第48話 柳田家②
「おー、おかえり母さん。お盆直前に大変だなぁ」
「ただいまお父さん。ほんとよ、私だってみんなと陽華さんを出迎えたかったのに……印刷所側の都合とは言え、お盆跨ぐとそれはそれで面倒になるしね」
父さんがかけた労いの言葉にくたびれた様子で答える母さん。
二人の会話を聞いて、陽華が小さく首を傾げた。
「印刷所、って……菜月さんのお仕事って」
「お母さんは出版社の編集さんなんです。ついでに、お義父さんの担当編集でもあるんですよ!」
「へぇ~! もしかして、ご両親が出会ったのもその縁だったり?」
「みたいですね。私はあんまり詳しく聞いたことないけど……兄さんはどう?」
「俺もそこまで聞いてるわけじゃないが、まぁ……二人が再婚する前から、義母さんには何度か会ったことがあったな」
得意げに胸を張る優唯と俺の補足に、陽華は感心したような声を上げた。
一方で父さんは苦みの走った笑みを浮かべて、小さく頭を振る。
「いやぁ、そんないいもんでもないけどな。家庭でも仕事を切り離せないと言うか、〆切が実体を持って迫ってくると言うか……」
「私は打ち合わせがやりやすくていいけどね。ちゃんと〆切を守ってくれれば何も言わないわよ。次の作品も、そろそろプロット作りに取り掛かってほしいんだけど?」
「あーあー聞こえなーい。お盆ぐらい仕事の話は辞めにしようぜ。それに、ちょうど今お客さんからネタ集めをしてたところさ」
そう言って、バチンとウインクを送ってくる父さん。ヘタクソにもほどがあるウインクだ。
それと同じぐらい下手な話題の切り替え方だったが、元々陽華と話したくて仕方がなかった義母さんにとっては、効果覿面のようだ。
「へぇ、いいじゃない! 私も色々と話を聞きたいわ。まずは二人の馴れ初めからかしら」
「あー……」
露骨に期待の視線を向けてくる母さんに、思わず言い淀んでしまう。
最近ではもはや忘れかけていたが、俺と陽華の出会いはそれなり以上に劇的なもので……家族とは言え、他人に話すのは中々に憚られる内容だ。
事情を知っている優唯も少し不安そうな表情を浮かべて、そんな俺たちの様子を見た父さんと義母さんも何かを察したようだった。
「陽華さん、言いにくいようなら……」
「――お気遣いありがとうございます。でも、大丈夫です」
俺たちの心配とは裏腹に……真っ直ぐ前を見据える陽華の表情は、静かに凪いでいた。
「……陽華」
零れ落ちた呟きに返ってきたのは、穏やかな笑みと、そっと手に触れる暖かな感触。
その視線に恐怖や不安の色はなく、確かな決意と揺るぎない信頼が込められていた。
……知らずの内に強張っていた身体が、ゆっくりと解けていくのを感じる。俺にできるのは、その決意に寄り添うことだけなのだから。
――そうして陽華は、落ち着いた声でゆっくりと語り出した。
六月のあの日――夕暮れの校舎裏での出会いから、互いの過去を分かち合って、少しずつ絆を深め……結ばれるに至った、その一部始終。
どれも飾り気のない言葉で、それでいて丁寧に紡がれていくその語り口には、彼女らしい誠実さが滲んでいた。
……前に優唯に話した時は秘められていた、陽華の赤裸々な心情も綴られていて、つい赤面してしまったのは置いておく。
おいやめろ優唯、そんな目で見るんじゃない。真面目な話をしてるんだからちゃんと聞きなさい。
視線だけでやり合う俺たちに優しく表情を緩めつつ、陽華は一度も言葉を詰まらせることなく、最後まで語り終えた。
「――それが、私と辰巳くんの出会いから今までの話です」
彼女がそう締め括って、居間に静寂が訪れる。
気まずさや緊張ではなく、どこか暖かい雰囲気の静寂を打ち破ったのは……ずび、と小さく鼻を啜る音だった。
卓上のティッシュに手を伸ばしながら、音の発生源の義母さんが口を開く。
「ごめんなさいね、年を取るとどうにも涙脆くなって……ぐす。言い辛い話だったでしょうに、話してくれて本当にありがとう、陽華さん」
「いいえ、私はもう乗り越えましたから……辰巳くんが、居てくれたから」
頬を赤く染めて幸せそうに呟く陽華に……その笑顔を直視できず、つい視線を逸らしてしまう。
逸らした先で父さんと目が合って身構えてしまったが、予想に反して揶揄われたりはしなかった。
「よくやったな、辰巳。俺はお前を自慢に思うぜ」
「……そりゃどうも」
いつも軽薄な態度の父さんに正面から称賛されると、どうにもむず痒い。
……だから優唯、いい加減その生暖かい目をやめろ。そろそろ手が出るぞ。
