第19話 おちゃめじじい

「このあとは、どちらに行かれる予定で?」


女将さんがにこやかに微笑みながら瑠璃子の皿を下げていく。




「黄金峰のふもとの温泉に浸かって、そのあとはロープウェイで山頂まで行って…天国崖を観に行くつもりです。」




「天国崖か。あそこは、いいよ。俳句なんかでも詠まれてるんだから。えっと、たしか――」


店主が口を開いた。




――天つ風 春眠破りし 神の眼




「…だったかな。」




瑠璃子の脳裏に、情景が浮かぶ。




夜の名残を僅かに残した稜線に、突如として強風が吹き抜け、雲の切れ目から朝日が差し込む。




大地が目覚めたかのように、静寂が風に破られ、光が世界を貫く。




あたかも旅人は神に見られているかのように錯覚するのだろう。






(…美しい。)


うっとりと息をのむ。


まさしく彼女の最期を飾るのに相応しい場だ。


  


できることなら、あの句を超える辞世の句を詠みたいものである。


 


(しかし、私の記憶にはかのような句はない。)


瑠璃子は小首をかしげた。


無学なだけかもしれないが、どうも気になった。




「…その句を詠んだのは誰なのでしょうか?」


さぞ有名な歌人の名が出ると期待して店主に尋ねる。






「……」




「…おれだよ。今、咄嗟に詠んだだけ。」




「どう…?」




やや間を置いたのち、照れくさそうに答える店主。




「はぁ……」




瑠璃子が口をぽかんとしていると、


店主は気まずそうに視線を反らして、頭をかいた。




「おぉ!すごいや店主さん、永世名人だね!!」


雲雀が届くことのない大げさな賛美を言う。




「もぅ、やぁだね、この人ったら!!」


女将さんが呆れたように目を細めると、


とうとう店主は厨房の奥に引っ込んでしまった。




案外、可愛らしい人なのかもしれない。


瑠璃子はそう思った。




「天国崖は景色もきれいだし、最近は簡単にロープウェイで行けるから良いわよぉ。」




そう言っていた女将さんの顔が、陰った。




「ただね…」


声の調子が僅かに落ちる。




「…最近は自殺の名所なんて呼ばれちゃって、まったく迷惑な話よねぇ。」




「わざわざ遠くから足を運んでくる人もいるみたいだし…。死体の後始末にも税金が使われるんだから、少しは考えてほしいわぁ。」




「……」


瑠璃子はまつ毛を伏せ、視線を落とした。




「ごめんなさいね、暗い話しちゃって!!」




それを察した女将さんがすぐに明るい声をつくる。




「やっぱり、人間布団の上で死ぬのが一番よ!!」








世間話もほどほどにして、


お会計を済ませ店を出ることにした。 




「じゃあ、天国岳からの景色しっかり!!見てきてね!」




「あんまり景色がきれいだからって、うちのひとみたいに『えぇ~ここで、一句』なんて詠んじゃだめだからね!」




女将さんがおどけた調子で笑う。




「あははは……」


他ならぬ瑠璃子の最終目的だ。




「いいじゃねぇか!旅の恥はかき捨てって言うだろっ!!」




「お嬢ちゃん、永世名人になってこいよ!!」


店主が力強く背中を押してくれる。




「すっごくおいしかったです。ごちそうさまでした。」


瑠璃子は会計を済ませ、店を出ようとする。




「また来てね」


女将さんがにっこりと微笑んだ。




「…」


瑠璃子は曖昧に微笑み、軽く会釈して店を後にした。






---




「良い店だったね!僕も食べてみたかったな〜」




「女将さんたちにも、また合いたいね!」


雲雀は機嫌よくふよふよと瑠璃子の後をついてくる。




「…あぁ。」


瑠璃子の脳裏に今別れたばかりの二人の顔が浮かぶ。


――もう、この先会うことはないのだろうか。


少し寂しさが胸をよぎった。




バス停を目指して歩く。


知らない街を歩くのは面白いものである。


こういったことも旅の楽しみのひとつだ。




火ノ宮という名前のとおりこの地には火災が多い。


乾燥、強風、高温。




「…暑い。」


少し歩いただけでもTシャツの脇が肌にぴったり張り付いた。




周りを見渡すと、


古い街なので昔ながらの造りの家があちこちにある。 




古い家は木造建築だ。


木材の耐性を高めるため、火ノ宮塗りという伝統的な技法が施されている。




やや黄色に近い茶色、光りの当たり方によれば金色に見えなくもない。




「…なるほど。エルドラドとはよく言ったものだな。」


黄金郷エルドラドとは少々大げさだが、この地を見たスペイン人がそう言ったのも分からなくはない。




真剣に街の民家を観察する瑠璃子に対して雲雀は謎の歌を口ずさんでいた。




「さざれをこえ〜ひの〜くにへ〜♫」




「うるさい。」




「いいじゃん!るりちゃんの他に、誰にも届かないんだから!!」




「特別に美声を届けてやろうと思ったのに!!」




顔をトマトのように真っ赤にして畳みかけてくる。


幽霊とは青白いものではないのか。




「…プッ」


その様子に、瑠璃子は思わず吹き出してしまう。


ここ最近、初めて笑った。






---




バス停につくと、


既に数名がバスを待っていた。




(…うわ)


その内のひとりに瑠璃子は目がいった。


明らかに天然記念物である。




「…ギャルだね。」


声を潜める雲雀。


どうやらその存在にビビっているらしい。  




枝毛だらけの金髪ポニーテール、ごてごてのマスカラ、爪は凶器級、肌ははちみつ色にこんがりと焼けている――




彼女こそ、


先史時代の忘れもの――平成ギャル。




失礼だとは思うが見入ってしまう。




(さてはサボりか…?)


服装はカーディガンに短い学生スカートとルーズソックス。




(けしからんな。)




自分とて学校に行っていないくせに他人の粗にはやたらと厳しい女、瑠璃子。




ちらりと雲雀に目をやると、やはりビビっている様子。




(はて、闘わせたらどうなるかな。)




ふたりのやり取りを見てみたい。


そんな衝動が胸をくすぐる。




(まったく想像できない。)




その時、見られてるのに気づいたのか


彼女がこちらを振り向いた。  




「あっ」




(…気まずい)




もし逆の立場だったら、瑠璃子は睨み返していただろう。




しかし――


彼女はウインクし、軽く手を振ってきた。




「えっ……」




――ドキン。


瑠璃子の胸が、不意に高なる。


思わず目を反らした。




(……よく見たら美人な気がする。)




そうこうしているうちにバスがきた。










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