこんな時間から”寂しくて寝られない”なんて理由で起こすのは忍びない。

 しかし俺たちは明日の昼頃にはここを発たなければならず、コンディションは万全に整えておきたい……のだが、けど、うーーーむ……。


 もう一度、諦観のこもった大きな溜め息を吐き出して、体を倒そうとした……その時。

 コンコン、と。控え目なノックの音が聞こえて、心臓が小さく跳ねる。


 もしかして――期待を抱きながら誰何の言葉をかければ、予想した通りの声が聞こえた。


「こんな時間にごめんね、辰巳くん。もう寝ちゃってたよね……?」

「いや、ちょうど寝られなくて困ってた」


 「どうぞ」と入室を促して、リモコンで常夜灯を点ける。

 オレンジ色の優しい光に陽華の微笑が照らされて、俺の口元にも笑みが浮かんだ。


「来てくれてよかった。陽華には是非責任を取ってもらおうと思ってたんだ」

「責任って?」

「俺を一人で眠れないようにした責任。ほら、こっち」

「ふふ、はぁい」


 冗談っぽくそう言って手招きすると、嬉しそうに笑みを零した陽華が弾んだ足取りでベッドに近付いてきた。

 ベッドの縁に二人並んで腰かけて、傍らに寄り添いながら……そっと囁くように言葉を交わす。


「どうやら私の計画の進捗は、かなり順調みたいだね?」

「計画って?」

「辰巳くんを私がいなきゃ生きていけないようにしちゃおう! って計画!」

「おっそろしいことを考えてるな……少なくとも、胃袋はもう陽華から離れられないな」

「ふふ、やったぁ。なら次は睡眠欲だね?」

「勘弁してくれ。もうすでに夏休みが明けてからが怖いんだ」

「休日ならお泊まりしてもいいでしょ? 平日一緒に居られない分、たっぷりいちゃいちゃしようね」

「嬉しいような、怖いような……」


 肩を寄せ合い、手を繋いで、ぽつりぽつりと取り留めのない言葉を交わし合う穏やかな時間。

 触れ合っている部分から伝わる暖かさで、寂しさが綻んでいき……ゆっくりと意識が薄れていく感覚があった。


「……そろそろ眠くなってきたな。そう言えば、陽華は何の用だったんだ?」


 欠伸を噛み殺しつつ尋ねれば、陽華はとろんと蕩けるような笑みを浮かべて、


「辰巳くんと同じだよ。一人だと寝付けなくて、辰巳くんとお話ししたかったの」

「……そっか」

「えへへ……私も、辰巳くんが居ないとダメになっちゃったのかも?」

「知らない内に返り討ちにしてたか……」


 木乃伊取りが木乃伊になるというやつか。ちょっと違うか?