俺たちが無言のやり取りを繰り広げるのを他所に、余程感動したのかティッシュを取る手が止まらない義母さんが、しみじみと頷いて、
「辰巳くんも陽華さんも、本当によかったわね……。当事者の二人にとっては複雑かもしれないけど、まるで小説みたいな話で……ぐすっ、おばさんすごく感動しちゃった」
「そんなことないです。自分でもたまに、夢みたいな話だなぁって思っちゃって……その度に、傍に居てくれる辰巳くんの存在を感じて、幸せな気持ちになるんです」
「はぁ~……やだ、涙が止まらなくなっちゃいそう……! 月並みだけど、お互いがお互いにとって運命の人だったのね!」
……物凄く居心地が悪い。流石に物言いが大袈裟すぎやしないだろうか。
いや、何も俺と陽華の出会いに運命的なものを感じないというわけではなく、ただ全てをその言葉で片付けてしまうのは如何なものかと……誰に言い訳してるんだ俺は。
身悶えする俺を見る父さんの目は、実に楽しげだ。色々見透かされている気がする……ジト目を向けるも、目元を拭うふりでふいっと視線を逸らされてしまう。
「過去に傷を抱えた少年少女が惹かれ合い、共に困難を乗り越えて、遂に結ばれる……実に感動的な話だな。おかげで創作意欲がぐんぐん湧いてくるぜ」
「おい、まさか本当に息子の恋愛をモデルにするつもりかよ」
「流石にそこまで非常識じゃねぇつもりだよ。まぁ、多少参考にさせてもらうつもりではあるが」
「……一応検閲はさせてもらおうか」
「もちろんいいぞ。むしろクオリティアップに協力してくれるなら有難い限りだ。陽華さんと一緒に、是非忌憚なき意見を聞かせてくれ」
「はい、是非!」
「…………」
上機嫌に頷く陽華の横で、仕方なく俺も渋い顔で曖昧に首肯する。
……正直読むのが怖いが、かと言ってそのまま通すのも怖い。父さんの良心や倫理観を信用していないわけではないものの、俺の羞恥心などはまた別の話だ。
その後も座卓を囲んでの歓談は、和やかな雰囲気のまま進行していく。
基本的に義母さんと優唯が質問をして、陽華がそれに回答して俺が細部に補足を加え、父さんがそのやり取りを聞きながらたまに質問をする形だ。
根掘り葉掘りと言っていいほどにあれこれと聞かれ、心身ともに疲弊させられた俺とは対照的に、陽華含む女性陣はずっと楽しそうに口を動かしている。
大切な彼女と家族が無事に打ち解けていることを喜ぶべきか、不安に思うべきか……陽華と優唯が初めて顔を合わせた時も、似たようなことを考えた気がするな。
父さんが何やら共感の眼差しを向けてくる。勝手に肩を組んでくるな、あんたも悩みの種の一つだよ。
そんな内心の恨み節が通じたわけでもなかろうが、徐に立ち上がった父さんが優しく声をかけた。
「……さて。もういい時間だし、いったん解散にしようか。二人とも荷解きはまだ終わってないだろ。辰巳はついでに家中の案内もしてあげな」
「わかった」
父さんの指示に従って腰を上げれば、時間を確認した母さんが「あら」と驚いたような声を漏らす。
「もうこんな時間……すっかり話し込んじゃったわね。ごめんなさいね、陽華さん」
「いえいえ、私も楽しかったです! また沢山お話ししましょう、もちろん優唯ちゃんと申太郎さんも一緒に!」
「やった! せっかくのお泊まりなんだし、いっぱいおしゃべりしましょうね」
「俺も仲間に入れてくれるなんて、嬉しいねぇ。こちらこそ、是非ネタ集めにご協力いただきたいところだ」
折り目正しく一礼する陽華を連れて、居間を退出して二階の方へ向かう。
その道中でトイレや風呂場の位置を伝えて、これから彼女に寝泊まりしてもらう客間に着いたところで、陽華が小さく溜め息を吐いた。
……いくら吹っ切れたと口にしていても、好き好んで掘り起こしたい思い出ではない。義母さんたちが重苦しい雰囲気にならないようにしてくれたとは言え、彼女の精神的な疲労感は想像以上のものだろう。
「疲れたなら、荷解きや案内は後にして少し休むか」
「んー……確かにちょっと、疲れたかも。最初からご両親にはお話ししておくつもりで、覚悟を決めてきたんだけどね……」
「……ありがとう、陽華」
彼女の決意と覚悟に、心底からの敬意をこめて感謝を伝える。
明瀬陽華という少女は、俺にとっていつだって最愛の女性であり、憧れの人でもあるのだ。
陽華は少しだけ首を傾げて、ふっと悪戯めいた笑みを浮かべた。
「ねぇ、辰巳くん。ちょっとこっち、座って?」
