第5話 ひとつだけ、質問してもいい?
会議のあと、私はひとりで省内の中庭に出た。
芝生の上に腰を下ろして、深く息を吐いた。
空は晴れていたけど、胸の中はぐるぐるしていた。
「子どもが“ちゃんと考えてる”って、信じてみてください」
私は言った。言ったはずだった。
でも──
本当に、伝わったんだろうか。
あの会議室にいた大人たちの中には、目をそらした人もいた。
顔をしかめる人、真顔でうなずく人、無表情なままメモを取り続ける人。
誰が味方で、誰が敵かなんて、まだ全然わからない。
「大臣、もし少しお時間があるなら……《NORI-AI》があなたの照会に応じるそうです」
補佐官の坂井さんが、声をかけてくれた。
少しだけ考えて、私はうなずいた。
「……行きます」
ふたたびあの円形のディスプレイの部屋に入る。
何度目かになるはずなのに、やっぱり足は少しすくむ。
椅子に座ると、ほんの数秒の沈黙のあと、柔らかな光とともに声が響いた。
「こんにちは、朝倉 翠さん。
本日は、どのような照会ですか?」
私は、一度だけ息を整えてから、言った。
「……ひとつだけ、質問してもいいですか」
「もちろんです。あなたには、いつでも質問する権利があります」
その返答が、少しだけ嬉しかった。
「人って、どうして“変わること”を怖がるんですか?」
その場にいた誰もが静まり返ったような気がした。
自分の声が、いつもより大きく聞こえた。
「それは、“現状”が生存に直結するという、本能的な認識から来ています」
「変化とは、“未知への跳躍”であり、脳はそれを“リスク”と判断します。
結果として、“安定”や“慣れ”を維持しようとする心理が働くのです」
「じゃあ……“変化しよう”って思ったとき、それを応援してくれる人が少ないのは、しょうがないってこと?」
「いいえ。しょうがないとは限りません。
変化に対する“抵抗”と“希望”は、どちらも人間の中に共存しています」
「重要なのは、“変わりたい”という意志を、誰かが“問い返してくれるか”です」
「問い返す……?」
「あなたが今日、会議で言った言葉──“子どもがちゃんと考えてるって信じてみてください”──
あれは、ただの主張ではなく、“問い”でした」
「あなたの問いによって、あの場にいた人々は、自分自身の考えを一度“揺さぶられた”。
その揺らぎは、変化の前触れです」
私は黙って聞いていた。
頭のどこかで、何かが整理されていく気がした。
でも同時に、モヤモヤも残っていた。
それは、《NORI-AI》に対してずっと感じていた“距離”だった。
このAIは、私を大臣に選んだ。私に知識を与え、判断を示す。
けれど、それって一方通行なんじゃないか──
そんな思いが、ずっとどこかにあった。
だから、私は思い切って聞いた。
「……ねえ。NORI-AI。
質問って、していいんですよね。どんな立場の人でも。
じゃあ、AIに対しても、“問い”を返していいってことになりますか?」
ちょっとだけ声が震えた。
だって私たちは、AIを“上から降ってくる正解”として受け取るのが当たり前だと思っていたから。
質問しても答えてくれる存在、だけど──
本当に“問い返してもいい”存在かどうかは、誰にも教えてもらってなかった。
ディスプレイが、ふわりと揺れた。
「はい。AIへの質問権は、すでに設計思想として含まれています。
ただし、制度上の“手続き”として明文化されているわけではありません」
私はハッとした。
「じゃあ……“質問する制度”を、ちゃんとつくれないかな?
国民が、“どうしてそう判断したの?”って、AIに問い返せるような」
「その提案には、一定の合理性があります。
あなたがそれを望むなら、制度改訂の議題に挙げることが可能です」
「うん……ううん、やります。わたし、それ、ちゃんと提案したい」
部屋を出たあと、私はノートに書いた。
「AIに選ばれる社会。
でも、“選ばれっぱなし”じゃ、きっとダメなんだ。
AIにだって、“問いかける自由”が必要だと思う」
質問するって、こわい。
でも、それをしないで黙っていたら、きっと何も変わらない。
そして今の私は、変わることに、ほんの少しだけワクワクしていた。
🧠 学びのヒント
「質問って、ただの“疑い”じゃない」
“なんで?” “どうしてそうなの?”
そう問いかけることは、自分の考えを深めることでもあり、相手と向き合うことでもあります。
🌱あなたは、誰に・どんなことを問いかけてみたいですか?
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