 ふっと苦笑を零して、ベッドの上に身を投げ出す。一緒に陽華も隣に倒れ込んできたが、特に何か言うことはなかった。

 陽華が俺の部屋に来た時点でほとんど既定路線だ。

 懸念事項があるとすれば、明日の朝に家族の誰かに二人で寝ているところを見られることだが……まぁ、安眠には替えられないだろう。


「おやすみ、陽華」

「おやすみなさい、辰巳くん」


 胸元に額を摺り寄せてくる陽華の背中をそっと抱いて、ゆっくりと瞼を閉じる。

 全身で感じる温かく柔らかい感触に、声を出さずに小さく笑って……俺の意識は、眠りの中へと落ちて行った。




§




「本当にもう帰っちゃうの? 寂しいわねぇ」


 帰省三日目の昼過ぎ。昼食を摂るなり帰り支度を始めた俺と陽華に、義母さんが小さく嘆息した。


「元から二泊三日って言ってあっただろ。お盆休みを全部こっちで過ごさせるわけにもいかないし」

「それはわかってるけどぉ……ね、陽華ちゃん。また気軽に来てね、いつでも歓迎するから!」

「ありがとうございます! また機会があれば!」


 手を取り合って再会を誓う二人を横目にバッグに荷物を詰めていると、とんとんと肩を叩かれた。

 振り返れば、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべた父さんが一冊の本をこちらに差し出して、


「これ、今度出た俺の新刊な。大ファンの辰巳くんのために直筆サインも入れといたから大事にしてくれよな♡」

「要らねぇ……」

「照れんなって! 感想は後でLAINで送ってくれたらいいからよ。あ、ファンレターでもいいぞ?」


 邪険にしても構わず押し付けてくる父さんの圧に屈して、つい受け取ってしまった。……もう一冊持ってる、なんて言おうもんならもっと面倒なことになってそうだな。

 溜め息を吐きつつ本をカバンに押し込む俺を満足そうに見ながら、父さんは感慨深そうに呟いた。


「いやぁしかし、まさかあの辰巳が、彼女さん連れて帰省してくるとはなぁ。しかもとんでもない別嬪さんときたもんだ」

「たぶん俺が一番驚いてるよ」

「ガハハ、まぁそうだろうな! 次の長期休みは冬休みか、クリスマスは陽華さんと過ごすんだろうが、年明けはどうすんだ?」

「まだ何も決まってないな……流石に年末年始は陽華もご家族と過ごすだろうし、俺だけ帰る形になると思う」


 明瀬家は普通に仲のいいご家庭だし、陽華も俺といちゃつきつつ家族で過ごす時間も大切にしている。

 今年、というか来年は優唯の受験もあるし、あまり遊んでられる時間もないだろう。


 そんな俺たちのやり取りが耳に入ったのか、義母さんが意気込んで会話に割り込んできた。


「それなら今度は、私たちの方から辰巳くんの部屋にお邪魔しちゃおうかしら! 優唯のお泊まりの日に私とお父さんもついていく感じで!」

「まぁいいけど……優唯は勉強の方は大丈夫なのか?」

「わたし? 一日や二日ぐらいなら別に? この前の模試も判定いい感じだったし。あ、せっかく行くなら久しぶりに兄さんの料理も食べたいなぁ」

「確かに今回の帰省中は機会がなかったものね。私も食べたいわ」

「陽華さんの料理もめちゃくちゃ美味かったからなぁ……そんな陽華ちゃんに二か月も師事してるんだ、さぞ美味いんだろうなぁ」

「ふふっ、自慢の一番弟子です♪ たっぷり仕込んでおきましたから、期待していてくださいね!」


 無駄にハードルを上げるんじゃねぇ……! 確かに多少はできるようになったが、陽華と比べればまだまだだ。

 「あまり期待しすぎるなよ」と釘を刺しておいて、スマホで時間を確認する。乗車予定のバスが来るのはもう少し先だが、早く出発しておくに越したことはないだろう。


「陽華、そろそろ」

「うん、わかった」


 女性陣で談笑している陽華に声を掛け、荷物を担いで立ち上がる。

 玄関口まで見送りに来てくれた三人に向き直り、陽華が丁寧に頭を下げて、


「申太郎さん、菜月さん、優唯ちゃん。三日間お世話になりました、本当に楽しかったです!」

「楽しんでくれたなら何よりだ。辰巳は図体ばかりデカくて口下手だが、実直なやつだ。よろしくしてやってくれ」

「こちらこそ、直接お話しできて嬉しかったわ! これからも辰巳くんと、優唯のことをよろしくね」

「陽華さん、来てくれてありがとうございました! またLAINでお話ししましょうね」


 和やかに別れの挨拶を交わす陽華と三人を眺めて、ひっそりと安堵の息を漏らした。

 父さんたちと陽華の人柄からそこまで心配していたわけではないが、やはり無事に打ち解けてくれると嬉しいものだ。前に俺が明瀬家にお邪魔した時の陽華も、同じ気持ちだったのかもしれないな。

 一人ほっこりとした気分に浸る俺に、父さんがにやりと口角を上げて、


「お前もぼーっとしてねぇで、陽華さんに愛想尽かされんように気張れよー。参考になる本でも貸してやろうか?」

「要らねぇよ、どうせ父さんの趣味の恋愛小説だろ……俺たちには俺たちなりの付き合い方があるんだよ」

「付き合って二か月が大きな口叩くじゃねぇか。それと残念だったな、貸すのは俺じゃなくて母さんの趣味の本だ」


 あんまり変わらないだろ、とツッコもうとした矢先に父さんの脇腹に鋭い肘が突き刺さった。

 むせる父さんを放って、その下手人たる義母さんは穏やかな笑みを浮かべて、


「久しぶりに会えて、成長した様子を見れて嬉しかったわ。体に気を付けて、陽華ちゃんと仲良くね」

「あぁ、わかった。母さんも仕事は大変だろうけど、気を付けて」

「兄さん、陽華さんに迷惑かけないようにね! 勉強も、あとそろそろ体育祭でしょ? そっちも頑張ってね」

「言われなくても、だ。優唯も受験勉強頑張れよ」


 うげぇ、と露骨に嫌そうな表情を見せる優唯に思わず笑う。

 高校受験までおよそ半年、同じ塾に通っていると言う井波と一緒に、最後まで走り抜けてほしいところだ。何様だという話だが。


 一通りの挨拶を終え……笑顔で手を振る三人に見送られながら、俺たちは柳田家を後にした。

 最後まで振り返って楽しそうに手を振り返していた陽華は、明るい笑顔のまま俺の手を取った。


「辰巳くん、連れてきてくれてありがとう! すっごく楽しかった!」

「そうか……それならよかった」

「菜月さん、すごく優しい人だったけど、メリハリがしっかりした大人の女性って感じでカッコよかったね。私も菜月さんみたいになりたいなって思ったよ」

「確かに、香陽さんとは結構違うタイプだな」

「うんうん! それに申太郎さんも、飄々としてるって言うのかな。冗談が上手くて、余裕のある振る舞いで……ふふ、辰巳くんとはあんまり似てなかったかも?」

「昔から顔は父親似で、性格は母親似だって言われてたよ。……まぁ、いい感じに打ち解けられたみたいで安心したよ」

「私もほっとしたよ! 優唯ちゃんとも久しぶりに直接話せたし。ふふっ、井波くんとのこれからが楽しみだね♪」

「あんまりツッコまないでやってくれな……」


 愛おしそうに思い出を振り返る陽華の暖かい笑顔に、俺も笑みを返す。

 そうして、陽華と二人での柳田家への帰省は幕を閉じたのだった。


──────

 投稿が滞り申し訳ありません。

 カドカワBOOKS10周年記念長編コンテストで中間選考を突破していました。応援ありがとうございます。


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