「ん? あぁ」
言われるままに壁際へ腰を下ろすと、足の間に体を滑り込ませるように後ろ向きに座り込んできた。
驚きつつも反射的に腕を上げて……がしっ、とその腕が掴まれ、ジェットコースターの固定具さながらに陽華の体の前で組み合わされる。
どうやら、お疲れのお姫様は所謂あすなろ抱きをご所望らしい。
腕に込める力を少しだけ強めて幅を狭めれば、満足そうな吐息が零れた。お気に召していただけたようだ。
「お嬢様、次はどのようにすればよろしいでしょうか?」
「ふふ、なぁにその喋り方? ……じゃあ、頭も撫でてもらおうかな。抱き締めたまま、優しくね?」
「仰せのままに。……こんな感じで、如何でしょう」
「ん♪ 苦しゅうない!」
きめ細やかな亜麻色の髪を優しく撫でながら、おどけたように尋ねてみれば、同じく芝居がかった口調で返ってくる。
……意外と楽しいな、これ。陽華もご満悦のようだし、たまにしてみるのもいいかもな。
日常的にやるのは俺のメンタルが持たないし、新鮮味が薄れて微妙だろうし。
「むぅ。辰巳くん、なでなでが疎かになっていましてよ?」
「おっと……申し訳ありません、お嬢様。すぐに奉仕に戻らせていただきます」
考え事をしていたら怒られてしまった。これでは使用人失格だ……使用人じゃないが。
しばらく腕を動かし続けていると、陽華の体の力がどんどん抜けていくのを感じる。それに伴って密着度も上がっていくが、内心の葛藤を蹴り飛ばして必死で無心を保つ。
「ん……」
「っ」
そんな俺の内心を知る由もなく、徐に陽華の顔がこちらを振り向いた。
僅かに赤らんだ頬と、とろんと蕩けた表情に、心臓が大きく跳ねる。
艶やかな唇が微かに戦慄いて、じっとこちらを見つめる瞳に……何かを懇願するような切実な輝きを、垣間見てしまった。
気付けば、髪を梳いていた手が彼女の滑らかな頬をそっと撫でていた。
陽華もその手を拒む様子はなく、むしろ手の平に頬を擦り付けて――こみ上げてくる堪らない感覚に、ごくりと喉が鳴る。
頬から口元へ、口元から顎の方へ。細い頤に添えた手を少しだけ傾けながら、ゆっくりと顔を近付け「陽華さーん、お母さんから食べられない食べ物とかないか、って、ぇ……!?」
ドタバタ、と。素っ頓狂な声と慌ただしい足音が聞こえて、俺たちは揃って飛び跳ねた。
「ゆ、優唯ちゃん!? え、えっと……アレルギーとか、好き嫌いとかもないから! だ、大丈夫です……!」
「わ、わかりました、伝えておきます……。それと、あの……そういうことをするなら、できれば戸を閉めてもらえると、いいかなぁ……って」
「そうだよね! ご、ごめんね、変なもの見せちゃって……!」
「……すまん、優唯。以後気を付ける」
「だ、大丈夫です! 恋人同士だし、そういうこともしますよね……ご飯ができたら呼びに来るので、ごゆっくり~……!」
戸の影に身を隠したまま、終ぞ最初以外一度も顔を見せることなく立ち去っていく優唯を見送って……俺たちは顔を見合わせた。
「……とりあえず、荷解きするか」
「……そうだね」
まず最初にやるべきなのは……戸は閉めることだな。
§
その日の夕食は、義母さんと優唯が作ってくれた。
彩り豊かな料理が並べられた食卓は、終始笑い声と歓声に溢れた、和やかで和気藹々としたものだった。
父さんが調子に乗って昔話を始めれば、義母さんが軽妙なツッコミを入れ、それに優唯と陽華が笑う。結局一番口数が少なかったのは俺だったかもしれない。
そして夜。
風呂を済ませ、懐かしい匂いのする自室に戻る。
数か月ぶりに自分のベッドへ身を沈めると、ほっとしたような、それでいて少し落ち着かないような、不思議な感覚に包まれた。
天井を見上げて目を閉じても、なかなか眠気が訪れない。
原因をぼんやりと探っているうちに、思い当たるものがあった。
――そういえばここ最近はずっと、寝る時に陽華を抱き締めていたんだった。
その事実に気づいた瞬間、思わず苦笑が漏れる。
たった二週間程度で、もはや生活に支障を来たすレベルで俺の体は彼女に依存していたらしい。
小さく息をついて目を閉じると、心の奥で陽華の声が微かに響いた気がした。
「重症だな、こりゃ」
寝つきは最悪に近いが、無理やりにでも眠らなければならない。
何故なら明日は――陽華と二人で、母さんの墓参りに行くのだから。
──────
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