第3話

それから、僕とそらちゃんの奇妙な文通相談は、放課後の公園での日課になった。僕たちはベンチに並んで座り、ああでもない、こうでもないと頭を捻る。


「おばあちゃん、元気ですか、は普通すぎるかなあ」

「じゃあ、『お空は青いですか?』はどう?こっちの空は、いつも青いよって」

「それ、詩みたいで素敵!」


そらちゃんは、僕が提案する言葉の一つ一つに、花が咲くように笑った。彼女の笑顔を見るたびに、僕の心の中の固い氷が、少しずつ溶けていくような気がした。言葉は、誰かを傷つけるためだけにあるんじゃない。誰かを笑顔にするために、繋がるためにあるんだ。そんな当たり前のことを、僕は思い出しかけていた。


ある日のこと、僕たちは月詠堂を訪れていた。手紙に使う便箋を、そらちゃんが自分で選びたいと言い出したからだ。


「わあ、きれい……」


そらちゃんは、色とりどりの便箋が並ぶ棚の前で、目を輝かせている。その姿を微笑ましく眺めていると、カウンターの奥から志筑さんが顔を出した。


「インクは、どれにするんだい?」


「え、インク?」


僕が聞き返すと、志筑さんは悪戯っぽく片目をつぶって、カウンターの下から一つの小さな箱を取り出した。箱の中には、いくつものインク瓶が宝石のように並んでいる。


「これは、うちの特製でね。普通のインクとは、少し違うんだ」


志筑さんが一つの小瓶を手に取り、蓋を開けた。中には、夜空のように深い藍色の液体が入っている。彼はガラスペンの先をそっと浸し、試し書き用の紙の上でさらさらと文字を書いた。


『星に願いを』


インクが乾くにつれて、信じられないことが起きた。藍色の文字の中に、まるで天の川を散りばめたように、細かな銀色の粒子がきらきらと輝き始めたのだ。


「すごい……!星屑みたい!」


そらちゃんが歓声を上げる。僕も、その幻想的な美しさに言葉を失った。


「星屑のインク、と呼んでいる。書いた人の想いが強いほど、よく光るらしい」


志筑さんはそう言って、優しく微笑んだ。もちろん、ただのラメ入りインクなのだろう。けれど、彼の言葉は、そのインクに魔法をかけているようだった。


「これにする!このインクで、おばあちゃんにお手紙書く!」


そらちゃんは目を輝かせて即決した。僕たちは、淡いクリーム色の便箋と、星屑のインクを買って店を出た。ホシマルが、店の戸口で僕たちのことを見送りながら、にゃあ、と短く鳴いた。それはまるで、頑張れ、と応援してくれているようだった。


公園のベンチに戻り、早速買いたての便箋を広げる。そらちゃんは少し緊張した面持ちで、僕からガラスペンを受け取った。


「大丈夫。そらちゃんの言葉で、ゆっくり書けばいいんだ」


僕は彼女の背中を優しくさすった。そらちゃんはこくりと頷き、ガラスペンの先に、星屑のインクを慎重につける。そして、便箋の上に、ゆっくりとペン先を下ろした。


最初に書かれたのは、僕たちが一緒に考えた、あの言葉だった。


『おばあちゃんへ。こっちの空は、今日もとっても青いです』


その文字は、今まで見たどんな文字よりも、力強く、そして優しく輝いているように見えた。


手紙は、それから一週間かけて完成した。僕たちは毎日少しずつ言葉を紡ぎ、便箋を埋めていった。町の様子、新しくできた友達のこと、そして、おばあちゃんに会いたいという素直な気持ち。完成した手紙を二人で読み返した時、僕の胸は温かいもので満たされていた。


「できたね」

「うん!海斗さん、ありがとう!」


そらちゃんは満面の笑みで僕を見上げた。その笑顔が、僕にとって何よりの報酬だった。


週末、僕たちは一緒に郵便ポストへ向かった。そらちゃんは、大切な宝物を扱うように封筒を両手で持ち、少し背伸びをしてポストに投函した。カタン、という軽い音が、僕たちの冒険の終わりと、新しい始まりを告げているようだった。


「届くといいね」

「うん、きっと届くよ」


僕たちは顔を見合わせて笑った。夕焼けが、僕たちの影を長く伸ばしている。もう、僕は俯いて歩いてはいなかった。隣で僕の服の裾をぎゅっと握る、小さな友人の温もりを感じながら、僕はまっすぐ前を向いていた。

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