第7話 それでも貴方に触れたくて
私は、火野の言葉を思い出す度に体のどこかが熱を帯びた。何故か、頭では拒絶しているのに心がそれを待っている。そんな矛盾が一番厄介で困っている。
「私ったら、ほんとに雪女なのかね……」
深夜、冷房と扇風機のダブル使いの部屋で私は再び氷枕にくるまりながら独白する。好きになると溶けてしまう体。相手に近づくと、心が焦げてしまいそうになる感情。
これはまさしく体が拒絶しているのに、心が従っている恋の最悪なパターンだ。『あの人の温度、ほんとに、人間のものなのかな……』って常に感じる。
寝返りを打った拍子に、氷枕が落ちてバシャッと水音がする。それでも、心のざわめきは冷えない。むしろ、ますます火照っていく気がした。そして、翌朝。出社すると、何やら部署内がざわついていた。
「なんか、火野さんの机が焦げてたらしいよ」
「うそ、あの書類、端が黒くなってたって」
「え、火野くん火属性なの?」
軽口を叩く同僚達の会話の奥に、私はひとつの確信を見つける。『火野翔真は、やっぱりただの人間じゃない』ってね。そしてその時だった。背後から声がした。
「ユキさん、ちょっと話そうか」
川口くんだ。相変わらずの無表情だけど、その目には静かな焦りがあった。そして、屋上。風は涼しかった。けれど、何故か川口くんの口調は重たかった。
「昨日の夜、調べたんだ。火野翔真って、たぶん人間じゃない」
「やっぱり……」
「いや、正確には半人。人間と炎系の妖異だと思うんだ。たとえば『火女』との混血だと思う」
「……火女?」
「存在としては、雪女と対のようなものだよ。人を熱で魅了し、近づく者の感情を煽る存在」
私は、昨日の記憶を思い返す。あの時の彼の手は、確かに私の冷気すら跳ね返す熱を持っていたのだ。でも、やっぱり近づかない方がいいのかもしれない。その時、川口くんが少しだけ目を伏せて言った。
「君の冷気は、相手を凍らせる事もある。でも、火野みたいな存在なら、逆に君の力を制御できるかもしれない」
「せ、制御……?」
「つまり、君がそばにいる事で、あいつの火が暴走しない。逆にあいつの火が君の冷気をやわらげる可能性がある」
それは、まるで氷と炎のバランス。でもそれって、つまり共にいる事が互いの命綱になるという事だ。そんなの、恋としてあまりにも重たすぎるじゃん。
「私、怖いよ。だって、私のせいで誰かが傷ついたらと思うと……」
「それでも、誰かと一緒にいたいなら、ユキさん。覚悟、決めるしかないよ」
その夜、私は珍しくお風呂でのぼせる事はなかった。心がざわついていたせいで、体が冷える事もなかったのだと思う。湯船の中で火野翔真の顔が何度も浮かんでは湯気の中に消えていった。
彼は、炎の血を引いている。私と真逆の存在である。でも、だからこそ惹かれるのだろうか。だって、今日はいつも以上に彼の顔が浮かんで来てどうしようも出来なかった。
それから、翌朝。出社しても火野とはなかなか目が合わなかった。たぶん、昨日の私の反応に気を遣っているのだろう。だけど、それが逆に苦しかった。遠ざかるたびに、心の中で氷が軋む音がした。
そして、昼休み。私は、決意して彼の席へと足を運んだ。だけど、自分の鼓動がうるさいし息も荒くなる。それに、手足が冷たくなっているのに胸の奥だけが熱かった。
「火野さん、ちょっと……。いいですか?」
彼は、少し驚いたような顔をしてから優しく笑ってくれた。もちろん、話す場所は屋上のベンチだ。ここは、いつも正直になれる場所。こんな私を人として居らせてくれる。
「あ、あの、昨日は……。ごめんなさい。ちょっと、怖くなって」
「ううん。無理させちゃったよね」
私は、深く息を吐いてから言葉を選んだ。胸の奥にある思いを緊張と共に口から流した。
「貴方の熱が怖いんです。私、体が冷えてて。貴方に近づくと、どうしてもバランスを崩す」
火野は黙って聞いていた。でも、その顔は責めるでもなく、哀しげでもなく……。ただ、まっすぐだった。
「でも……。それでも、あなたに触れたいと思ってしまう自分もいて……」
私は、膝の上で握った手を見つめた。頭によぎった言葉を口にするのが怖かった。でも、続ける事にした。『火野さんは、火女の血を引いてるんですよね?』って。そして、沈黙が数秒続いた後に火野は小さく頷いた。
「うん。母親がそうだった。子供の頃から、いつも熱すぎるって言われててさ。物に触ると焦げるし動物に触ると嫌がられる。そして、恋人に触れたらフラれた」
彼は、冗談のように言ったけれど、その瞳はどこか切なげだった。だけど、どうしてか彼の気持ちが伝わって来る。だって、私も似たような事があったから……。
「だから、君に出会った時、びっくりしたよ。冷たくて、気持ちよくて……。初めて、自分でいられるって感じた」
私の目に、熱いものがこみ上げた。これは、体の反応じゃない。心からの涙だと感じた。初めての出会いと言葉に慣れない感情が私の心を支配している。
「じゃあ、少しだけ……。手、つないでもいいですか?」
私は、震える指を差し出した。火野は一瞬戸惑ったあと、その手をゆっくりと包み込んだ。ジリジリっと、小さく音がした。でも、不思議と熱くなかった。むしろ、ちょうどいい温度だった。私の冷気と、彼の熱が、重なり合って均衡を保っていた。
「うわぁ。あったかい」
「うん。君もね」
私達は、しばらくそのまま手を繋いでいた。言葉はなくても、伝わるものがあった。違う温度を持つ二人が、ようやく触れられた瞬間。それは、恋の始まりにして一番大切な一歩だった。
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